幕末志士

幕末志士 壱 | DoUgAnOmIyAkO

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幕末志士 弐 | DoUgAnOmIyAkO

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幕末志士 参 | DoUgAnOmIyAkO

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幕末志士 四 | DoUgAnOmIyAkO

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幕末志士 五 | DoUgAnOmIyAkO

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幕末志士 六 | DoUgAnOmIyAkO

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幕末志士 part4 | ニコニコ動画まとめ FPS

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坂本龍馬 (幕末志士) | メンテナンス中

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西郷隆盛 (幕末志士) | メンテナンス中

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萌えよ乙女 幕末志士通信簿 | Enjoy!

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梅と桜を見る萩ツーリング

https://michinosaki2.seesaa.net/article/2024-03-07.html
2025-03-07 03:41:00 - 「ようこそ、路の先にあるもの2へ」「路の先にあるもの」からお乗り換えしたばかりで恐縮ですが早速走ります。始まりはデジャブの様な風景から・・・昨日見た気がするけどまたおんなじ景色を眺めています。周防大島..

幕末志士 薩摩の偉人 西郷隆盛の名言-「およそ思慮は平生、黙座静思の際においてすべし。」

https://sengokubakumatu.seesaa.net/article/491337501.html
2025-09-08 09:03:00 - 「およそ思慮は平生、黙座静思の際においてすべし。」 この言葉は、「深く考えるときは、黙って座り静かに行うこと」という意味です。 あなたは、深く物事を考える時、どのようにしていますか? ..

象山神社に行って来た。長野県長野市松代。

http://acupower2348part3.seesaa.net/article/472104187.html
1970-01-01 01:00:00 - 皆様、お早う御座います。日曜日朝、まったりしてるMariaです。昨日は、第9回佐久間象山塾に行って来ました。こっそり聞いて、こっそり帰って来ました笑笑その前..

【悲報】あの大物実況配信者が活動休止を宣言「心がポッキリと折れました」ツイッター界で激震

http://news4wide.net/article/466830030.html
2025-02-24 02:00:00 -

【かなC】札幌でナンパしてた『幕末志士』が確実に偽物と言える”理由”クッソワロタwww

http://news4wide.net/article/466820715.html
2025-10-13 10:41:00 -

【かなC】札幌でナンパしてた『幕末志士』が確実に偽物と言える”理由”クッソワロタwww

http://www.scienceplus2ch.com/article/466165881.html
2025-10-26 10:40:00 - 札幌で幕末志士を名乗る2人組にナンパされたとの情報を頂きました。100%偽者なので騙されないようにしてください。僕らはそんなことできる勇気がありません。あれば既に結婚してます。— 幕末志士 (..

【!?】ニコニコ実況者で有名な『幕末志士』が星に名前をつける権利を購入し、『幕末志士星』爆誕wwwwwww

http://dechisoku.com/article/464385114.html
2025-02-25 02:20:00 -

【実況】幕末志士がゲーム「進撃の巨人」を実況!西郷どんの美技&坂本の絶叫公開【関心度★★★★☆】

http://michel5017.seesaa.net/article/438470962.html
2025-02-03 02:41:00 - どうもみなさん、おはこんばんにちは!たいつんです!今回取り上げる旬な情報はこれだ!幕末志士がゲーム「進撃の巨人」を実況!西郷どんの美技&坂本の絶叫公開http://news..

幕末志士達のスマブラ64実況プレイ

http://watchmovie.seesaa.net/article/403471170.html
2025-08-10 08:58:00 - だいぶ前に投稿された動画にはなりますが、久々に実況動画を。ニコニコ動画では有名な幕末志士さんの久々の動画として話題になりました。改めて見てもおもしろいです。流石だなぁと思わされるぐらい..

幕末志士達のスマブラ64実況プレイ

http://buffuu.seesaa.net/article/389712046.html
2025-02-25 02:57:00 -

幕末志士達のスマブラ64実況プレイ

http://sukinandamon666.seesaa.net/article/389711950.html
2025-02-25 02:55:00 - 【ニコニコ動画】幕末志士達のスマブラ64実況プレイ幕末志士のマリオ64実況プレイ↓http://buffuu.seesaa.net/article/286525446.html

幕末志士

http://nidhinonikki.seesaa.net/article/389610622.html
2025-02-24 02:26:00 - 来たー!!!幕末志士のスマブラ実況プレー♪ってよくわかりません。書いてみた(*´∀`)/。

好発進

https://ayandayo.exblog.jp/37450353/
2025-01-14 01:00:00 - バカリズム脚本の日テレドラマ「ホットスポット」が始まった。一昨年私が劇ハマりした「ブラッシュアップライフ」スタッフで作られるドラマなので、それはもう楽しみにしていた。「ブラッシュアップライフ」でバカリズム脚本の作品の面白さに感銘を受け、「殺意の道程」「侵入者たちの晩餐」「架空OL日記」などを観てきてどれも全て面白かった。繰り返し観られるくらい大好き。「架空OL日記」はBGM的に流しておけるドラマ。でも「ホットスポット」が始まる前から期待値が上がり過ぎてしまい、第1話を観てあれ?あんまり面白くなかったな…と感じたらどうしようと思っていた。SFが好きじゃない私が、宇宙人がテーマのお話を楽しめるかな?という不安もあった。でも第1話が放送されて、リアルタイムで観ていたけどやっぱり面白かったからホッとしてしまった。東京03の角ちゃんの演技がすごく大事なドラマじゃないか?と感じた。まぁ実際演技は上手いし、ずっと笑えるしコントを観てるみたいだった。このドラマも「ブラッシュアップライフ」みたいに伏線が色々と張り巡らされているらしい。それと冒頭のシーンには意味があるかも、とか。録画してあるので、いつでも好きな時に観返せる。今年の大河ドラマも始まっている。「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」は江戸の版元で後に葛飾北斎や東洲斎写楽などを有名にした人物、蔦屋重三郎を主人公としたお話。主人公が戦国時代の武将や幕末志士など誰でも知っているような有名な歴史上の人物ではないので、初回は視聴率も低かったようだ。けど私は有名武将周りのエピソードってもう出尽くしたんじゃないかと思っているし、こういう有名じゃない人物も取り上げないと、同じ人物ばかりでは大河ドラマは続かないと思う。主演の横浜流星は私は好きでも嫌いでもないので、役者の好き嫌いが激しい私としてはフラットに観られると思う。そして脚本が森下佳子で、私は今までこの方の脚本のドラマに結構ハマってきているので、面白いと感じられるんじゃないかと思っている。このブログで何度も名前を出している「おんな城主直虎」は今でも時々観返したくなるほど面白かったし、TBSの「JIN」やNHKの「大奥」も良かった。歴史を題材にしつつ、史実が分からない部分を創作で面白く繋いで1つの物語にするのが上手いんじゃないかと私は思っている。だから「べらぼう」も、有名主人公じゃなくても面白くなると期待している。以前同じ職場にいた歴史好きの後輩は、大河ドラマは我慢してでも最初の5話は観た方がいいと言っていた。確かにそのとおりだと思う。ネットニュースですぐに視聴率がどうだとか言うけど、そんなバカバカしいニュースを気にする必要はない。自分が楽しめるかどうかなんだから。「べらぼう」は2話まで進み、江戸の吉原にどうやって集客を増やすかというのが今のテーマ。主人公の子供時代はちょっとだけ描かれただけで、初回から横浜流星だったのは良かった。田沼意次の渡辺謙、平賀源内のヤスケンが良い感じ。江戸中〜後期くらいの、十代目将軍家治から先の時代の政治が学べそうで楽しみ。今のところ他に観ようと思う連ドラは無い。最近のドラマって、話がだいぶ進んで後から評判になることってあるのよね。今はNetflixで地上波で放送中のドラマが全話配信されたりして、後からでも観ることが出来るのでありがたい。でも今クールはとりあえず「ホットスポット」に大注目だな〜。

「融通無碍/第49話」以後のこと

https://mori100s.exblog.jp/242852953/
2025-01-01 01:00:00 - ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇融通無碍(南寿吉著)幕末足軽物語/保古飛呂比<ほご拾い>集南史観<私観><人物評伝><脱線話>等々◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇******************[第37話]幕末足軽物語/リーブル出版幕末足軽物語/樋口真吉伝完結編(リーブル出版)幕末足軽物語/樋口真吉伝完結編(リーブル出版)2021年6月10日 初版第1刷発行著 者ー南寿吉(田所賢一氏)発行人ー川上壽一(田所氏の長兄)発 行ーテラ・ハウス/森薫(田所氏の学友)装 幀ー三浦定男あとがき(川上壽一)前作の『龍馬を見抜いた男 樋口真吉伝』に続き、彼が書き残していた遺稿を刊行するにあたり、彼の性格故の独善的な部分の取り扱いについて、関係者の間で思慮した結果、このような形になりましたが、故人がどのように受け止めているのかは想像だにできません。編集後記(森薫)この『幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編』には、我々には見えない彼<田所賢一氏=南寿吉>の特異な感受性・創造(想像)性が節々に見受けられます。すーっとその時代に入り込み、悠然と闊歩している嬉しそうな笑顔が浮かんできます。しかし、紙面の関係で、所謂『南史観(私観)』といわれる箇所は残念ながら省かれました。単なる明治時代を迎える、土佐足軽の一介の伝記に終わったのではないかと危惧しています。それでも、一介の足軽の足跡をこれほどまでに克明に日記から拾い上げられ、幕末の時代を浮き彫りにした史実の数々に我々は圧倒されます。土佐の歴史の一ページを飾るにあまりあるものだと誇りに思います。田所賢一君(本名)、ようこんな長い物語を粘り強く書き上げたもんや!令和3年<2021>1月18日生きていれば70歳、合掌!・・・・・・・・・遺稿「幕末足軽物語」を出版<幕末足軽物語<樋口真吉伝 完結編>>するにあたって、紙面の関係でオリジナル原稿から省かれた箇所がかなりありました。(これは「龍馬の生まれたまち記念館」の学芸員森本さんの”一次資料が無い話題<四万十川での龍馬との絡み、信四郎の物語、閑話休題の脱線話等々>については、省いた方がいいですよ”というアドバイスにそって大幅削除をした結果です。) その省かれた箇所を、このまま陽の目を見ることなく埋もれさすのは忍びがたく、何とかしたいとの思いが募り・・・出版の編集と併走して、田所さんが融通無碍に執筆している脱線話/南史観<私観><人物評伝>等々の省かれた箇所を吟味して再編集、ブログ版「幕末足軽物語/融通無碍編(南寿吉著)」としてネットで公開(アップ)しました。令和4年12月にアップした第24話をもって、一区切りです。幕末足軽物語/融通無碍編 第1部(第1話~第24話)令和5年1月からは、幕末足軽物語/融通無碍編<フィクション版>と銘打って、これまで出版された南寿吉氏の『龍馬を見抜いた男 樋口真吉伝』、『幕末足軽物語<樋口真吉伝 完結編>』の二つの著作本と南寿吉氏の遺稿『幕末足軽物語』(未公開)をコラボさせた作品(幕末足軽物語/融通無碍編 第2部)をネットで公開(アップ)しました。令和5年12月にアップした第36話をもって、2回目の一区切りです。幕末足軽物語/融通無碍編 第2部(第25話~第37話)さらに、令和6年2月からは、幕末足軽物語/融通無碍編 第3部(第38話~48話)として、幕末足軽物語/関連話(樋口真吉とは直接の関係性が薄いため南寿吉氏があえて執筆しなかったと思われる事柄をテーマに)再々編集・取り纏めを行ない、引き続きネットで公開(アップ)しました。幕末足軽物語/融通無碍編 第3部(第38話~48話)薩長同盟(融通無碍/第38話)慶応3年の大芝居(融通無碍/第39話)王政復古の大号令(融通無碍/第40話)摩藩邸焼討事件(融通無碍/第41話)龍馬と永井尚志(融通無碍/第42話)将軍・徳川慶喜が遁走(融通無碍/第43話)後藤象二郎の長崎物語(融通無碍/第44話)龍馬暗殺前の1週間(融通無碍/第45話)真吉の旅日記(融通無碍/第46話)大芝居の役者たち(融通無碍/第47話)幕末足軽物語/関連話のこと(融通無碍/第48話)**********************令和7年1月からは、幕末足軽物語/融通無碍編 第4部(第49話~)として、幕末足軽物語/関連話を主体に再々編集・取り纏めを行ない、引き続きネットで融通無碍に公開(アップ)する予定です。第4部「融通無碍/第49話」以後のこと自然観(融通無碍/第49話)門閥は親のかたき(融通無碍/第50話)懐かしき仲間たちのこと(融通無碍/第51話)龍馬書簡のこと(融通無碍/第52話)龍馬の手紙(融通無碍/第53話)[第・・話]真吉日記に登場する人々[第・・話]慶応4年の大活劇[第・・話]龍馬書簡のこと[第・・話]人生は旅である[第・・話]中村・下田に黒船来航!?[第・・話]真吉の6連銃[第・・話]樋口真吉・年譜[第・・話]幕末足軽物語・年譜*****************[未整理][第・・話]慶応4年の大活劇慶応4年(1868)/戊辰の年、この慶応4年秋には改元され明治となる。新日本の夜明け前だ。激動の年は明けた。 (真吉54歳)大政奉還で一大名になったつもりの徳川慶喜(旧幕府)、あくまでも倒幕を目論む薩摩・長州藩、その間で狼狽する朝廷、それぞれの思惑が絡んで鳥羽伏見で薩長軍と旧幕府軍(会津・桑名藩など)が戦闘状態になった。(鳥羽・伏見の戦い)融通無碍/第・・話<個別版/・・件>◆幕末足軽物語/融通無碍・人物評伝樋口真吉①(天保、弘化、嘉永、万延、文久3年まで)<未定稿>樋口真吉②(文久4年~元治)<未定稿>樋口真吉③(慶応元年~慶応2年まで)<未定稿>樋口真吉④(慶応3年)<未定稿>樋口真吉⑤(慶応4年~明治)<未定稿>坂本龍馬<未定稿>中岡慎太郎<未定稿>武市半平太<未定稿>幕末志士評伝<未定稿>樋口真吉・年譜<未定稿>******************[落ち穂拾いシリーズ]暗殺5日前の「龍馬の手紙」(融通無碍/第・・話)人生は旅である(融通無碍/第・・話)[第46話]真吉の旅日記真吉の旅日記は絵入りである。見て楽しい読み物でもある。絵は言葉で表現できない内容を補完する。真吉は簡潔を重視した。もってまわったような晦渋さを好まなかった。~~~~~~~~~~~~人生は旅である(融通無碍/第・・話)中村・下田に黒船来航!?(融通無碍/第・・話)嘉永3年<1850>秋、下田港の沖にアメリカ合衆国海軍東インド艦隊(ペリー提督)の黒船がやってきた。(歴史小話/南寿吉談)******************[第・・話]真吉の6連銃短銃(ピストル)<真吉画>「短銃」ではなく「6連銃」の話は随所にみられます。真吉は高名な剣士であるが、坂本龍馬と同様、護身用の武器としてピストルを愛用していた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー■融通無碍(南寿吉著)元高知県知事橋本大二郎氏南寿吉氏の記述には、本論(本筋)から「脱線したお話<余談・逸話・つぶやきなど>」が散見されます。時に物事の本質を鋭く突いたもの、氏独特の(出放題に見られるような)世論をチクリと揶揄したもの、真面目な論調を独特のユーモアで味付けした面白・可笑しいもの、権力者などを茶化したあげく軽妙な落ちで締める落語話のようなもの等々、本筋(本線)から脱線したこれらのお話は、融通無碍のかれらしく何度も読み返したくなるほど面白い、という人が多いようです。『融通無碍』は、そのような南寿吉氏の軽妙なタッチで執筆された脱線話などを集約した作品です。「融通無碍/南寿吉著」のこと◆幕末足軽物語/関連話ブログ版『幕末足軽物語/融通無碍編』を発信する過程で、故人と関わりがある多くの方から関連のお話(情報)などいただきました。それらの情報を、その都度「幕末足軽物語/関連話」として、出来うる限り「幕末足軽物語」と関連づけて整理・編集・発信してきました。(情報をお寄せいただいた多くの方に感謝申し上げます。)これらの情報は『幕末足軽物語=樋口真吉』との直接的な関わりが薄いため、南寿吉氏も著作本の中では、あえて詳しくは記述しなかったものと思われます。しかし、間接的には『幕末足軽物語=樋口真吉』とも非常に関わりが深いものばかり(=幕末史のキーポイントとなる事項ばかり・・・)なので、情報をお寄せいただいた方々には、特段お断りをしていませんが一括公開しました。(令和5年12月)(もし不都合があれば部分的にでも、全面的にでも削除します。)幕末足軽物語/関連話のこと******************ブログ土佐の森・文芸/幕末足軽物語(南寿吉著)編集・発行土佐の森グループ/ブログ事務局*****************南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)・・・・・・・・・・・・

土佐の森・文芸 (坂本龍馬)

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2024-11-01 11:00:00 - ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇土佐の森・文芸 幕末足軽物語/融通無碍(南寿吉著)[人物評伝]◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇[土佐の幕末志士列伝]坂本龍馬(1836~1867) 樋口真吉(1815~1870)真吉と龍馬の最初の出逢いは、嘉永3年まで遡る。その時、竜馬16歳、真吉36歳。出逢いの場所は、幡多(土佐中村)の四万十川。真吉と龍馬の出逢い(融通無碍/南史観<私観>) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP83>・・・・・・・・・・・・連年の水害嘉永2年、天候が不順で大雨が幡多に大惨事を引き起こした。5月1日から5日間降り続いた雨が洪水となり町仲水浸しとなる。二月経って7月9日は大風雨、翌日も続いて猛烈な北東の風が樹木をなぎ倒す。さらに翌々日11日になっても風雨は止まない。四万十川は大洪水、堤防が決壊した。その結果、中村の小姓町(市街地の平均的な海抜高にある区域)で、水位は地上四尺五寸(135cm)に達したから町の過半が水没した。四万十川は暴れ川(融通無碍/南史観<私観>)この大災害を受けて、藩は直営で四万十川の崩れた堤を修復することになった。嘉永3年秋に、大規模な四万十川の河川改修を計画し復旧計画を実行した。工期は天候の固まった晩秋から早春まで。藩は工事監督のために幡多郷士層に動員をかけた。『幡多郷士は幡多に異変があれば、いの一番に派遣される』これが土佐藩庁の動員者を決定する唯一の根拠である。竜馬の坂本家は幡多とは縁もゆかりもないけれど、偶々買った譲り受け郷士株が「幡多郷士」であったため、坂本家にも命が下る。~~~~~~~~高知のお城下から、ひとりの若者(幡多郷士)が現場監督として派遣された。その若者が坂本龍馬であった。工事を行なったのは幡多奉行所。この時、真吉は幡多奉行所の小役人であったが、私的には「樋口道場」の師範格(道場主)。公私にわたって龍馬を受け入れた。しかし、その史実の一次資料はなく「維新土佐勤王史」に古老の話として伝わっているだけ。なので、この逸話は「竜馬の四万十川伝説」ということになっている。竜馬の四万十川伝説 竜馬 四万十川にゆく(融通無碍/第26話)龍馬を見抜いた男 樋口真吉伝(平成23年度高知県出版文化賞/2011.3.15発行)<「龍馬を見抜いた男 樋口真吉伝」ではP125~139>~~~~~~~~~<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP164>文久元年10月11日、この日の日記に、真吉は「坂竜飛騰」と記す。(この日、龍馬は武市半平太の密命で長州へ向かった。)真吉日記中、もっとも有名な文言だ。坂本龍馬から坂竜だろう。飛騰は中国の詩人屈原がその著書「楚辞」で使った言葉、同郷の詩人・間崎哲馬の詩にも出る。「坂本龍馬という人間が、蟠る龍が、貯めたエネルギーを一気に噴出して、大空に沸騰するするかのように飛翔する」の意味か。坂竜飛騰(融通無碍/南史観<私観>)~~~~~~~~~<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP178>文久2年7月23日、竜馬に会う。一円贈る。壬戊日記には「市中に於いて竜馬に会い、一円を与えて別れる」とある。龍馬はこの3月末に脱藩した。そして約4ヵ月後に大坂市中で真吉に会う。竜馬に逢う 一円贈る(融通無碍/南史観<私観>)~~~~~~~~~<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP274>慶応2年1月21日、坂本龍馬や中岡慎太郎の仲介もあって、薩長同盟が成立し、長州側から出された「両藩の合意事項の覚え書き」に龍馬が朱筆をもって裏書きする。坂本龍馬自筆「薩長同盟裏書」/宮内庁書陵部図書課図書寮文庫蔵。この直後、龍馬は伏見・寺田屋で幕吏に襲われ重傷を負うが薩摩藩邸に逃れる。その後、鹿児島に渡る。薩長同盟(融通無碍/第38話)~~~~~~~~~<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP296>慶応3年10月10日、才谷梅太郎(=坂本龍馬)が長崎から長州、土佐を経て上京した。龍馬は11月に京都で暗殺されるから、長崎から始まり大坂で終わるこの船旅は、「龍馬の最後のクルージング」となる。慶応3年10月13日、幕府は二条城に諸藩を集める。王政復古(大政奉還)を布告する。大政奉還~竜馬暗殺まで(融通無碍/南史観<私観>)~~~~~~~~~<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP300>慶応3年11月15日、龍馬と慎太郎が同じ日、同じ場所で刺客に攻撃され龍馬は即死、慎太郎は3日後死んだ。真吉はその死に様を、日記にこう書き残した。龍馬と慎太郎が暗殺された夜、真吉は京都の土佐藩邸にいた。当日の日記が残っている。「日新録」がそれである。それには、通説と違う記述もある。日記・日新録<龍馬暗殺の日!>(融通無碍/南史観<私観>)龍馬暗殺(融通無碍/南史観<私観>)===============[融通無碍]樋口真吉伝/南寿吉著真吉と龍馬吉田東洋が暗殺された文久2年、真吉は元吉(吉田東洋)と同い年で48歳。武市半平太は34歳。龍馬はさらに下の28歳。吉田東洋(融通無碍/南史観<人物評伝>)武市半平太(融通無碍/南史観<人物評伝>)これまで互いにその雰囲気から(志を同じくする)と認め合ってきた。龍馬とは義理の伯父、高松順蔵との誼<よしみ>を通じて高松順蔵(融通無碍/南史観<人物評伝>)「樋口のおんちゃん」「おい龍馬」のあいだがらであった。この時から遡ること10年あまり前、嘉永3年の秋、龍馬が親父の代理で四万十川の工事の監督として中村に来たとき初めて逢った。龍馬が中村に来ることは、高松順蔵から聞いていた。竜馬の四万十川伝説(融通無碍/関連話)本人を実見すればなるほど、有望だ。何ともいえずやわらかいところがいい。真吉の父信四郎は、以前から龍馬のことを女房(お信・真吉の母)の実家のつてで聞いたらしく、その歿後に見た日記に歌があった。坂本君へたのみなき 露の命のながらえて 君に逢うとは 思わざりしによほど着目していた。真吉の九州行きの留守に逢ったらしく、その模様はあとで父から聞いた。(龍馬という子供は相当なもんらしい)と記憶に残ったが、歌を龍馬に贈っていたとは思わなかった。老後の楽しみは、春秋に富む俊秀を見守り育てることにあるという。真吉も父には可愛がられたが、さらに20歳も年若の龍馬は父にとってまるで孫同様に「掌中の珠」の如き存在であったらしい。老いを養うものにとって孫のような成長する者は希望を与える。後を託すことができるからだ。老い先短い者が種をまいて育てる。(種は可能性だ)自身での収穫は覚束ないが、確かに自分は種をまいた。自分の亡き後も育つだろう。その予感と確信が老いの寂寥を和らげてくれる。世は連綿と続く鎖のようなもの。その鎖は血縁で続くものばかりでなく、法灯も剣の世界も後継者は血では選ばれない。さらに親と子で結びつく必要もない。一世代飛び越えて繋がる鎖もあり、真吉の修めた大石流がそうだ。師の大石先生は実父ではなく、祖父君の教えのたまものとして世に出たのだった。幕末足軽物語/<年譜・坂本龍馬>ノンフィクション坂本龍馬記念館(高知市桂浜)===============[融通無碍]樋口真吉伝/南寿吉著坂本龍馬考(融通無碍/関連話)**************ブログ土佐の森・文芸/融通無碍(南寿吉著)編集・発行土佐の森グループ/ブログ事務局**************元高知県知事橋本大二郎氏南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)融通無碍/総集版・・・・・・・・・・・・2024.11.01.23.59

土佐の森・文芸 (早崎兵吾)

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2024-10-01 10:00:00 - ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇土佐の森・文芸 融通無碍(南寿吉著)[南史観<人物評伝>]◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇[土佐の幕末志士列伝]早崎兵吾(1821~不詳) 樋口真吉(1815~1870)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー《日記:戊辰戦争従軍記より》幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語/樋口真吉伝完結編」ではP323>》・・・・・・・・・慶応4年(1867)2月11日東征軍に動員する藩兵を全員集合させ、装備などを点検する。======《融通無碍》戊辰戦争で東征軍(総督・板垣退助)として出陣する藩兵に訓示した容堂の送別の辞。整列した将兵を前に容堂が短く訓示する。曰く「天猶寒し、自愛せよ」天猶寒し自愛せよ(融通無碍/南史観<私観>)ーーーーーーーーー土佐藩は錦旗を掲げ官軍(東征軍)として関東へ総兵員合わせて1100余人(割り当て人数より若干少ない)宿継ぎ人足は300余人。総督・板垣退助輜重長(=輜重奉行)・早崎兵吾======[融通無碍]かつて『輜重兵が兵隊ならば、蝶々・トンボも鳥のうち』と戦闘にのみ専従する一般兵から揶揄された時期がある。間違いだ。『腹が減っては戦が出来ぬ』ともいう。その腹を満たすには輜重兵のもたらす食糧があってのこそだ。銃弾の飛び交う中で輜重兵は前線兵士に糧秣を届ける。届けたら逃げ帰るように前線を離脱するから『あいつら気楽でいいな』と戦士は思うだろう。違う、別の戦線にも届ける仕事がある。自分も発砲する、敵も反撃する。互いに撃ち合うことで恐怖心は薄れる。軽快に動くため重い防弾手段を外し丸腰に近い装備で激戦地を往来する輜重兵の勇敢さは想像を越す。 真吉は戊辰戦争の全期間を輜重担当として従軍した。かれは陰の役者であり、華々しさはない。が真に戦争を知る者は兵站<へいたん>を最大評価して、重んじるらしい。局地戦での勝利は戦術が優れただけのこと。勝てたのは運もある。最終的に勝利するには総合的な戦略が必須である。素人は戦術に喝采し、半玄人は戦略を賞賛する。そして戦争全般に精通した者は『輜重・兵站』を賞味する。~~~~~~~~~◆兵站戦闘部隊の後方にあって、人員・兵器・食糧などの前送・補給にあたり、また、後方連絡線の確保にあたる活動機能。ロジスティクスである。真吉は輜重隊<裁判役>(融通無碍/南史観<私観>)<「幕末足軽物語/樋口真吉伝完結編」ではP341>》・・・・・・・・・・・・慶応4年4月28日大雨を衝いて迅衝隊の6隊が進み、壬生城に着す。輜重奉行・早崎兵吾が安塚<やすづか>(栃木県壬生町安塚)の賊軍が来たと誤断し、輜重隊は動揺する。しかも奉行たる早崎は臆病風に吹かれて(=『三舎を避けて』)姿をくらました。主を失った輜重隊は右往左往し糸の切れた凧たこ状態となる。真吉は早崎の行方を懸命に捜したが3日経っても分からない。その結果、前線は輜重からの物資の供給を受けられず立ち往生、退却を余儀なくされる。土佐藩兵は宇都宮城攻撃に遅参して面目を失う。その後落ち着いた早崎は正気に返り、舞い戻ったが問罪されて旅宿に閉居し、次いで本藩送りの処分を受ける。早崎は藩の馬廻役(=上士)で、この時48歳であった。まあ男盛りといえる。《真吉は輜重隊の裁判役、輜重長の早碕兵吾は後に敵前逃亡の罪で本藩送りの処分を受ける。》輜重奉行が敵前逃亡(融通無碍/南史観<私観>)======[融通無碍]◆早崎兵吾のことなど早崎兵吾は土佐では鹿持雅澄、河田小龍の両人とも交流があったという文人肌の人物。①鹿持雅澄<かもちまさずみ>鹿持雅澄は万葉集の研究で知られる下士。鹿持雅澄/愛妻の碑「秋風の福井の里に妹をおきて安芸の大山超え勝てぬかも」(安芸市大山岬)②河田小龍<かわたしょうりょう>河田小龍(融通無碍/南史観<人物評伝>)河田小龍は絵師として名高い。坂本龍馬に海からの視点を与えたのは自分であると、明治30年代に自著で明らかにした。砲術にもある程度造詣があったから、土佐藩から薩摩に砲術技術者たちが派遣された時、絵師として同行した。ジョン万二郎の漂流談も絵入りで紹介した。真吉とも交際があった。アメリカの発展と開国への思い(NHK動画)~~~~~~~~早崎兵吾は文弱の嫌いもあったようで、迅衝隊では輜重奉行という要職にありながら恐怖心から敵前逃亡した。看過できぬ重罪である。迅衝隊は身分制度を反映して幹部は上士のみ、一般兵は郷士以下の庄屋、足軽、農民などで構成された。真吉を輜重奉行に任ずる人事なぞ到底ありえない。地位と実力が逆転しても、身分制度に馴らされた人々には不当も不合理も感じない。高地位にあるが故にそれを誇示するため的外れな言動を繰り返し、部下は失笑するばかり。無能者を上席に据えて、それでも何とかなる組織は、『仕事をする』組織ではないだろう。身分制度のもと、地位に相応しい見識を上司に期待する方が無茶だ。期待するほうが悪い。肉屋に野菜は売っていない。勝海舟が文久年間、アメリカから帰国して江戸城内で幕僚からその感想を求められた時、率直に「米国では身分の高い御仁は、それ相当に賢明です」と心情を吐露したから「無礼者、控えおろう」と大目玉を食らった。海舟は心中、ベロを出したい気分であったろう。<話がそれた。真吉の話に戻る。>早崎が失踪した後、輜重隊の取りまとめに奔走したが輜重の役が果たせず、壬生城攻撃の前線から撤退した。官軍主力は壬生城を攻略した後、間をおかず宇都宮城を攻撃したが土佐の迅衝隊は参加できなかった。大失態である。このとき、宇都宮城攻撃に参加した鳥取藩兵などから「土佐のお方は上州ちぢみ、見掛けや強いで、きてよわい」と嘲笑された。なお、早崎の失踪については、安塚の戦いで土佐藩兵がいない中、賊軍が来たと誤断して、軍用金や兵站物資(食糧、弾薬など)を敵に奪われてならんとこれらを抱いて逃走したともいわれている。逃走直後、板垣退助ら迅衝隊本隊が救援にかけつけたが、早崎は「壬生遁走=兵站放棄=宇都宮攻撃不参加」の責任を取らされた。逃げたことを非難された早崎には、反論したいところもあったことであろうが、何も言わず責任をとった。追放されるさいに、こんな歌を残している。「命より尊き黄金取り出でて、黄金にまさる名を棄てにけり」~~~~~~~~◆早崎兵吾のその後かれは重罪人同様の扱いで高知に送られ、最終的に幡多郡の間崎<まさき>に追放された。現在の高知県四万十市間崎である。今は四万十川の流れは堤防で締め切られて間崎は山際の民家の塊りと農地が広がる地域である。水鳥の来る野鳥公園もある。四万十川野鳥自然公園(四万十市間崎)旧建設省の施工で堤防が完成する以前には、間崎集落のすぐ南に干潟が広がり、満潮時には住宅の前まで四万十川と太平洋の水が交じり合う汽水がひたひたと静かな音を立てたことだろう。ここに文人・早崎は閉居したのだ。流されて間崎の月を見る、間崎の風光は流人・早崎を慰めたであろう。地元民からすれば高貴の流人であるから遠巻きに見守られたかも知れない。その後の消息を調べてみたが、その足跡は杳<よう>として知れない。赦免され高知に戻ったか、放置され間崎に朽ちたか。いずれにせよ、幕末に生きた志士たちの悲哀を感じるのは筆者だけだろうか。**************ブログ土佐の森・文芸/融通無碍(南寿吉著)編集・発行土佐の森グループ/ブログ事務局**************元高知県知事橋本大二郎氏南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)融通無碍/総集版2024.10.01.23。55

土佐の森・文芸 (望月清平)

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2024-09-01 09:00:00 - ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇土佐の森・文芸 融通無碍(南寿吉著)[南史観<人物評伝>]◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇[土佐の幕末志士列伝]望月清平(生没年不明)/亀弥太は(1838~1864) 樋口真吉(1815~1870)望月家墓所(高知市塚ノ原)、望月清平とされる墓は台石のみで墓石はない。幕末の土佐藩士。望月真澄の長男。弟は望月亀弥太。望月亀弥太文久元年、土佐勤王党が結成されると、弟の亀弥太とともに加盟する。坂本龍馬との親交が深く、文久2年(1862年)吉田東洋暗殺の嫌疑がかけられた龍馬に身を隠すように勧めたり、慶応3年には龍馬が横死する直前に手紙のやり取りをしている。望月清平はなんとも不可解な人物で明治維新後も生きたらしいが、その事績は皆目見当が付かない。墓すらないから、没年も不明のままである。あるいは別人としてその生涯をどこかで終えたのかもしれない。幕末足軽物語 樋口真吉伝完結編<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP234>文久3年7月16日望月清平と小畑孫三郎が上書を(藩庁に)提出する。======[融通無碍]真吉日記には記録されてないが、この日「銅鉄銭の鋳造のことを言う」という別本(=樋口真吉傳)があり望月・小畑の上書に真吉が関与していたことを思わせる。真吉は連名して上書することを好まなかった。数を頼んで訴えることを嫌ったか。・・・・・・・・・・・・<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP280>慶応3年7月29日望月清平が大坂から戻る。この望月清平という名を記憶に留めておいてほしい。この男が物語の鍵になる一人だから。・・・・・・・・・・・・<「幕末足軽物語樋口真吉伝完結編」ではP298>慶応3年10月19日望月清平が勅書を持って帰国する。下横目・俊太郎も同行する。この前日(18日)、清平はすぐ近くの町屋・近江屋に潜伏する龍馬からの手紙を受け取っていた。その中身「今、住む近江屋が危険なことは承知。だが薩摩の世話になるのもまずい。真吉に頼んで安全な隠れ家を探してくれ」というものであった。*******************[龍馬書簡]◆届かなかった手紙龍馬暗殺の直前、安全な宿の確保を真吉に頼んでいるが、手紙は届かなかった・・・。届かなかった龍馬の手紙(融通無碍/南史観<私観>)樋口真吉伝**************ブログ土佐の森・文芸/融通無碍(南寿吉著)編集・発行土佐の森グループ/ブログ事務局**************元高知県知事橋本大二郎氏南寿吉先生の遺作(高知新聞/2021.7.2)融通無碍/総集版・・・・・・・・・・・・2024.09.01.23.54
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