義母の

義母の終活 | 絵雑記

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義母 | パルルのひとりごと(写真日記4)

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9/26 義母の17回忌

義母の手術 | Friends of the world

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左目の白内障、2回目の手術日 午前中執刀。

| 为了你我的生活

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[高画质播放]義母の被虐痴態[广告 ] VPS

25日 | す46-90(旧スピカ)

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次回は二週間後。義母の病院。

| pupu13

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[高画质播放]息子を癒す義母の診察(後編)[广告 ] VPS

| pupu13

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なに、このニオイは、ふたたび。

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2025-02-04 02:00:00 - 探しものがあって、12月にポルトガルに行った時に使った旅行用バッグを開けた。バッグのファスナーを開けた途端、ふわんと我が家のニオイではない香りが漂って来た。なに、このニオイは?どうしてこんなニオイが?一瞬眉をひそめたものの、おおよその予想はついていた。これは義両親のところのニオイだ。ニオイの元を探してバッグを探ってみれば、、、あった。バッグの底に入れっぱなしになっていたバッグの持ち手。両端にナスカンがついた着脱可能な持ち手(革製)である。ハンドバッグについていたものを、義母が必要ないからと外してしまっておいたのだと思う。これは手編みのバッグの持ち手として使えそうだと思ったので引き取ることにしたのだった。引き取ったものを荷造りしている時はさほどニオイがついているようには感じなかったけれど、あのときはひょっとしたら防虫剤の強烈なニオイをかぎすぎて鼻がバカになっていたのかもしれない。先日同じときにもらって来たスカーフを片付けようとしたときも、ふわりと義母のクローゼットのニオイがしたので、もういちど洗い直したばかり。同じ場所にしまいこんであった持ち手にニオイがついていないわけがない。このクローゼットのニオイについては、ここ数年いろいろあった。大事にしまってあった服が虫に食われて大変なことになっている、義母が騒いでいたのは何年くらい前だったろう。夫とわたしが結婚した頃は、義母は防虫剤として強烈なニオイのするものを使っていた。ナフタリンなのか樟脳なのかわからないけれど、クローゼットのある部屋に入ると目がチリチリするくらい強烈なニオイだったことはよく覚えている。親戚の結婚式などのセレモニーがあるときは、晴れ着に染み付いた強烈なニオイを少しでも散らすため、何日も前から外に出して風を通していたものだ。そんな義母が、あるときからその強烈なニオイの防虫剤を使いたがらなくなった。臭すぎて外に行った時にみっともない、と思うようになったらしい。おそらくはご近所とのおしゃべりで仕入れた情報だろう、最近はニオイがしない防虫剤があるらしいと知った。そしてわたしたちにスーパーでそういう防虫剤を買って来てほしいと頼むようになった。けれどじきに、新しい防虫剤は全然効果がない、と言うようになった。それでも臭い防虫剤に戻る気にはならなかったようで、ユーカリの枝葉とかハーブの枝葉といった香りの強い植物を使うようになった。でも、すでに虫がはびこっているクローゼットである、マイルドな植物では思うような効果はあがらなかった。もう我慢できない!2年か3年前だと思う、しびれを切らした義父が村のナンデモ屋に行き、それこそ100年前からあるといわれても驚かないくらい臭い臭い、容赦無く臭い防虫剤を買い込んできた。そしてそれを自分たちのクローゼットというクローゼットに投げ入れた。しばらくは部屋の外までニオイが漂うくらいの強烈さだった。ほらみろ、だから言ったんだ。これのおかげで一発で虫が消えたじゃないか。義父はずいぶん得意そうだったし、今も同じことを言いつづけている。でも、彼らのクローゼットを片付けた夫とわたしは知ってしまった。なぜ新しい防虫剤が効かなかったのか。義母は、防虫剤を包む透明なパッケージは開けたものの、防虫剤本体の薬剤が揮発するはずの場所の保護フィルムを剥がしていなかったのだ。。。。義父が買って来た臭い臭い防虫剤は、村のナンデモ屋でも売れ残っていたんじゃないかな、とわたしたちは想像している。こんなもの今時もう買う人いないよねという廃棄間近のデッドストックをお金を払って引き取ってくれるという人が現れて、やれ取っておいてよかったと店主は内心大喜びしているに違いない、と。さて、この防虫剤くさい持ち手は、また気候が良くなって来たら風に当ててニオイを散らすことにしよう。

断腸の思いで手放したコート

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2025-02-04 02:00:00 - 先週、夫が弾丸でカナダのトロントに行ってまいりました。トロントはカナダなので出入国にパスポートはいりますが、ニューヨークからは飛行機で1時間足らずです。一昨年、義母が、夜逃げ同然に40年来のパートナーの元を身一つで出て、ニューヨークに来てしまいました。40年近く連れ添ったパートナーがそれを知らされたのは前日の夜。パートナーは本当に良い方なのでみんな最初は何が起こったのか理解できず苦しみました。すったもんだの末、義母に帰る意思はないため、うちの近所にアパートを借りて住んでもらっています。そのパートナーは当時から歩けなくなっていたのですが、容体はさらに悪くなり今では病院で寝たきりです。夫は彼のお見舞いと、さらには彼の家に置いてある義母の膨大な「モノ」を整理し、トロントで倉庫を借りて一時保管するために行きました。彼が病院を出られる見通しもなく、一人息子さんはその家を売却するために、去っていった義母のものを全て処分してくれということなのです。大雪の中、夫には精神的にも辛い作業だったと思います。膨大なものの中には、彼女と夫の父親の離婚届もあったそう。幸いなことに、Cくんが手伝ってくれたそうです。持つべきは友だちですね。さて、そこからわたしなりの教訓。うちは子供は娘が一人しかいません。近い将来、万が一何かあった時、できるだけ遺される彼女の負担を減らすべく、今から「モノ」は整理しておきたい。強くそう思いました。また、お金関係も、亡くなる時に税金面で迷惑をかけないよう、遺産ではなく、数年前の不動産を皮切りに、少しずつ無税枠を利用して譲渡するようにしています。さらに、わたしのモノの中で、娘が一番処分に困るのが「服」だと思います。特に一年の半分お世話になるアウターがたくさんあります。しかもZ世代の彼女とは趣味が違います。そこで数年前から1枚買ったら2、3枚手放すというように徐々に枚数を減らすようにしています。かなりの寒さまで耐えられるリバーシブルのコートです。今冬はリタイアを記念し、エルメスでアウター2枚の清水買いをしました。わたしが着なくなっても、娘が引き継いでくれそうなシンプルなジャケットです。カシミアダブルフェイスのジャケット薄くて暖かいので着られる期間が長そうです。シアリングとラムのリバーシブルふわっと軽いので高齢になっても着られそうです。そして断腸の思いでコートを含む服を何枚も手放しました。最初の写真の裏返しはこんな感じ。今より体重が10キロ近く重かった頃、わたしを暖かく包みこんで大活躍してくれました。でも、手放すなら今です。こちら↓は袖のファーは取り外せます。こちらもオーバーサイズ。袖丈は短めなのでロンググローブで合わせると素敵です。この2枚は、週末の家の近くの鄙びた教会が運営しているスリフトショップに、他のものと一緒に寄付しました。どんどん信者さんが減っていて教会の運営に苦労されているのです。さらにThread Upには以下のものを送りました。Frame, Jpsephなどのジーンズ3枚カシミアのセーター2枚サングラス8ペアナイキのスニーカー1足、Vejaのスニーカー1足アンクルブーツ1足Thread Upはこんなサイトです。昨年秋には、寒くなる前にこちらをまとめて手放しています。こうしてこの冬は6枚のアウターやジャケットを手放せました。今年秋までにラック2本分のアウターを手放すのがゴールです。毎日が貴重な日々です。味わい尽くしながら、一方で跡を濁さない潔い終焉に備えて、そろそろ準備を始めてもいい頃かなと。

おばあちゃん、小説にはまる

https://corgi0606.exblog.jp/30591271/
2025-02-02 02:00:00 - 以前も言ったけど義母にオススメした本NHKでも再放送が始まったあきない世傳金と銀一巻を渡して一週間ほど経った頃読んだ?と聞くともったいなくて置いてある、と言う何巻も続くから早く読まないとあら、そう?続きがある?そう話してから一週間少しは読んだ?と再び訊ねると2回読んで、今日から3回目に入ると言うのでビックリ!あんまり面白くてねぇ・・そりゃぁよかったじゃあ2巻を渡すねワタシのほうは3巻を読み終わったところ次を買いに行けずにいたけどこりゃ慌てなきゃ90歳を越えた義母の読むチカラ、にびっくり文庫本は手に取って買いたい派、なので明日はTUTAYAへGO

フラワーショップをキルティング中♪

https://harubotan.exblog.jp/37585077/
2025-02-01 02:00:00 - ハウスのキルトの”フラワーショップ”をキルティング中窓の中は お花プリントの柄に沿ってキルティング今日は義母の命日なのでお墓参りに行きました風もなく意外と暖かい穏やかな一日でしたベランダ散歩も気持ち良くカッコイイきくちゃん♪先日のブログに書くのを忘れちゃったけどみぃちゃんの血液検査は「異常なし」でした♪良かった(^^)vブログランキングに参加しています下のバナーをクリックお願いしますにほんブログ村人気ブログランキングいつもありがとうです♪

小西真奈 Wherever (府中市美術館)

https://lifeandmusic.exblog.jp/37582701/
2025-02-01 02:00:00 - どこかで見たな、、、SOMPO美術館の「FACE展}かな? ちょっと想い出せない。まあ、昨年末に目をつけていたいくつかの展覧会を、義母の死去、義父の入院というドタバタ、年明け最初の3連休で体調を崩して寝込んでフイにしたリベンジとして、動けるようになったら行動! 相変わらず両膝はボロボロなれど。会場は京王線調布駅からバスなのだが、バス苦手なので歩いたら、20分近くかかった。府中の森の一角。会場を埋め尽くす風景画。そう、小西真奈は風景画の人なのですね。日頃風景画にそれほど興味がないのに足を向けたのは、たまには他ジャンルにも触れてみるかという単なる気まぐれ&好奇心(笑)プロフィールによると、アメリカの美術大学を卒業。その後、別の大学でそこの講師に師事。帰国後2006年にVOCA賞受賞。・・・ということはどうでも良くて、順調に画家への道を登っていたところ、出産による子育てで描くどころではなくなる。それがやっとひと段落したらコロナ禍で思うような活動が出来ず。苦肉の策で写した写真を題材に描くスタイルに目覚め(ユトリロっぽい)、今に至るわけだ。なので賞を受賞した頃と現在では、明らかに作風が変化している。■2004~2008年頃しっかりと描き込まれた自然描写の中にたたずむ少年や少女。人物が風景の一部として描き込まれている。森の中にたたずむ少女たち~川辺で遊ぶ少年と少女~岩がそそり立った海辺に足まで水に浸かる少女~というように。自然と人物が同居している。ただし、何故かみな正面を向かず、こちらに背を向けて描かれている。メインはあくまで自然なのだが、人物を描き入れることで、風景に物語性が加味されている。それを良しとするかは見る側の判断となろうが、個人的にはその物語性が作品の世界観をせばめているようにも思える。どこか絵本の挿絵を想像してしまうのだ。■2021~2024年頃写真からスケッチ、それに色を乗せた作風に変化。水彩ではなく油絵で。そのタッチはちょっぴりモネテイストあり? 筆に澱みがなく、心の赴くままに描いているように感じられる。<制約された状況が逆に自由を生み出す>という、嬉しいパラドクス。作者はコロナ禍によって描く対象にこだわらなくなったと述べている。それが作風に自由な雰囲気をまとわせている。こちらの画の方が初期より断然良い!※2月24日(月・祭日)まで開催中

昨日のいろいろ

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2025-01-31 01:00:00 - ボランティアセンターから連絡を受けていた、3月のサロンに来てくださるという方へ、昨日の朝に電話で打ち合わせをしました。なんと同じ町内にお住まいの方だったので、町内会館の場所もよくご存じで、もしかしたら我々のボランティアのこともご存じなのかも知れません。そんな心強い方が今年度最後を華やかに締めてくださるは、ご縁を感じます。次年度もご都合が合えば来て演奏してくださるということで嬉しいですね。電話を切ると、ボランティアセンターからの電話がありました。近くの老人保健施設から打診を受けていた「車椅子拭き掃除」ですが、我々ボランティアメンバーは80代の方が多く、その作業が出来るかどうかを一度試させて欲しいとお願いしていて、そのお試し日のお知らせということでした。1ヶ月ほど先になりますが、その作業が先方の話通りに、1人で月1で出来る作業なのか、話の行き違いで「こんなはずでは」と受けてから思っても後の祭りです。そして、次年度から少し変わる我々の会の規約の話し合いを2月にするので、そのアドバイスをもらいに福祉センターに出向いたのですが、丁度お留守。何時もいらっしゃるとは限りません。私としたことが、電話でアポを取ってから行くべきでした。せっかく外出したので、その足で食品スーパーで買い物を済ませ、帰り途中で「そうだ、新ワカメが出てるから茎も出てるかも」と思いだし、刈谷のハイウェイオアシスまで足を伸ばしました。そこにはJAが入っているのですが、鮮魚店もあり、義母は毎年そこで売り出されるワカメの茎を使って佃煮を作るのが楽しみです。到着した頃、もうお昼をかなりすぎていましたが、ありました、ありました。やはり今年は暖冬のせいか、出回るのも早いです。せっかく来たことだし買って帰ろうかとも思ったのですが、ここのJAは義母のお気に入りスポットなので、今日連れて行くことにしました。ワカメの収穫が始まっているのを確認だけして駐車場まで戻ってくると、休館日のはずのバイト先事務所からグループラインが入りました。どうやら休日出勤している職員が、施設の予約台帳に不審な情報を見つけたようです。それで、その予約を受けたのは誰か?というグループラインでした。ぱっと聞かれても分りませんでしたが、添付されていた写真を見て思い出しました。「それを受けたのは私です」1月の始めに、発表会前のリハーサルとして、空いているホールを仮押さえしたいという先生のお電話を、私は確かに受けました。リハーサルを仮押さえで返事待ちというのは、よくあることでそこに問題はないのですが、リハーサル扱いでのホール予約は6ヶ月前からなのです。私が受けたのは、半年以上も先。これはリハーサル扱いではなく、本番扱いとなり、料金が大きく異なってきます。そのことを先方に了解してもらっているのか?ということでした。あちゃー。すっかりそのルールを失念していました。すみませんでしたと謝り、次に出勤したときに先生へ連絡対応をするということでその場は収りましたが、基本的なルールを失念していたのは結構萎えます。しばらくして、部長から今日出勤の職員と相談して、部長が対応するというグループラインの続きがありました。気がついてしまったからには、私の次の出勤まで待たず早めに対応するという判断かもしれませんが、それにしても甘い。私に甘い、甘すぎる。マダムパートをやめさせてしまったことの自責の念があるのか、はたまた、これで私まで辞めると言いだしたら困ると焦ったのか。私は急に辞めるなんてことはしませんよ。どんなに叩かれても、食いしばる根性だけは自信があります。今回は、明らかに自分が起こした失敗ですから自分で対応しなければ・・・確かに自分自身に萎えますが、それは退職に繋がることではありません。今日の部長と職員の相談で、やはり失敗した本人に対応させるのが筋ということになれば、明日の出勤で対応することになりますが、とりあえず今日は、義母のワカメの茎の買い物アッシー業務に励みます。気持ちが決まれば、切り替えは早いほうです。さて、昨日はいろいろと気分の起伏が激しい一日となりましたが、帰宅してからは、明日の着ぐるみ業務で使用するオタマトーンの改造をしていました。明日のイベントは節分です。その合間に節分動画も撮ることになっていて、オタマトーンでの演奏を準備していました。せっかく鬼仕様の衣装を身に纏うので、オタマトーンも鬼バージョンにしようというわけです。一昨日にできたのは、「何かが違う」違和感のある鬼でした。友人にアドバイスをもらって、昨日もう一度やり直してみました。少しだけ鬼に近づいたかな・・・ということでこのくらいで許してもらおう。いかがでしょうか?

1月尽日

https://seiunnji.exblog.jp/33672558/
2025-01-30 01:00:00 - 冬はもともと花が少ない時期で庭も殺風景ですが今年は特に感じるのでどうしてかなと考えたら山茶花の木を伐ったので赤い花が無くなったからだと納得しました。去年10月、毎年よく咲いていた赤い山茶花を他の木も一緒に根元から伐ってもらいました。ひとりばえの雑木が大きくなってきて邪魔になりその近くにあった山茶花ももういいかと伐りましたが次々と赤い花を咲かせた山茶花はやはり冬の花で無いと寂しく感じます。その代わり水仙はどんどん領域を広げてまだたくさん咲いてきています。お正月の義母の1周忌から総会や新年会など行事が多い1月でしたが風邪も引かずに無事に乗り越えました。また、外孫の誕生といううれしい出来事もありました。後半はすこしばたばたしましたが気持ちは若く元気に過ごしたいと思います。

休日の木村家。

https://sunmeat.exblog.jp/30588771/
2025-01-30 01:00:00 - 木村店長は昨日、家族の時間を過ごした。学校が終わった瞬間に校舎の前で待ち伏せてムスコを拉致してピリカに行ってきた。スキーの楽しさは覚えたけど、スピードの恐ろしさを知らないムスコが先生を気取って親に指図しながら滑るのを見守りながら滑る木村店長と、更にそれを上から見守るチーフ。親子で同時に同じ喜びを感じる事が出来た貴重な時間だった。幸せだね。でも、何故か血のつながりのない親戚に見間違えるほど似てたらしく画像まで撮ってくれた。別に似てなかった。家に帰ってコッタコタにくたばってたら、同じくコッタコタなはずのチーフが何やら作り始めた。「簡単な物しか作れないから。」とか言いながら冷め切ったであろう身体の為にスープ作ってくれた。この時の木村店長にはありがたすぎる晩飯だった。満足してたらなんか出てきた。これも旨かった。更に思い出したようにマグロ。もうそろそろ食わないとならないらしいけど、良い感じにシトっとしてた。ムスコのついでに出てきたブロッコリーとトマト。結局、いつも以上の晩飯を瞬間的にかつ、思い付きで作ってた。あるもので作るのが主婦の仕事。との義母のスパルタが効いてるそうです。にほんブログ村

セカンドライフに向けて part3

https://doctorkuma.exblog.jp/34437301/
2025-01-29 01:00:00 - 退院した義母の状態はだいぶ安定していました。でも、これまでとは違いました。携帯酸素を持って帰ってきたのです。ボンベ式の在宅酸素とは違い、常時酸素が必要というわけではありませんが、動いた後、風邪をひいたときなど、酸素が必要と思われるときに使用するためでした。それでも今までは酸素なしで生活していたのに、今後は必要となるというわけです。いよいよ義母に子供の面倒をこれまでどおり任せるというわけにはいかないなと思いました。そんな時、頭によぎったのが「やりたかった仕事」でした。もう少し先を想定していたけれど、この仕事なら休日夜間の呼び出しはなくなるし、私も今より動けます。義母が退院したのが4月。その下旬に私は上司に病院をやめる旨を伝えました。GW明けに院長に報告。次年度の話なので、まだ1年弱ありましたが、私がやめたあとの補充などを考慮すると早いに越したことはないですしね。ただこの時点で、まだ私の転職先は決定していませんでした。普通は決まってからやめることを伝えるのでしょうが、私には手ごたえがありました。

そろそろ使おうかなぁ - 義妹からのクリスマスプレゼント -

https://lmhar.exblog.jp/34435475/
2025-01-28 01:00:00 - 1/4に折りたたんだスカーフとスカーフ・リング(青い○印の中)もうすぐ節分(2/2)いよいよ春!義妹にもらったスカーフを使おうかなぁそう思いはじめたスカーフの図柄は私の好きな世界地図、中世の北米と南米そして帆船。一昨年行ったポルトガルに巨大な富をもたらしたバスコ・ダ・ガマ大航海時代を思い出させる。眺めていると様々なことが心に浮かび、想像の世界に浸ることができる。*義妹とは一年に二回、お互いの誕生日とクリスマスにちょっとしたプレゼントを贈りあっている。「何がいいだろうか?」そんなことを考えながらプレゼントを探して選ぶ時間は、最近のちょっとした楽しみになっている。プレゼントの交換が始まったのは、いつの頃からだろうか。おそらく弟家族が結婚後すぐに始まった、10年間にもわたるアメリカでの駐在員生活を終え、日本に完全に帰国した時からだと思う。彼らのアメリカ滞在中は、私の方も3人の子供の子育てや義母の世話で何かと忙しく、心のゆとりが全くなかった。弟夫婦は帰国後、アメリカ現地の学校しかない場所で育ち、英語のみの学校生活が長くなるにつれ日本語より英語の方が使える言語になっていった日本語の不自由な娘の、日本での学校教育や日本語の再獲得で人に言うに言われぬ苦労をした。義妹は女性であり、私とはとても仲が良いので、彼女とは、日本での子育て、特に学校教育の場における辛さや悩みを電話でよく話をした。しかし、弟は男性であるが故か、子育ての悩み、特に娘の日本語の再獲得の悩みについては私にはあまり話さなかった。人一倍苦しみ悩んでいたはずなのに、あまり話さなかった。ただ時々アルプスの山の上から電話がかかった。「今、南アルプスの塩見岳の付近を歩いてるんや。南アルプスはやっぱりいいなぁ。気分が晴れ晴れするわ。気をつけて帰るから心配せんように」そんな何気ないことを話し、「じゃあな。また電話するわ」と言って電話を切った。今から思えば、娘の学校教育で一番苦しかった時のことだった。女性のように自分の思いの丈を気心のわかる人に話し気分を変えるということができず、昔から好きだった山を単独行で黙々と歩き、気分を変えていたのだろう。日頃の誰とでも気さくに明るく話す弟ではなかった。↓ 弟↓コメント欄に弟の娘の日本語再獲得の苦労を書いている。その時からずいぶん時間がたった今、娘は無事に大学を卒業し就職もした。そして結婚した。娘の他に息子もいたが、彼の方は帰国した時が小2になった時だったので、日本語の再獲得は姉ほど苦労はなく、ごく順調に学校生活が送れたのだった。その彼も大学を卒業、就職と同時に親元を離れ独立した。苦労した弟夫婦だったが、これからはゆったりと過ごしてほしいと願っている。
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