団塊の世代

02/10のツイートまとめ | takayasumaの勝手なささやき

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yutsutsui 「団塊の世代」は彼の造語です。作家の堺屋太一氏が死去、83歳 経済企画庁長官などを歴任 - LINE NEWS #linenews https://t.co/Rcf2tCdXtx 02-10 13:49

[弘兼憲史]課長島耕作全17巻 | 漫画ZIPRAR

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[弘兼憲史]課長島耕作全17巻【あらすじ】団塊の世代であるサラリーマンが派閥抗争に巻き込まれながら活躍する姿を描く。

御老人が国の宝 社会のモラル!? 嘘嘘 | ソウダ京都へ呪われに逝こう

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御老人が国の宝 社会のモラル!? 嘘嘘今の老人 高度経済成長で楽々 職についた団塊の世代ですこの前、戦争体験聞いたらサヨクの日教組に教育された

団塊の世代 | AYA 光年の森

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団塊の世代 ~古民家で語る~Raconter à la vieille maison 朝晩は涼しくなったものの、暑い日が続いている。川の水かさは大分少なく

01-25-10 | Something That Never Withers♪ ゚・:,。*:..。o○☆

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1-25 月 晴睡到12点多,我真的是没救了~~櫻井 翔くん お誕生日おめでとうございます!オトナになるまで あと2年。楽しみだね--上目線アイドル

父の日ギフト 団塊の世代限定 日本海の特撰魚介詰合せ 花 風呂敷包み 送料無料 | 玲央のマジブログ

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父の日ギフトに最適!素材はすべて天然・日本海産から厳選!「一夜干し」と「粕漬け」の贅沢セットを特別なギフト用に。団塊の世代限定、懐かしの昭和の味・

団塊世代の定年後のリアル | All is well that ends wellーバレエ・感じたこと色々

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https://www.msn.com/ja-jp/money/career/%ef%bd%a2島耕作%ef%bd%a3作者が語る団塊世代の定年後のリアル-%ef%bd%a2弘兼憲史×松本すみ子%ef%bd%a3定年後につい

72歳のおじいちゃんがExcelで作った「LINEスタンプ」が熱いと話題! | FBネタ速報| Facebook

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72歳のおじいさんが制作した、LINEクリエイターズスタンプが「一度みたら忘れられない」「色使いがサイケデリック」「使い道謎だけど…」と話題に

高度成長はもうあり得ない、という認識

https://yashinokiisland.seesaa.net/article/2022-12-11.html
2025-12-13 12:54:00 - 新卒の女子社員の、初めての”夏のボーナス”が100万円。あのバブル時代に私が知った、同じフロアーの某証券会社での実話です。(ちなみにその証券会社は、バブル崩壊で潰れました)..

日教組 (新潮新書)

https://okmat777.seesaa.net/article/2011-04-28.html
1970-01-01 01:00:00 - 日教組 (新潮新書)作者: 森口 朗出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2010/12メディア: 単行本序章 ある平凡な日教組教員の日常第1章 「日教組」の誕生(すべては「新教育指..

明治の美人

https://otomoji-14.seesaa.net/article/2020-09-12.html
2025-09-14 09:26:00 - 今朝は涼しくて秋の気配です。テレビでは次の首相が話題になっています。どうも団塊の世代の人が優勢なようです。かって横浜の市会議員をしていたそうです。団塊の世代は若い頃、政治の季節がありましたが、なぜか..

時代のシッポ

https://otomoji-14.seesaa.net/article/2019-04-28.html
2025-04-28 04:59:00 -  今日は高速道路のサービスエリアは大混雑でしたが、町中は異様に車が少なく、スイスイ走れました。渋滞を恐れて家にいた人が多かったのでしょうか。10連休、ジューレンキュウと騒ぎたてるものだから、おっかな..

進化の途中

https://otomoji-14.seesaa.net/article/2017-09-19.html
2025-09-19 09:00:00 - きのうは敬老の日でしたが、もう 35年も付き合っている隣家のおばさんは、90歳になったそうです。「もうちょっとマシなもんくれるんかと思たら、しょうもないもんやったわ」と笑っていました。自治体から卒寿..

人口減少のこと

https://otomoji-14.seesaa.net/article/2014-08-10.html
2025-08-10 08:37:00 - 台風11号で昨夜から半日以上、風の音が続いています。雨は止んでいます。 先日、小学校の同窓会があって出かけてきましたが、小学校は今年3月に廃校になりました。少子化や過疎化の影響ということです。それに..

さまよえる活力

https://gorinoomoi.seesaa.net/article/2009-12-11-1.html
2025-12-11 12:26:00 - 自分を相手にしないのは悪だ、となる。団塊の世代の人がそれぞれに、「これほど高水準な提言ができるのは自分だけだ」と思って行動している。私はこれを、“さまよえる活力”と呼んでいます。---------..

私とマスク日本人における格差 : なぜこれほど差がついたのか

https://unvaccinated.seesaa.net/article/not-sensitive-mask-japanese.html
1970-01-01 01:00:00 - 顔も名前も出せない匿名便所の落書きのネット弁慶の多くは底辺労働者であり、mRNAコロナワクチンを無償接種し、ただの新型コロナウイルス風邪では無意味なマスク着用を勝手にマナー化する文明レベルの方々である..

定額減税の底辺労働者の規則正しい生活は馬鹿 : 不健康の元凶は悪い縁の人間関係

https://unvaccinated.seesaa.net/article/working-poor.html
1970-01-01 01:00:00 - 社会で働く貨幣奴隷は地位財的な話に従順であるので、スティーブ・ジョブズ氏の話から始めよう。ミニマリストの一面を持つ彼がいつも同じ服を着ていたことは有名であり、身につけるものを毎朝選択しないことで思考的..

注意書きだらけの児童公園

https://sanjyuban.seesaa.net/article/498921037.html
2025-04-07 04:48:00 - 「注意書きだらけの児童公園」というのが薄ら寒さを感じますね。サワガナイボールアテルナノルナ大声キンシ………児童公園と言いつつも、こういったことをする連中の顔色を窺う..

「<第588話>これって、どうよ・・・!?」について

https://gym64741.seesaa.net/article/200907article_1.html
2025-07-19 07:37:00 - 「<第588話>これって、どうよ・・・!?」について

団塊世代のしなやかさと頼もしさ

https://shigureteioukann.seesaa.net/article/201202article_4.html
2025-02-25 02:17:00 - 今年になって初めて、都内某所の居酒屋で、もっきりやのダンナと対面。前回はこちらの都合で会うことをお断りしてしまったので、今回は万難を排して会わなければいけない。とはいっても、それは義務でな..

言い得て妙、朝から大笑い

https://lmhar.exblog.jp/34444241/
2025-02-04 02:00:00 - 7時過ぎの西側に面した部屋の窓透明ガラスが寒さでまるでくもり硝子のようになっていた。朝7:00のウッドデッキの温度は −3度、体感温度は−6度だった。寒くて冷たかった。一昨日は節分、昨日は春分で(暦の上では)冬から春へ移行したはずなのに、今朝はまた、天気予報通り、真冬に逆戻りしてしまったようだ。春はまだまだ遠い。「早春賦」の世界である。しかし暖かい部屋の中で、朝食時 夫と私は大笑いをした。夫の大学時代のグループLINEにおもしろい動画が送られてきたのだった。かつて一斉を風靡した歌手舟木一夫の「高校三年生」の替え歌「GoGo 高齢者」の動画。画面で開いてみると、歌詞といい、その歌詞に添付された画像といい、まさに言い得て妙である。思わずふたりで大笑いしてしまった。【替え歌】昭和に生まれ 平成令和と走り続けた我が人生ああ GoGo 高齢者僕ら杖をついて歩くとも 弾む心は 若人さいつの間にやら75才に仲間入りだね後期の高齢者ああ GoGo 高齢者僕ら定期受診を忘れずに 長生きしましょう100までも今日が人生最後の日だと思い歌おうこの歌をああ GoGo 高齢者僕ら場所はそれぞれ違っても希望歌おう明日の日も輝いて生きようシニア世代!歌の間に挟まれた写真や動画はまさに私達の過ごしてきた世相を表すものだった。それからふたりで子供時代の話になった。都会の隅っこで過ごした戦後すぐに生まれた(S.21)夫は言った。「貧しく食べるものがなかった。小4から始まった給食が唯一の楽しみだった」私は田舎で生まれ育ったので食べ物には苦労はしなかったが食べ物の種類は限られていた。畑で採れるものと時々海で採れた魚で、都会で手に入るような珍しい食品(ハム・ウインナー等)やお菓子・ケーキなどは全くなかった。魚は漁をしていた親戚が今日は獲れすぎたから持ってきてやったとくれた魚だった。母や祖母はその魚のお礼に畑で採れた野菜を渡していたので、いわゆる「物々交換」をしていたのだろう。今から思えば、戦後、S.30年ぐらいの半ばごろまではみんなそのようにして生活していたように思う。豊かさを感じ始めたのはやはり’70の万博以降ではないだろうか。考えてみれば、子供時代は貧しかったけれど、その後オリンピック、万博を経験、就職し、結婚した頃から高度成長期を経験し実感した。子育ての時期には、給料は常に右肩上がりの豊かな時代だった。その後のバブル崩壊も経験したが、戦後80年の間一度も戦争がなく、一生最後まで“戦争を知らない子供たち”で終わることができる恵まれた世代かもしれない。世界中のあちこちで戦争や紛争で命を落としたり人生がめちゃくちゃに破壊された人たちが多い今、「平和であることの尊さ」を身にしみて感じる。あの貧しかった時代に団塊の世代として生まれ育った私たちが、後期高齢者の仲間と言われる75才を過ぎても、何事にも好奇心があり、元気でどこにでも出かけることができるのはすばらしいではないだろうか。大笑いしながら、夫と話しながら、そんなことを思っていた。

新聞0202

https://dehoudai.exblog.jp/33672886/
2025-02-02 02:00:00 - 埼玉新聞時折、刺激臭も…道路陥没の現場、穴は直径40メートル がれき除去への準備整うも雨などで救助活動が困難となる状況続く 「要救助者の一刻も早い救助に向けて活動」中日新聞電気・水道止められ地域からは孤立 長野駅前殺傷、容疑者逮捕から1週間も口つぐんだまま東京は雪か?と言っていたが、雨だった。足利は夕刻より雨上がり。5時から鎧年越しである。中日新聞三重県菰野町の御在所岳(1212メートル)山頂付近で31日、樹氷が観測された。午前9時の山頂の気温は氷点下6度。一面の木々に張り付いた樹氷と前日から降った雪で、幻想的な白銀の世界が広がった。apnews道路陥没でオマハのダウンタウンが停電usatoday米国西海岸沖の海底火山が、いつでも噴火しそう。危険はなく、研究のチャンスjakartapost南極大陸沿岸にあった長さ19km、重さ1兆トンの氷山が北方の海へinquirer卵不足対策 農務大臣が4月に予見される卵不足対策を指示hanoitimesNgoc Hoi-Dong Da 侵入して来た中国軍に勝利して236年2月4日から戦勝記念廟前祭1789年に清朝が290,000の軍勢で侵入し、5日でThang Long城を占領したが、旧暦2月5日にQuang Trung-Nguyen Hueがこれを打ち破った。中日新聞「多死社会」火葬場1週間待ちも 浜松市が斎場再編方針団塊の世代なので、生まれた時から死ぬ時まで窮屈だ。昨年は窯遊舎が一足お先に出かけたが、浜松の火葬場は修理中と言われて、雄踏町まで煙になりに出かけた。これからは天国の門で門前払いを喰らうものもおろう。帰って来たヨッパライザ・フォーク・クルセダーズ作詞:ザ・フォーク・パロディ・ギャング作曲:加藤和彦発売:1998/03/18おらは死んじまっただおらは死んじまっただおらは死んじまっただ天国に行っただ長い階段を黒の階段をおらは登っただふらふらとおらはよたよたと登り続けただやっと天国の門についただ天国よいとこ一度はおいで酒はうまいしねえちゃんはきれいだワーワーワックーおらが死んだのは酔っぱらい運転でおらは死んじまっただおらは死んじまっただおらは死んじまっただ天国に行っただだけど天国にゃこわい神様が酒を取り上げていつもどなるんだ(なあおまえ、天国ちゅうとこは)(そんなに甘いもんやおまへんのや)(もっとまじめにやれ)天国よいとこ一度はおいで酒はうまいしねえちゃんはきれいだワーワーワックー毎日酒をおらは飲みつづけ神様の事をおらはわすれただ(なあおまえ)(まだそんな事ばかりやってんのでっか)(ほなら出てゆけ)そんなわけでおらは追い出され雲の階段を降りて行っただ長い階段をおらは降りただちょっとふみはずしておらの目がさめた畑のど真中おらは生きかえっただおらは生きかえっただ

「老いる家 崩れる街(住宅編4節抜書) ー 野澤千絵」老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路 講談社現代新書

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/34436034/
2025-01-29 01:00:00 - 「老いる家 崩れる街(住宅編4節抜書) ー 野澤千絵」老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路 講談社現代新書 「再自然化」し始める住宅団地 大都市から少し離れた郊外の住宅団地に行くと、まちの「スポンジ化現象」が、他のまちよりも先行して現れている光景を目の当たりにすることがあります。 前ページの写真は、都心から50キロ圏、埼玉県のほぼ中央にある東武東上線東松山駅から約3㎞離れた丘陵地にある住宅団地群の一つです。この住宅団地は、放置された空き家や空き地がいたるところにあるだけでなく、周辺の木々・植物が放置された空き家に覆いかぶさり、まるで「再自然化」し始めたかのような場所が見られるようになっています。 この住宅団地は、最寄りの鉄道駅まで約3㎞、スーパーまでは2㎞以上あり、車がないとアクセスするのが難しい丘陵地にあります。小学校は住宅団地内にありますが、1学年10~25名で、全校生徒が100名ににも満たない状況です。 開発後すでに40年以上経過しており、住宅が老いているだけでなく、居住者の老いも進行しています。そのため、この団地に住んでいる住民の寿命が尽きる時期になると、その相続人が引き続き居住する場合は良いのですが、居住しない場合、老いた住宅をどうするかという「住宅終末期問題」が噴出することとなります。 相続した住宅が値段を下げても売れない場合には、放置・放棄される空き家・空き地が増えてしまい、いずれゴーストタウンになってしまう危険性もあるのです。 実際にこの住宅団地では、土地を売りたくても買い手がつかない状況なのか、近隣住民に向けて「43坪格安売ります」という手作り看板(所有者の電話番号が書かれている)が空き地に立てられており、地主自らが土地の買い手を探そうとしている様子がうかがえます。空き家のタイプ4類型 野村総合研究所によると、住宅の除却や住宅以外の用途への有効活用がこのまま進まない場合には、2023年には5戸に1戸が空き家に、2033年にはなんと3戸に1戸が空き家になると予測されています。この背景には、2025年前後には日本人口の5%を占めている団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になり、2035年前後には、団塊の世代の死亡数が一気に増えると予想されることが挙げられます。 近年、老いた住宅の居住者の死後、相続人がその住宅を引き継いで居住するケースが少なくなっているため、全国のいたるところで、老いた団塊の世代の寿命が尽きてしまうある時期から、空き家が爆発的に増加する危険性があるわけです。 メディアではこれまで、空き家が急増していることや、「放置空き家」が周辺の住環境や資産価値に影響するといった問題がクローズアップされてきました。しかし、空き家といっても実は様々なタイプがあり、また、その空き家が建つ立地も様々で、こうした詳細な分析をもとに、今後の住宅政策や都市計画をきめ細かく考えていくことが重要です。 空き家のタイプには、国の住宅・土地統計調査によれば、「賃貸空き家」「売却用空き家」「二次的住宅」「その他空き家」という4つの類型があります。「賃貸空き家」は賃貸のために空き家になっている住宅、「売却用空き家」は、売却のために空き家になっている住宅、「二次的住宅」は、別荘やふだん居住する住宅とは別に、残業で遅くなったときなど、たまに寝泊まりしている住宅、「その他空き家」は、転勤・入院などにより居住世帯が長期にわたって不在の住宅や、建て替えなどのために取り壊す予定の住宅、空き家の区分の判断が困難な住宅のこととされています。 この空き家のタイプの中でも、国の住宅政策の中で着目されているのが、「その他空き家」です。「賃貸空き家」や「売却用空き家」は、所有者によってそれなりに維持管理がなされる可能性が高いと考えられますが、「その他空き家」は、賃貸したり、売却しようとしているわけではないため、いずれ周辺の住環境に影響するような「問題空き家」へと発展途上する可能性があるのです。老いた住宅に老いた居住者が さて、2013年時点で居住されている住宅ストック総数は、約5210万戸ですが、これを建築年代別に見ると、新耐震基準施行前の1980年以前に建築された住宅は1369万戸にもなります。つまり2013年現在、居住されている住宅のさわりにのぼる住宅が、築35年以上経つ老いた住宅です。もちろん、1980年以前に建築された場 場合でも、耐震性が確保されている住宅もあります。いずれにせよ、こうした老いた住宅には、高齢者世帯が住んでいる場合が多くなっています。国土交通省の資料によると、1980年以前に建築された住宅の約42%(580万戸)に高齢単身・高齢夫妻ね世帯が居住しています。 つまり、老いた住宅に老いた居住者が住んでいるまちが全国いたる所にすでにあるということであり、前述した町田市の地区や神戸市の鶴甲団地だけが特別に高齢化が進んでいるわけではないのです。これには、高度経済成長期に大量に建てられた住宅は、当時、働き盛りの世代が購入した場合が多く、現在も引き続き、そのまま居住しているケースが多いことが関係しています。 新耐震基準を満たしていない老いた住宅は、解体・除却をして建て替えをするか、あるいは、若い世代のニーズに合わせて、耐震改修を伴うリノベーションをするなど、現代のニーズにあった良質な住宅へとよみがえらせることができれば、将来世代にツケを残さず、安心して引き継いでいけます。しかし、こうした対応ができなければ、居住者の死亡後に誰に引き継がれることなく、空き家となる可能性が高いため、老いた住宅は、放置・放棄化する空き家予備軍ともいえるのです。 2025年頃、団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となり、その割合が20%近くに膨れ上がります。そして、日本人の男女の平均寿命が84歳(2015年世界保健機関発表)ですので、2035年頃には、団塊の世代の死亡数が一気に増えると予想されます。居住者の死後、その住宅を相続した人が引き続き居住せず、賃貸、売却をしない・できない場合、相続人がそのまま放置してしまうケースも多いため、「その他空き家」がどんどん増えていくわけです。 もし、「その他空き家」の管理が適切に行われない場合、建物の劣化が進み、地震や台風などによる倒壊で通行人や周辺の住宅に危害を及ぼしたり、ネズミなどの動物が棲みついたり、生い茂った雑草などにより害虫が繁殖するなど、不衛生な環境になってしまいます。こうして放置された空き家は、放火の標的になったり、不審者のたまり場となるなど治安が悪化し、周辺の不動産価格の低下を招くなど、まち全体に影響します。 そして、まちの住環境の悪化がおまりにも深刻になると、将来、多額の税金を投入してそれを改善して行かざるを得ない事態も生まれかねません。これまでには想定していなかったような新たな社会的コストが必要になってくる可能性があります。 住宅地の行く末は、団塊世代の死後、相続する子供世代(団塊ジュニア)や親族が実家をどのように取り扱うかにかかっているといっても過言ではないのです。急増する実家の相続放棄と「負動産」 団塊世代の地方にある実家や、団塊ジュニア世代の地方や大都市郊外にある実家を相続する時期となり始めています。特に「その他空き家」は、住む予定のない実家の相続のタイミングで増えて行く可能性が高いのです。 親の死後に残されるのは、プラスとなる遺産だけではなく、住宅の質や立地によっては、売りたくても買い手がつかない「負の遺産」となるケースがすでに続出しており、前述したように、「負動産」と揶揄されることもあるくらいです。 思い出のたくさん残る実家を相続して、とりあえず空き家のまま置いておく場合も多いのですが、固定資産税などの税金、老朽化した建物等の修理費や雑草の伐採などの空き家の維持管理費といった金銭負担だけでなく、ご近所に迷惑をかけていないだろうか?といった精神的負担も大きくなります。 そのため、近年、住む予定がない実家の相続を放棄するケースが急増しています。相続放棄とは文字通り、全ての財産を相続しないことです。司法統計によると、相続放棄の申立件数はここ20年間で3倍にまで膨れあがっています。 この背景には、就職などで都会に出ている人が地元に帰らない・帰れないことから実家の維持管理ができない、固定資産税の負担を避けたい、売れない「負動産」を引き継ぎたくない、最終的に必要な空き家の解体費用を負担したくないといったことがあります。 では、所有者の死亡により空き家になってしまった実家が相続放棄された場合、誰が管理責任を負うのでしょうか? 相続放棄をした場合、相続財産に権利を持たないのだから、その財産の管理責任からも解放されると思いがちです。しかし、民法940条に定められているとおり、実家などの相続放棄をしたとしても、家庭裁判所によって相続財産管理人(弁護士や司法書士など)が正式に選任され、実家の管理を開始するまでは、適切な管理を継続しなければならないのです(もし相続放棄した空き家において、何か事故があれば法的責任を追及される可能性もあるのです)。ただ、相続財産管理人の選任申し立てには、数十万円もの予納金を負担しなくてはいけないため、実際には相続財産管理人が選任されずに放置されてしまうことも多いのです。 今後も相続放棄が増加していく可能性が高いことから、これまでの家が有力な資産だった時代には想定されなかった新たな事態に対応できるよう、相続放棄された建物の管理や処分について、形式的すぎる(無意味な?)手続きを簡略化して円滑な対応が可能となるよう、法制度の整備や仕組みづくりが急務なのです。

箕輪町の人口は。

https://ja0hle.exblog.jp/34430289/
2025-01-27 01:00:00 - 令和7年1月1日の住民基本台帳人口をお知らせします。 ◆1月1日の住民基本台帳人口 男 12259人女 12128人計 24387人 (前年比△76人) 年少人口 2884人生産人口 14091人高齢人口 7412人 年少人口比率 11.8%高齢化率 30.4%  4月以降の人口推移R6.4.1 24378人7.1 24330人10.1 24357人R7.1.1 24387人   4月から12月までの出生・死亡数出生数 113人(前年同期111人)死亡数 204人(前年同期209人)  (今年度の人口推移の状況) ・4月以降横ばいで推移している。自然減はやむを得ない。4月から12月で△91人。詳細は、分析が必要だが社会増減はほぼプラマイゼロ。令和5年の秋から急減していたものがほぼ横ばいになった。(理由不明) ・男女別では、相変わらず男性が多いのが特徴。特に、20代は、男性1257人に対し、女性は1025人。20歳代の女性が少ないことが課題。(転出増、Uターン不足) ・高齢化率に大きな変化なし。団塊の世代が後期高齢に入り高齢化の進展は顕著に。 ・出生数は、昨年並みか。150人の確保は難しそう。少子化対策の成果なかなか出ない。 (感想)・現在、町では、新たな人口ビジョン策定中です。・町のすべての施策が人口減少対策につながる意識でやらないとダメ。・今後の課題として、世代間バランス、合計特殊出生率の推移、生産年齢人口の転入誘導、元気高齢者施策、土地利用の見直し、住環境対策などが論点に。・県の示した「信州未来共創戦略」などを参考にしていくこと。・人口減少の歯止め策は引き続き必要。・減少することを前提とした議論に集中することはどうか?     

第74回ふれあい市場写真展 2025年1月11日 到着順 課題「雰囲気・空気感」&自由

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2025-01-26 01:00:00 - 第74回ふれあい市場写真展 2025年1月11日到着順 課題「雰囲気・空気感」&自由課題「雰囲気・空気感」1 白鷺に魔法をかけた2 2024年12月26日3 京都市鴨川4 紅葉も終わりかけの時に紅葉の向こう側を見てみると白鷺が一羽、紅葉に溶け込んでいて秋らしい雰囲気を感じました。5 髙橋 幸男1 柳井市上空に漂うもや2 2024年12月5月05日3 周防大島町飯の山4 寒い冬になることを予感させる景色。5 森重 幸雄1 静寂に染まる新しい年明け2 2025年1月1日3 岩国市4 キリッと気持ちが引き締まり、そして感謝せずにはいられない一日のスタートのこの空気感が大好きです。5 大久保 妙子1 三連吊橋 ‐その雰囲気・空気感が好き‐ 2 2024年11月27日3 来島海峡サービスエリア4 「声高に 叫ぶことなく 世界初」来島海峡大橋は、2基の巨大コンクリートブロックでメインケーブルを固定し、共有(1999完成)。世界初の工法と知り、改めて、感動したことでした。5 新保 眞理1 荒おのこ2 2024年11月23日3 防府天満宮4 「裸坊まつり」の夜は不思議と寒くなる。冬の始まりだ。境内の中央に陣取った男衆が祭りを盛り立てる熱気は凄みと迫力に満ちている。その周りでは白装束に梅の潔斎を捺してもらった担ぎ手衆がまだかまだかと出番を待っている。5 吉留 文男1 マラソン直後なのに?!2 2024年12月1日3 岩国市愛宕町55field4 日米親善リレーマラソンに参加。4キロ以上走ったのにも関わらず、子どもの元気さに驚き!参りました!5 細野 万里子1 ラクガキ2 2025年1月6日3 室積・田布施間の国道188号線沿い4 この通りにあった幾つかの飲食店はすべて廃業。この建屋が何であったかは定かでありませんが、落書きが何となく時代を感じさせるようで・・・。5 山本 信夫1 気分は遊園地2 2024年12月30日3 柳井市日積4 広いのが取り柄の田舎での楽しみ方です。5 古川 松生1 梟のお出迎え2 2024年12月31日3 周防大島町 海の見える野鳥公園4 梟と4カ月ぶりの再会です。敬礼で迎えてくれました。5 三原 伊文1 弥山より2 2024年12月21日3 宮島4 登山道清掃ボランティアの休憩時間に撮影しました。5 明石 哲弥自由作品1 ベスト クリスマス2 2024年12月11日3 滋賀県守山市駅前4 手作りのフィルターを使用してクリスマスツリーをクリスマスらしく撮りました。クリスマスツリーがスマホに映っているのもよかったです。 5 髙橋 幸男1 要塞のような水門2 2024年12月25日3 柳井市4 大雨や高潮などに備え、ポンプ場と共にあちこちに設置。備えは事前にしかできない。平穏だからこその違和感。5 森重 幸雄1 イケオジ達の背中を見せてやる〜2 2025年12月15日3 香川県三豊市4 40年来の友達が集いました。こんな機会もう無いかもしれないと、皆にポーズをお願いしました。5 大久保 妙子1 静寂に身をゆだねて ‐刳り船‐ 2 2024年10月20日 3 カンボジア・メコン川中流に架かる橋の袂4 「お静かに お静かにってば お静かに」天空を映し出した水面に、その身をゆだねている刳り船。永遠に続くかのように感じられたそのやすらぎは、この後、小さく吹いた風が一瞬にして奪い去ってしまいました。5 新保 眞理1 恋人はサンタクロース?2 2023年12月23日3 防府市戎町4 街角にできたイルミネーションとサンタクロースとの集い。サンタさんもモバイルで今夜のディナー・スポットを探しているのでしょうか?メリークリスマス❣5 吉留 文男1 時の過ぎゆくままに・・・2 2025年1月6日3 室積・田布施間の国道188号線沿い4 通る度目にする廃業レストラン、かつてハンバーグがおいしいといって食べていたのは、何時の頃でしょうか。5 山本 信夫1 新春夢福引2 2025年1月1日3 柳井市ゆめタウン4 いやはや長蛇の列で、順番が来た時には残り3等が9本でした。(結果は4等)5 古川 松生1 冬菫2 2024年12月31日3 周防大島町 海の見える野鳥公園4 まさか真冬に菫に会えるとは! 歳時記にはきっちり冬菫で載っていました。5 三原 伊文1 鳥居2 2024年12月21日3 宮島4 海沿いに鳥居をくぐるのは宮島ならではです。5 明石 哲弥木村ヨーシローが選んだこの3枚●課題「雰囲気•空気感」雰囲気や空気感というものはある程度は自然に写り込んでしまうものですが、今回はやはり課題ですので、撮るときによく意識されていたかが気になります。写真を評価するときによく「雰囲気がある」とか「空気感が写っている」とか言いますが、具体的にはどういうことかお分かりですか?技術的にはカメラやレンズの選択であったり、露出の選択であったりもします。名レンズを評する時にもよく「空気感が写る」とか言われます。「このレンズの絞りが開放の時の描写がたまらない」とか会話できるようになると写真の腕も上達すると思いますので、今後も研究を重ねてみてください。(1)t_03 大久保課題 静寂に染まる新しい年明け素晴らしい構図と色彩ですね。2025年がこの作品の日の出と同じように輝かしい年であって欲しいという願いも込めて選定させていただきました。日の出の雰囲気、そして空気感が間違いなく写し込まれていると思います。特に面白いのは日の出だけではなく釣り人を配したことです。これでありがちな日の出写真にならずに済みました。頭のライトも暗い時間からスタンバイしていた雰囲気を伝えています。そして斜めに伸びた竿の先に日の出があり、まるでお日様を釣ったかのような。でもよく見ると釣り糸の先に餌が付いているので、これが釣れた魚だったら最高だったかもしれません。でもとにかく年初から目出たい作品をありがとうございます!(2)t_06 細野課題 マラソン直後なのに?!動きのある予測不可能な子どもたちが完全に決まっています。三人のバランスが見事ですね。なかなか三人は同時には決まりにくいものですが、その点だけでも凄いです。そして後方の広いグラウンドの様子や雲の様子までが画面全体の立体感を強めて空気感やこの場の雰囲気を伝えてくれています。それが主役の子ども三人の邪魔にならずむしろ引き立てていることがこの作品の良いところです。しゃがんで低い目線で撮影したことが成功の鍵ですね。それにしても長距離を走った後でもこの元気さですかーいや、若いって素晴らしいですね。子どもたちの未来が素晴らしいものでありますように!そう願わずにはいられません。(3)t_01 髙橋課題 白鷺に魔法をかけた個人的に好きな雰囲気の作品です。昔の色あせたフィルム写真を思わせるようなレトロな雰囲気があります。紅葉が手前にあってそれがフィルターのような効果を出したそうですが、そういう効果を積極的に作画に利用することは高度な技術です。そしてこういう独自の技術を使いこなして続けていくことで誰にも真似できないオリジナルな作品を確立することができますので、他のメンバーの方も参考にされてはいかがでしょうか?写真作品というものは何もハッキリクッキリ鮮やかばかりではないということです。主題や目的がはっきりあれば何でもありです。さて今回高橋さんはこの雰囲気を魔法に例えられましたが、明確に見えないために色々な想像が働きます。ちなみにですが、私は大地の裂け目を白鷺が覗いているように見えました。それは今が時代の境目のような気がしているかもしれません。●自由(1)t_13 大久保自由 イケオジ達の背中を見せてやる~大久保さんがまた太陽に向かって撮って成功しておられます。その昔、写真は逆光で撮ってはいけないと掟のように言われていましたが、それはもう完全に死語ですね。最近のカメラとレンズは暗部も潰れずに描写するので進歩が凄いです。ところで説明がなければオジさんなのか若者なのか分かりませんが、海と太陽に向かってみんなで肩を組むなんてもう青春のイメージそのもの。イメージとしてはありふれているのですが敢えて王道で撮影したことに拍手です。構図も王道。太陽、人、影が一直線で結ばれた揺るぎない安定感で鑑賞者としては安心感さえも感じます。その結果五人組に共感して思わず声援したくなるということに。やはり王道は強いということを再認識させられました。(2)t_14 新保自由 静寂に身をゆだねて‐刳り船‐「刳り船」の読み方が不明なのですが、とにかく癒される風景ですね。この船の形がとても美しいので、その美しさに感動して永遠の安らぎのようなものを感じて見とれてしまいます。造形にはそのような力が宿っていますよね。そしてそれが大自然の中に理想的な位置に配置されているので、もう何も申すことはございません。新保さんの審美眼の高さに脱帽です。(3)t_17 山本自由 時の過ぎゆくままに・・・今後の可能性を感じたので選ばせていただきました。私も沢田研二のその曲が好きでよく歌います。それは置いといて、、、朽ちてゆく元お店と見える廃墟と今現在を走っている車の組み合わせで否応なく時の流れを意識させられます。車体が高速なのでブレて一部半透明になって、そのイメージのダブり方が写真ならではの効果を発揮しています。目の前の一瞬を切り取るはずの写真から人間は想像力を働かせて時の流れを感じることができるのですが、それは記憶を経験に基づいた映像として辿ることができるからでしょうね。そういうときにふと不思議な感覚になります。体ごと過去にタイムスリップしたり。例えばこの廃墟を見ると昭和の時代を思い出して沢田研二の曲が頭の中で聞こえてきて今が曖昧になったり。こういう観念的な世界を追求して作品として完成度を上げていかれてはいかがでしょうか。岩谷昇平のワンポイントアドバイス課題「雰囲気・空気感」課題「雰囲気・空気感」今月の課題は難しいですね、その中から私が選んだ4作品、まず細野さんの「マラソン直後なのに?!」です、この作品は完走した後の雰囲気、喜びが良く伝わってきます、光線の加減もいいしピントも良く合っています、子供さん達の表情も最高です、後ろの照明塔の配置もいいしそれに子供の手が重なっていないのがいいですね、良い瞬間を良い場所で撮られたと思います。 次に吉留さんの「荒おのこ」です、この作品は防府天満宮の 裸坊まつり の一コマですが出番待ちの雰囲気が良く伝わってきます、ピントもよく合っています、望遠レンズを使い圧縮効果で祭りの雰囲気が一層増しています、私としたらもう少し動きのある光景が見たかったですね。 次に山本さんの「ラクガキ」です、この作品は題名を見て写真の中のラクガキを探しました、面白いラクガキですね、がれきと化した元ドライブイン、この空気感が何とも言えないですね、まるで団塊の世代が書いた様なラクガキですね、この作品は縦位置の方が良かったと思います、右半分は要らない様なきがします。ここは室積寄りの元ドライブインですね、私も営業中何度か行ったことがあります、よくここを通りますので今度気を付けて見て見ることにします。 次に三原さんの「梟のお出迎え」です、この作品は直立不動での敬礼、久々の御対面 感動しますね、梟もてをあげて答えています、最初この写真を見た時、もう少し切り込んだ方がいいのでは…と思いましたが、生徒から延びる一本の細長い影を見て納得�しました。これは何の影ですかね~ 生徒さんの影にしては細すぎる様に感じるのですが? それにしても長い影ですね、この影はどこま続いているのだろう…と思わせるような切り口です。 自由課題まず一点目は新保さんの「静寂に身をゆだねて…」です、この作品は課題作品でも良かったのではないかと思います、水に写った青い空と雲、そこに浮かぶ小舟、まさに静寂と広がり、空気感がよく伝わってきます、水平線を上にあげ空が写り込んだ水面を強調しているところが良いですね。 次に大久保さんの「イケオジ達の背中を見せてやる」です、5G(ファイブジー)の背中ですね、ここは父母ヶ浜ですか?太陽と青い空と雲と海、何と言ってもこの作品の意面白いところは5人の長く伸びる影と砂浜の足跡です、もう少し待ったら潮溜まりで面白い写真が撮れたかも…。 次に吉留さんの「恋人はサンタクロース」です、スマホを操る!まさに現代のサンタクロースですね、面白いですね、サンタが女性に道を教えているのですかね?ピントも良く合っています、バックの処理も良いですね、クリスマスの雰囲気が良く出ています。 次に森重さんの「要塞のような門」です、まさにこうして見ると要塞のように見えますね、この写真は180°回転させても絵になりますね、目の付け所がいいですね。私もよくここを通りますがこんなに上の光景が水面に写りこんでいるのは見たことがありません、良い時間に良い場所から取られたと思います。今回も見させていただき題名の件でまた一言。題名で一点取ることがままにあります、説明文のような題名ではなく完結明瞭で膝を打つような題名をお願い致します。以上簡単ですが私のアドバイスと致します。

2025/1/23 遠い太鼓④

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2025-01-24 01:00:00 - あJET STREAM・・・作家が描く世界への旅。今週は、小説家・村上春樹の紀行エッセイ『遠い太鼓』の中から、「ミコノス」と題された一篇をお届けしています。今夜は、その第4夜。ギリシャのミコノス島で、冬を過ごす作家夫婦。シーズンオフの島で、執筆の合間の楽しみは、地元のバーに行く事だった。ミコノスの生活でよく覚えているのは、夜のバーライフだ。僕らは、日が暮れると、よく街に飲みに行った。ミコノスの街には、バーがいっぱいあった。僕は、昼間は大体一人で、部屋にこもって仕事をしている。女房はその間、本を読んだり、イタリア語の勉強をしたり、日向で猫と遊んだりしている。対話というようなものは、あまり無い。だから、日が暮れるとバーに行って、二人で酒を飲みながら、色んな話をした。僕も、酒を飲んでリラックスして、昼間のテンションをほぐしておく必要があった。ミコノスのバーは、なかなか悪くない。それほど田舎っぽくもないし、かといってツンツン気取っている訳でもない。値段も、そこそこに安い。シーズン中は外国人観光客を当てこんで、それなりの料金を取るのだろうが、シーズンオフともなると、客はほとんど地元の人間だから、値段は当然リーズナブルなものになる。二人で、まずまず真っ当なカクテルを3杯ずつ飲んで、軽いつまみを取って、大体1000円ちょっとくらいだったと思う。ただ酒を飲むだけではなく、そこに行って、店の人とあれこれ世間話をして、地域情報を仕入れるのも、我々にとっては、数少ない娯楽の一つだった。僕がよく行ったのは、モニカ・バーとミノタウロス・バーと、ソマス・バーだった。ミコノスのバーは過当競争で、しょっちゅう様変わりするから、これらのバーも、今はもう無くなってしまったかもしれない。モニカ・バーで働いていたフランス人の女の人とも、よく話をした。彼女の名前は忘れてしまったが、小柄で表情の豊かな人だった。多分僕と同じ世代に属する人間だろうと、思う。「もう十何年、ミコノスに住んでるのよ」と、彼女は言った。「若い頃に、フラッとここを訪れて以来、この島に魅せられて、そのままもうどこにも行けなくなってしまったの」と、彼女は言った。ミコノスには、この世代のヨーロッパ人が多い。いわゆる団塊の世代、である。彼らはヒッピー崩れ的に、フラフラと西欧社会からドロップアウトして、島にそのまま住み着いてしまったのだ。ギリシャの島には、よくその当時のコミューンの成れの果て、みたいなのが見受けられる。どういう訳か、当時のヒッピーたちは、島がすごく好きだった。彼女は、ミコノスに取り憑かれたのだ。彼女は、近隣の島を訪れた事さえ無いのだと言った。彼女は、ロードスにもサントリーニにも行った事が無い。「私にはミコノスがあるのよ。どうして他の島に行かなくちゃならないの?」モニカ・バーは、モニカというドイツ人の女性の経営するバーで、夜になるとここは、ミコノス在住の外国人コミュニティーの集会場、みたいな感じになる事が多かった。みんな人寂しいから、夜になると、なんとなくここに集まってきて、騒ぐのである。[バー]そんな訳で、時々賑やかになりすぎる事が、この店の欠点である。でも、ドイツ人が経営するだけあって、ドイツ風の家庭料理がなかなか美味しい。寒い日にはよくここに来て、ドイツ風の熱いスープを飲み、豆の煮物を食べ、ボイルしたソーセージを食べた。

遠い太鼓

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2025-01-19 01:00:00 - 『遠い太鼓』作家 村上春樹の紀行エッセイ2025/1/20 遠い太鼓 ①2025-01-21 テーマ:旅の物語JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。今週は、小説家・村上春樹の紀行エッセイ『遠い太鼓』の中から、「ミコノス」と題された一篇をお届けします。今夜は、その第1夜。「遠い太鼓に誘われて私は長い旅に出た」トルコの古い歌を引用して始まる、村上春樹の紀行エッセイ『遠い太鼓』は、旅を愛する者たちに広く読み継がれてきた。1980年代半ば、作家夫婦はイタリアとギリシャに旅立ち、エーゲ海の小さな島・スペッツェス島に暮らした。やがて季節は冬になり、二人は別の島に移る事にする。ミコノス島で暮らす事になるなんて、考えてもみなかった。ミコノスは、僕も以前に2度、行った事がある。綺麗な島だ。[ミコノス島]でも正直に言って、ミコノスはあまりにもツーリスティックに過ぎると、僕は考えていた。そこは、生活をする場所ではない。そこは、訪れて楽しむ場所なのだ。仕事をするには、もっと静かで、落ち着いた島が必要なのだ、と。でも、結局ミコノスに、1ヶ月半も滞在する事になった。その後シシリーに行くと決めていなかったら、もっと長くいたんじゃないかと思う。ミコノスのレジデンスを僕に紹介してくれたのは、アテネの旅行代理店に勤めている、インゲという名前のアメリカ人の女の子だった。20歳ちょっとくらいの、割に可愛い女の子だ。僕は、彼女の働いているオフィスに行って、「どこか静かな島で、月極の家具付きフラットを借りたいのだが」と相談してみた。スペッツェスの家も悪くはないのだが、いかんせんサマーハウス用に造られた家だから、冬に住むには寒すぎた。毎日震えて暮らしていた。薪をくべる暖炉の他に、暖房設備というものが無いのだ。薪を集めるのにも疲れたし、それに雨が降ると、薪にカビまで生えて、火付きが悪くなる。もっと、暖かい家に住みたい。あんな所にいたら、寒くて寒くて、とても仕事どころではない。でも、満足できるようないい物件は、なかなか見つからない。僕は、シーズンオフなんだから、アパートなんてすぐに見つかると予想していたのだが、これは甘かった。シーズンオフの島では、観光客向けの短期貸しのフラットは、ほとんど閉まっている。客が来ないのに、フラットを開けておいても、家主の手間がかかるだけだ。需要も無いから、供給も無いのである。僕は、困り果ててしまった。インゲも気の毒がって、心当たりの場所をいくつか当たってみてくれたのだが、家主を捕まえる事さえできなかった。みんな一年分の仕事を終えて、ホッと一息ついて、どこかに遊びに出掛けてしまったのだ。でも最後にインゲが、「そうだ、あそこはどうかしら。あそこなら、管理人が一年中いるし」と言った。そして僕に、「ねえ、ミコノスはいかが?あそこだったら、きっと空いてると思うのが1つあるんだけど」ミコノス?でも、まあいいや。こうなったら、家があるだけでも、感謝しなくちゃいけないみたいだし。インゲはすぐに電話をかけて、問い合わせてくれた。「OK。2ベッドルームと、居間とキッチンとバスルーム。広いベランダも付いていて、見晴らしはすごくいい。家賃は、7万ドラクマ」悪くない。それに決める。とりあえず1ヶ月だけ、住む事にする。「ねえ、きっとあそこ、気にいると思うわ」と、インゲは言った。「私もそこに、1週間くらい滞在した事があるの。静かですごくいい所よ」Edit : Norio MurakamiQuote:JET STREAM2025/1/21 遠い太鼓②2025-01-22 テーマ:旅の物語JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。今週は、小説家・村上春樹の紀行エッセイ『遠い太鼓』の中から、「ミコノス」と題された一篇をお届けしています。今夜は、その第2夜。ギリシャのスペッツェス島に借りた家は、夏を過ごすための造りで、冬は暖房もままならない。引越しを決意した作家は、ミコノス島に見晴らしのいい部屋を、紹介される。ミコノス島も、やはりシーズンオフだった。店の3分の2は、閉まっていた。しかし、逆に言えば、3分の1は開いているのだ。その辺が、スペッツェスとは違う。どんなにシーズンオフでも、ミコノスには少しは観光客が来るのだ。だから、土産物屋もレストランもホテルも、それに合わせて何軒かは開いている。夏には、一日に6隻来ていたクルーズ船も、2日に1隻くらいに減る。でも、とにかく少しは来る訳だから、それを相手にいささかの商売は成立する。秋冬のミコノスに来るのは、シーズンオフの低料金を利用して旅行する、北ヨーロッパの年金生活シニアシチズン。この人たちは、のんびりと静かに、安く旅行したいという大前提があるので、この季節を選んでくる。あるいは、日本人の団体客、新婚が多い。しかし、シーズンオフのミコノスに来て、果たして楽しいかというと、僕としてはやはり、首を傾げざるを得ない。[ミコノス島]その後も合わせて、僕は春夏秋冬と一応全部のシーズン、ミコノスに来たけれど、わざわざ金を払って冬のミコノスに来ても、しょうがないんじゃないかな?という気がする。もちろんこれは、僕の個人的な意見であって、物事には好き好きというものがある。「いや、私は冬のミコノスに来て、深く感動しました」と言われれば、話はそれまでである。でも、ミコノスの住人に、僕は何度か質問された。「なんでまた日本人は、みんなわざわざ11月、12月、1月の寒風吹き荒ぶミコノスに来るんだろう?そんな時に来たって、しょうがないじゃないか」と。そんな時、僕はいつも、彼らにこう説明する事にしていた。「秋は、日本人にとって結婚式のベストシーズンなんだ。だから、新婚旅行でここに来るんだ。新婚なんだから、少し寒くったっていいんだ。それで、ちょうどいいくらいなんだ」と。そう説明すると、みんな大体、なるほどと納得した。それから日本人は、正月旅行というのをやる。お正月の南ヨーロッパと、エーゲ海のなんとかパックというようなのがある。語感からして、いかにも暖かそうだ。でも、これははっきり言って、大きな間違いである。エーゲ海は、グアムやハワイのような、常夏常春の島ではない。大抵の日本人は、エーゲ海の島は赤道近くにあると思っているみたいだが、地理的に言えば、ミコノス島と東京は、ほぼ同じ緯度上に存在する。要するに、誰が何と言おうが思おうが、冬はやはり寒いのだ。そしてミコノスは、非常に風の強い所である。地表から全ての物体を薙ぎ払おうとするかのように、激しい風が吹く。冷たく、湿った風である。一度吹き始めると、強風は最低3日は続く。朝から晩まで、風は一刻の休みも無く、吹き続ける。そして、一晩中狂おしい音を立てて暴れ回り、干木を薙ぎ倒し、窓をガタガタガタと鳴らし続ける。天気も悪いし、しょっちゅう雨が降る。Edit : Norio MurakamiQuote:JET STREAM2025/1/22 遠い太鼓 ③2025-01-23 テーマ:旅の物語JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。 今週は、小説家・村上春樹の紀行エッセイ『遠い太鼓』の中から、「ミコノス」と題された一篇をお届けしています。今夜は、その第3夜。11月から1月のエーゲ海、南ヨーロッパの気候は、観光旅行には勧めない、と作家は言う。だが、このミコノス島、この季節が、ベストセラー『ノルウェイの森』誕生の、準備期間となっていく。時には、雪だって降る。街は、ガランとしている。もちろん泳げない。美味しいレストランは閉まっている。ホテルの従業員は、やる気が無い。わざわざそんな所に来ても、寒々しいだけである。がっかりする人も、多いのではないかと思う。遊びに来るのなら、何と言っても夏です。ツーリスティックだとか、人が多いとか言われても、ホテルが満員で、物価が高くて住民が不機嫌でも、近所のディスコがうるさくて眠れなくても、やはり夏のミコノスはすごく楽しい。それは、もう1つの祝祭なのだ。でも結果的に言って、このような酷い天候にもかかわらず、いや、このような酷い天候なればこそ、シーズンオフのミコノスは、僕が静かに仕事をするには、実にもってこいの環境だった。家の居心地は良かったし、特に他にやる事も無いし、集中して仕事をする事ができた。僕はここで、C. D. B. ブライアンの、『グレート・デスリフ』という小説の翻訳を、仕上げた。結構長い小説だったのだけれど、面白い話だったし、とにかくこれを早く仕上げて、自分の小説にかかろうと思って、コツコツと毎日翻訳を進めていた。この頃は、まだワードプロセッサーを使っていなかったから、大学ノートに万年筆でぎっしりと、字を書いていた。『グレート・デスリフ』を最後まで仕上げてから、スペッツェス島での生活について、いくつかスケッチのような文章を書き、それから待ちかねていたように、小説にかかった。その頃には、その小説が書きたくて、僕の体はどうしようもなく、ムズムズしていた。体が言葉を求めて、カラッカラに乾いていた。そこまで自分の体を持っていく事が、一番大事なのだ。長い小説というのは、それくらいギリギリに持っていかないと、書けない。マラソンレースと同じで、ここに来るまでの調整に失敗すると、長丁場で息が続かなくなる。この小説は、後に『ノルウェイの森』になる訳だが、この時にはまだタイトルも付いていない。[『ノルウェイの森』]400字詰めで、300枚か350枚くらいの、さらっとした小説にしよう、というくらいの軽い気持ちで書き始めたのだが、100枚くらい書いたところで、「こりゃダメだ。とても、300、400じゃ、終わらない」と、分かった。以来翌年(1987年)の4月まで、シシリー、ローマと移動しながらの小説漬けの生活に、のめり込んでいく事になる。結局、出来上がった小説は、900枚だった。Edit : Norio MurakamiQuote:JET STREAM2025/1/23 遠い太鼓 ④2025-01-24 テーマ:旅の物語JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。今週は、小説家・村上春樹の紀行エッセイ『遠い太鼓』の中から、「ミコノス」と題された一篇をお届けしています。今夜は、その第4夜。ギリシャのミコノス島で、冬を過ごす作家夫婦。シーズンオフの島で、執筆の合間の楽しみは、地元のバーに行く事だった。ミコノスの生活でよく覚えているのは、夜のバーライフだ。僕らは、日が暮れると、よく街に飲みに行った。ミコノスの街には、バーがいっぱいあった。僕は、昼間は大体一人で、部屋にこもって仕事をしている。女房はその間、本を読んだり、イタリア語の勉強をしたり、日向で猫と遊んだりしている。対話というようなものは、あまり無い。だから、日が暮れるとバーに行って、二人で酒を飲みながら、色んな話をした。僕も、酒を飲んでリラックスして、昼間のテンションをほぐしておく必要があった。ミコノスのバーは、なかなか悪くない。それほど田舎っぽくもないし、かといってツンツン気取っている訳でもない。値段も、そこそこに安い。シーズン中は外国人観光客を当てこんで、それなりの料金を取るのだろうが、シーズンオフともなると、客はほとんど地元の人間だから、値段は当然リーズナブルなものになる。二人で、まずまず真っ当なカクテルを3杯ずつ飲んで、軽いつまみを取って、大体1000円ちょっとくらいだったと思う。ただ酒を飲むだけではなく、そこに行って、店の人とあれこれ世間話をして、地域情報を仕入れるのも、我々にとっては、数少ない娯楽の一つだった。僕がよく行ったのは、モニカ・バーとミノタウロス・バーと、ソマス・バーだった。ミコノスのバーは過当競争で、しょっちゅう様変わりするから、これらのバーも、今はもう無くなってしまったかもしれない。モニカ・バーで働いていたフランス人の女の人とも、よく話をした。彼女の名前は忘れてしまったが、小柄で表情の豊かな人だった。多分僕と同じ世代に属する人間だろうと、思う。「もう十何年、ミコノスに住んでるのよ」と、彼女は言った。「若い頃に、フラッとここを訪れて以来、この島に魅せられて、そのままもうどこにも行けなくなってしまったの」と、彼女は言った。ミコノスには、この世代のヨーロッパ人が多い。いわゆる団塊の世代、である。彼らはヒッピー崩れ的に、フラフラと西欧社会からドロップアウトして、島にそのまま住み着いてしまったのだ。ギリシャの島には、よくその当時のコミューンの成れの果て、みたいなのが見受けられる。どういう訳か、当時のヒッピーたちは、島がすごく好きだった。彼女は、ミコノスに取り憑かれたのだ。彼女は、近隣の島を訪れた事さえ無いのだと言った。彼女は、ロードスにもサントリーニにも行った事が無い。「私にはミコノスがあるのよ。どうして他の島に行かなくちゃならないの?」モニカ・バーは、モニカというドイツ人の女性の経営するバーで、夜になるとここは、ミコノス在住の外国人コミュニティーの集会場、みたいな感じになる事が多かった。みんな人寂しいから、夜になると、なんとなくここに集まってきて、騒ぐのである。[バー]そんな訳で、時々賑やかになりすぎる事が、この店の欠点である。でも、ドイツ人が経営するだけあって、ドイツ風の家庭料理がなかなか美味しい。寒い日にはよくここに来て、ドイツ風の熱いスープを飲み、豆の煮物を食べ、ボイルしたソーセージを食べた。Edit : Norio MurakamiQuote:JET STREAM2025/1/24 遠い太鼓 ⑤2025-01-25 テーマ:旅の物語JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。今週は、小説家・村上春樹の紀行エッセイ『遠い太鼓』の中から、「ミコノス」と題された一篇をお届けしています。今夜は、その最終夜。ミコノス島で執筆生活を送る作家は、夜、島のバーへ行き、地元の人と話すのを楽しんだ。行きつけのミノタウロス・バーとソマス・バーは、個性的な主人のいる店だった。ミノタウロス・バーの主人は、イギリス人の女性と結婚した、ギリシャ人だった。この人はジャズが好きで、渡辺貞夫のレコードを何枚か持っていて、僕が行くとそれをかけてくれた。[渡辺貞夫]「シーズンオフには、いつもロンドンに行って暮らすんだ」と、彼は言った。「でも今年の夏は、商売があまり良くなかったんで、冬も開けてるんだよ。何しろ例のテロ騒ぎで、アメリカ人が来なかったからね」彼は、僕に毎日少しずつ、ギリシャ語を教えてくれた。物静かな男で、味で言えば、このバーのカクテルが一番美味しかった。生のフルーツを使って、丁寧にカクテルを作った。つまみは簡単なものしか無いが、味は悪くなかった。店も彼の性格と同じように、割に物静かだった。そして、いつも適度な音量で、ソフトなジャズをかけていた。「夏は確かに、儲かるけれどね」と、彼は物静かに言う。「でも、私は夏が嫌いなんだ。ミコノスの夏がね。夏には、もう何もかもが、無茶苦茶になってしまう。7月と8月は、死ぬ思いだよ。あと何日でシーズンが終わるんだって、日にちを数えながら、働いているよ。みんなそうだよ。みんな嫌でしょうがない。うんざりしてるんだ。でも、仕方ないからやってるんだ。こういう季節の方が、ずっといいよ。これが、本当の生活なんだよ」そう言って彼は、首を振る。観光業でしか生きていけない、ギリシャの辛さが、彼の言葉に滲み出ている。ソマス・バーは、結構癖のあるバーだった。ソマスはトルコ生まれだが、キプロス紛争の際に、トルコ政府がギリシャ系住民を強制移送したので、イスタンブールを追われ、ほとんど無一文でギリシャに移住した。そして、そういう人々が往々にしてそうであるように、彼は政治に対してはひどくシニカルで、個人主義的だった。背は高くないが、いかにもアグレッシブな顔つきをしていた。若い頃は世界中をうろつき、6ヶ国語をマスターした。色んなバーやホテルで働いて、金を貯めた。そして昨年、ミコノスにバーを買った。ジェット・セット・バーというのが、その名前だった。「でも、もうすぐソマス・バーって名前に変えるんだ。1月にアテネに行って、残金を払ったら、すっかり僕のものになるからね。新しい看板も注文してあるんだ」と、彼は言った。彼はその金を稼ぐために、シーズンオフにも、店を開けているのだ。そして彼は、日本語も勉強していた。多分、最近増えてきた、日本の観光客を当てにしているのだろう。彼の日本語の教科書を見せてもらったのだが、これはかなり酷い代物だった。僕が、ひらがなとカタカナの使い方の区別を教えてやると、お礼にブランディーをご馳走してくれた。Edit : Norio MurakamiQuote:JET STREAM

成人の日とは思えぬ晴天のハイキング日和だ

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2025-01-17 01:00:00 - 過去の記憶には、成人の日は寒く雪の日が多いと言う映像が焼き付いているが、今日はほぼ快晴の晴天に恵まれて、日和田山にもたくさんのハイカーが登っていた。折角だから、ふじみやへもお立ち寄りくださいとPRしておこう。日和田山から高指山を抜けて、物見山に向かう中間に公衆トイレがあるが、そのすぐ近くである。今は、夏みかんが格安に手に入るのでチャンスだ、とてもスーパーなどでは買う気にならなくなる。 今日は、日和田山から帰った後、白米が無くなったのでコイン精米機で玄米を白米にしてきた。記事で見かけたが、農家の倒産や廃業が前年比2割増とある。個人的には当然の成り行きと見ているが、消費者の立場になればコメの高騰が続くので、将来的に死活問題になる気がする。我が家も父親の時代に米作りは止めてしまった。なぜなら儲からないからだ。現実として、土地を売ったお金で生活をしていたようなもんだ。年々とコメだけではないが、農業人口は減って行く。特に団塊の世代が、農業を引退すれば、国内のコメ不足は日常的になるかもしれない。特にこれからは、外国人にとって和食ブームになるだろうから、ますます家庭用のコメが不足すると考える。今年は、知り合いの農家も大手業者に買い占めされているようなので、我が家も30キロ一袋分少ないから、今から戦後のようにくずイモ類(サトイモ、サツマイモ、ジャガイモ)をアレンジし嵩増しして在庫調整中である。恐らく今夏も暑くなることは確かだろうから、自己防衛は重要だろう。 ところで自分は、いつも同じ低山に登っているので、目をつぶってでも同じコースなら歩けるが、コースが違えば不可能だ。それと同じように、初めて登山する人にとっては、登山道が正しいのかどうか不安になる時がある。自分でも初めての山へ行くときは、道を間違えていないか心配になることがある。特に低山になって来ると、いろいろな方向へ抜け道があるので、知らなければ山から出られなくなる可能性がある。そのまま遭難て言うこともあり得る。対策は、紙の登山地図を持って歩いたところをマークすることである。道が地図と合わなくなったら、一旦後戻りすれば正しい道に出ることが出来るはずだ。とにかく低山での遭難が多くなっていると言うことである。 今日で三連休は最後だが、現在インフルエンザ感染が爆発的に拡大しているようなので、明朝起きて熱が出ていたら疑ったほうが良いだろう。インフルエンザは、感染者が近くにいると15分でも空気感染する可能性がある。ウイルスは、他人の口から吐き出されるが、しばらく空中に浮かんでいるので、それを吸い続ければウイルス感染することは当然である。対策は、人が集まるところへ行かないことだ。 最近何かと大阪・関西万博の記事が目立つが、どちらかと言うと悪いことばかり記事になっている気がする。入場チケットを持っていても、行きたいパビリオンに行けるわけではないようだ。インターネットでチケットを購入してから、来場日時を予約するらしい。それでは遠方から新幹線や飛行機で行こうと思っている人は止めてしまう可能性もありそうな気がする。それよりもインターネット予約が、関西圏の高齢者にもネックになるのではないだろうか。それから予約は、休日に集中するだろうから、予約が全て取れるのかも心配である。入場チケットを持っていても、なかなか気が重くなりそうだ。ところで開幕は、ちょうど3か月後なるんですね、前売り券のほとんどが企業による購入らしいが、そのチケットはどうするんでしょうかね、社員に配るのですかね。とにかくどんな展示物があるのかさっぱり分からない状況では誰も入場チケットを買う気にならないだろうし、パビリオンもほとんどが工事中のようでは予約のしようがないですね。 急に思い出したが、今の成人は18歳なんですね、ただ成人式は20歳の時が多いようだ。当然のことだろう、1月と言えば寝る時間も惜しいくらい受験生にとって大事だ、もう関係ないが自分だったら欠席だろう。それから18歳の成人式なら、学生服のままだから、衣装屋が儲からない、経済的にマイナスだ。政治を認識するチャンスであるかもしれないが、受験が終わらないかぎり考える暇は無いだろう。結局は、選挙のための18歳なのかもしれないと考えてしまうのである。 さて今夜は、宮崎県で震度5弱の地震が発生した。津波が発生しているようだが、さすがにこの時刻に海に人がいるとは思えないが、漁場の人は分からないですね。南海トラフ地震の予兆については調査中ではあるが、いずれにせよ今夜は眠れない夜になるのではないだろうか。

成人の日とは思えぬ晴天のハイキング日和だ

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2025-01-13 01:00:00 - 過去の記憶には、成人の日は寒く雪の日が多いと言う映像が焼き付いているが、今日はほぼ快晴の晴天に恵まれて、日和田山にもたくさんのハイカーが登っていた。折角だから、ふじみやへもお立ち寄りくださいとPRしておこう。日和田山から高指山を抜けて、物見山に向かう中間に公衆トイレがあるが、そのすぐ近くである。今は、夏みかんが格安に手に入るのでチャンスだ、とてもスーパーなどでは買う気にならなくなる。今日は、日和田山から帰った後、白米が無くなったのでコイン精米機で玄米を白米にしてきた。記事で見かけたが、農家の倒産や廃業が前年比2割増とある。個人的には当然の成り行きと見ているが、消費者の立場になればコメの高騰が続くので、将来的に死活問題になる気がする。我が家も父親の時代に米作りは止めてしまった。なぜなら儲からないからだ。現実として、土地を売ったお金で生活をしていたようなもんだ。年々とコメだけではないが、農業人口は減って行く。特に団塊の世代が、農業を引退すれば、国内のコメ不足は日常的になるかもしれない。特にこれからは、外国人にとって和食ブームになるだろうから、ますます家庭用のコメが不足すると考える。今年は、知り合いの農家も大手業者に買い占めされているようなので、我が家も30キロ一袋分少ないから、今から戦後のようにくずイモ類(サトイモ、サツマイモ、ジャガイモ)をアレンジし嵩増しして在庫調整中である。恐らく今夏も暑くなることは確かだろうから、自己防衛は重要だろう。ところで自分は、いつも同じ低山に登っているので、目をつぶってでも同じコースなら歩けるが、コースが違えば不可能だ。それと同じように、初めて登山する人にとっては、登山道が正しいのかどうか不安になる時がある。自分でも初めての山へ行くときは、道を間違えていないか心配になることがある。特に低山になって来ると、いろいろな方向へ抜け道があるので、知らなければ山から出られなくなる可能性がある。そのまま遭難て言うこともあり得る。対策は、紙の登山地図を持って歩いたところをマークすることである。道が地図と合わなくなったら、一旦後戻りすれば正しい道に出ることが出来るはずだ。とにかく低山での遭難が多くなっていると言うことである。今日で三連休は最後だが、現在インフルエンザ感染が爆発的に拡大しているようなので、明朝起きて熱が出ていたら疑ったほうが良いだろう。インフルエンザは、感染者が近くにいると15分でも空気感染する可能性がある。ウイルスは、他人の口から吐き出されるが、しばらく空中に浮かんでいるので、それを吸い続ければウイルス感染することは当然である。対策は、人が集まるところへ行かないことだ。最近何かと大阪・関西万博の記事が目立つが、どちらかと言うと悪いことばかり記事になっている気がする。入場チケットを持っていても、行きたいパビリオンに行けるわけではないようだ。インターネットでチケットを購入してから、来場日時を予約するらしい。それでは遠方から新幹線や飛行機で行こうと思っている人は止めてしまう可能性もありそうな気がする。それよりもインターネット予約が、関西圏の高齢者にもネックになるのではないだろうか。それから予約は、休日に集中するだろうから、予約が全て取れるのかも心配である。入場チケットを持っていても、なかなか気が重くなりそうだ。ところで開幕は、ちょうど3か月後なるんですね、前売り券のほとんどが企業による購入らしいが、そのチケットはどうするんでしょうかね、社員に配るのですかね。とにかくどんな展示物があるのかさっぱり分からない状況では誰も入場チケットを買う気にならないだろうし、パビリオンもほとんどが工事中のようでは予約のしようがないですね。急に思い出したが、今の成人は18歳なんですね、ただ成人式は20歳の時が多いようだ。当然のことだろう、1月と言えば寝る時間も惜しいくらい受験生にとって大事だ、もう関係ないが自分だったら欠席だろう。それから18歳の成人式なら、学生服のままだから、衣装屋が儲からない、経済的にマイナスだ。政治を認識するチャンスであるかもしれないが、受験が終わらないかぎり考える暇は無いだろう。結局は、選挙のための18歳なのかもしれないと考えてしまうのである。さて今夜は、宮崎県で震度5弱の地震が発生した。津波が発生しているようだが、さすがにこの時刻に海に人がいるとは思えないが、漁場の人は分からないですね。南海トラフ地震の予兆については調査中ではあるが、いずれにせよ今夜は眠れない夜になるのではないだろうか。

震災復興の原則とオレゴンルール再考

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2025-01-09 01:00:00 - 今週末にかけて第一級の寒波襲来ということで、緊張の能登です。9日昼時点では、北風は強いものの雪は降ったり止んだりの状況です。 8日、夕には、病院講堂を会場に 恵寿MBAコース第2期の開講式です。29名が参加し、12月まで1年にわたり12回の講座です。毎回、東京から講師をお呼びし、座学というよりはグループワークを中心に、課題解決のための考え方を涵養します。病院組織のリーダーとしての活躍を期待します。 また、この日の18:30には、和倉温泉・のと楽に向かいます。復旧はまだまだですが、明るい話題として年末までに復旧されたロビー、会議室、宴会場部分を使い 七尾・鹿島4ロータリークラブ合同新年互礼会です。七尾、七尾みなと、中能登まほろば、中島ロータリークラブのメンバーが集まります。谷本正憲・石川県立大学理事長(前石川県知事)を呼びして、講演いただきます。震災復興の原点を2007年の能登地震における「被災地から人口を減らさない」というだけの筋の通った原則をお聞きします。人口減らさないための、復旧予算の解釈、リバースモゲージ的な住宅建築、交通手段の極早期復旧と和倉温泉の再生など、規模こそ違えども1年前の能登半島地震からの復旧・復興に必要な考え方を示していただきます。 皆が被災者のロータリアンですが、和気あいあいと復興元年の決意を新たにします。 さて、当院から連携機関に向けて発行するKeiju Monthly Letter No.273 2025.1です。この1か月の取り組みやLINE公式アカウントの紹介です。私の巻頭言を紹介します。来てしまった未来~2025 あけましておめでとうございます。 震災から1年が経過した能登。地勢だけではなく、大きく人口構造が変化しつつある能登。将来・未来にこうするではなく、現在形として創造的復興計画のビジョンを示し、そしてそれを加速しなければならないという危機感を共有したいものだ。 2008年、時の福田康夫・内閣総理大臣は、2025年に向けた社会保障全般(所得確保・保障(雇用・年金)、サービス保障(医療・介護・福祉)、持続可能な社会の構築(少子化・仕事と生活の調和))を議論するために、社会保障国民会議を立ち上げた。 経済予測は、まず当たらないものの人口予測だけは的中する中、戦後のベビーブーマーである団塊の世代がすべて75歳以上の後期高齢者となる2025年という遠い将来に向けた危機感から発足した会議であった。 当時、私は病院団体や厚生労働省がらみの仕事は全くしていなかった全く無名の存在であった。医療界や日本医師会から「神野って誰だ?!」と言われながら、この委員に抜擢され、議論に加わった。 「すぐ、いつでも診てもらえる(free and easy accessibility)」、「質の高い医療が受けられる(high quality)」、「安い医療費(low cost)」の3つで、「国民は3つのうち2つは自由に選択できるが、3つとも求めることは不可能である」というアメリカオレゴン州における『オレゴンルール』を紹介、日本で古くからある『三つ巴』に例え、医療の質、コスト、効率性の三つを実現するため、すなわち、高い品質の医療を低いコストで提供するための効率化の切り札はIT化であると主張したことも懐かしい。そして、この考え方は二十年近くたった今も変わっていないことに愕然とするところもある。 この国民会議では、事務局に当時の厚生労働省の俊英、香取照幸氏(のちの年金局長、駐アゼルバイジャン特命全権大使、現在一般社団法人未来研究所臥龍代表理事、現在も交流中)が中心に、人口構造の変化に伴った医療機能の分化と病床数推計、外来・在宅需要推計などと医療費推計など、これ以後の地域医療計画や地域医療構想の礎となったデータが提出され大いに議論した。 しかしながら、その後の議論を含めて、この議論が日の目を見たのか?解決策が議論されたのか?その結論が出ぬままにその2025年がやってきてしまった。もう、未来への対策の時期は過ぎた。未来が来てしまったのである。先送りではない現実の対応のフェイズの時なのである。 この国民会議で示したオレゴンルールや医療の三つ巴の話を今回、再掲しました。しかし、、、何も変わっていない。。。
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