東海道線

東海道線 | 寄り合って集会を開け!

http://ventliberte.blog.fc2.com/blog-entry-1549.html

東海道線 | しましましっぽ

http://catalyze.blog.fc2.com/blog-entry-7.html

東海道線(冬) | 【鉄琴線】鉄路の情景OneShot!

http://zin09.blog35.fc2.com/blog-entry-89.html

[東海道線]東海道線の終着、神戸駅 | 神さまたどり

http://tako3310.blog76.fc2.com/blog-entry-929.html

東海道線 | 1839年の地平線

http://takasegawa.blog120.fc2.com/blog-entry-121.html
東海道線

東海道線-通勤快速 | AXept for AXel

http://x2023.blog.fc2.com/blog-entry-4.html

東海道線白糸川橋梁 | 日乗写真

https://zak270.blog.fc2.com/blog-entry-1861.html

世代交代 | 【Standing by Railway】今日も線路脇

https://3door.blog.fc2.com/blog-entry-2058.html
東海道線(品川-川崎)

[東海道線]昔の清水駅舎 | 神さまたどり

http://tako3310.blog76.fc2.com/blog-entry-882.html

青春18きっぷで王寺駅(奈良県)から根府川駅(神奈川県)まで日帰りで行けるのか!?

https://yamatonosuke.seesaa.net/article/2021-04-21.html
2025-04-21 04:00:00 - 残念ながら今年は利用することなく春の青春18きっぷシーズンは終わりましたが、日本地図を見ながら次はどのルートでどこへ行こうか妄想旅をする鉄分不足・・・そんな中で”青春18きっぷで奈..

京都から大阪天王寺へ

https://ardea.seesaa.net/article/2011-09-21.html
2025-09-16 09:31:00 - さて、返却期限ギリギリの18時に自転車を返却し、京都駅から在来線で移動しました。雨が降る夕暮れの京都駅 (クリックすると写真が大きくなります)夕暮れの京都タワーも見に行きまし..

一週一鉄 -- 512 --

https://tobotoboshinnkou.seesaa.net/article/2020-12-25.html
2025-12-25 12:00:00 - --- N700は西に下ります --- 右に映るのは、都心環状線汐留JCT付近 銀座へ続く地下道路への..

みかん山散策

https://tobotoboshinnkou.seesaa.net/article/2018-12-18.html
2025-12-18 12:00:00 - 国府津駅を発車した湘南電車 E233系です今年、5度目の私設ハイキング同好会を実施しました たった3人だけの「..

岸谷生麦線散歩

https://tobotoboshinnkou.seesaa.net/article/2017-03-21.html
2025-03-21 03:00:00 - 修復工事中の子安台公園の端から見る開通前日の横浜北線生麦出入口付近【生麦界隈の話題が続きますが. きょうも、鉄分重視です】 首都高「高速神奈..

一週一鉄 -- 320 --

https://tobotoboshinnkou.seesaa.net/article/2017-03-17.html
2025-03-17 03:00:00 - --- 生麦の踏切です --- 赤い電車は 生麦駅3番線に入線する ..

一週一鉄 -- 308 --

https://tobotoboshinnkou.seesaa.net/article/2016-12-23.html
2025-12-23 12:00:00 - --- 今日は、KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN --- ..

北大阪急行・・・箕面萱野延伸 乗車記

https://ao-takeblog2025.seesaa.net/article/2024-08-06.html
1970-01-01 01:00:00 - 2024.07.28 北大阪急行開業から4ヶ月の初乗車!南北線延伸区間 乗車記暑中お見舞い申し上げます。ホントに猛暑・・・いや酷暑の日が続いていますね 。゚(A′□`;)qアチィィ。そんなな..

東海道本線・・・E259系「マリンエクスプレス踊り子」撮影記

https://ao-takeblog2025.seesaa.net/article/2024-02-22.html
1970-01-01 01:00:00 - 2024.02.17 東海道本線E259系 最後の“旧デザイン”!「マリンエクスプレス踊り子」撮影記首都圏と成田空港の間をむすぶJR東日本の空港アクセス特急「成田エクスプレス」(通称・N’EX..

東海道本線・・・「サンライズエクスプレス」撮影記

https://ao-takeblog2025.seesaa.net/article/2023-06-25.html
1970-01-01 01:00:00 - 2023.06.17 東海道本線 朝日を浴びる寝台特急を狙え!「サンライズエクスプレス」 撮影記6月17日(土)真夜中に小声で・・・「こ〜んば〜んは〜」(*´ノд`)ヒソヒソ。ただいまの時刻は..

梅田貨物線・・・うめきた新線 乗車記

https://ao-takeblog2025.seesaa.net/article/2023-03-14.html
1970-01-01 01:00:00 - 2023.03.03 梅田貨物線 ちょっとお先に“うめきた”。特急「はるか」 乗車記拙ブログの前記事(短編のONE-shot)で少し触れたように、3月の第一週目に仕事の出張で関西のほうへ赴いた..

静岡鉄道・・・1000形「ちびまる子ちゃん電車」撮影記

https://ao-takeblog2025.seesaa.net/article/2023-01-07.html
1970-01-01 01:00:00 - 2022.12.27 静岡鉄道 1000形「ちびまる子ちゃん電車」 撮影記洋上に昇ったギラギラの眩しい朝日。(つ▽≦*)マブシッ!それを背景にして東海道線の普通列車*が、当線屈指の“名橋..

平塚八幡宮 神奈川のパワースポット-湘南ひらつか七福神の弁財天

https://tempula.exblog.jp/30605367/
2025-02-20 02:00:00 - 平塚八幡宮(ひらつかはちまんぐう)は、神奈川県平塚市浅間町に鎮座する神社です。JR東海道線「平塚駅」から徒歩10分です。平塚八幡宮は相模国一國一社として、歴代の天皇や源頼朝をはじめとする武家からも崇敬される神社でした。その後、戦国の世を経て江戸時代になり、徳川家康が江戸に入府したのを機に、社殿などを復興再建されました。やがて東海道が整備されると、交通の要所として平塚宿が発展すると共に、当社の門前も栄えるようになりました。ご利益:安産祈願、家内安全、勝負運、厄除け

バイクでGO♪

https://hirokin0725.exblog.jp/30603985/
2025-02-18 02:00:00 - 日曜日に久しぶりにバイクに乗って相模川を一筆で走ろうと思いました・・・・・う~ん・・・重量級のハヤブサは・・・小回りの利くセロー・・・・・まるちゃんのスクーター・・・・三脚入らないわね・・・・手持ちで証拠写真が撮れればいいといつものK橋の右岸堤防に来ました(いつものロケ地は左岸の河川敷です)※川を上流から見て右が右岸 左が左岸です・・・・・なるほど・・・でも自転車は地元の方が堂々とサーフボードを積んで走ったりロードバイクが我が物顔で走っていますでもスクーターは駄目でしょう(;^ω^)なるほどね・・・・ここ・・・・昔から主要道路だったのね・・・(当たり前か)ならば・・・・工業団地の外周をジグザク行ったり来たりで堤防を確認していきました気になっていた銀河大橋は車が入れます・・・・でもなんか掴みどころがないんですね~・・・・カメラマンさんの不評が分かります(ミサゴの通過だけみたいな)帰り対岸の左岸を確認しようと移動しましたカメラマンかと覗いたら釣り人でした車が走れる道を見つけて下りましたが・・・・公園の管理道路なので長時間止めたらどうなりますかね?ここ・・・花の時期に来たら良いでしょうね~右奥に見えるドームに市営の駐車場がありそこに車をとめて1km弱三脚とカメラを持ってトコトコと歩いたとしてデッキがあるんですが・・・・ここで三脚立てたカメラマンが3人立ったら一般の家族連れに不快感を与えるかもしれませんね?お隣の伊勢原市から自転車でこのデッキで撮ったことがあると言われた方とK橋でお話を聞きましたが可能性は高いです・・・・後ろのプールにはボラが凄く跳ねていますミサゴも上空を舞っていましたが・・・・飛び込んだのは200mほど先の流木の右端の本流からの流れ込みでしたあそこまでどうやって行こうかと悩むならさっさとバイクに乗って下流に行こうと今回はパスしましたデッキの正面・・・・川の本線は広すぎて ジェットスキーのコースなのでミサゴは飛び込みません遥か上流を舞っていましたさあ~河口目前ですもちろん車は入れません掴みどころの無い広さですね~・・・・・イメージが湧きません(対岸はゴルフ場で立入禁止でしょうね)ジ~グザグザグ♪ジグザグ♪ジグザグ一人きり~♪川を一筆してY島のいつもの対岸に到着ですいつもの定点にいますね( ´艸`)・・・・560mmじゃ豆です私より少し年配のご夫婦が素敵でしたね奥様が若い娘さんのようにはにかんで餌を付けれない『パパ付けて♪』と甘えて旦那さんが『ママよく見てよ こうやるんだよ♡』と見ていると痒くなるような( ´艸`)仲の良さでしたねミサゴの甘鳴きが堤防で凄く反響するので『飛ぶぞ!』といつもの左岸に移動して待ってみましたが飛び出しまで2時間付き合うつもりはなく・・・・・お姉さん・・・ワイルドすぎるぞ( ´艸`)釣りをする服装じゃないですねここから左岸を遡上して行きましたが東海道線・新幹線・圏央道が堤防を阻みます面倒になって最後は遊歩道をバイクを押しての偵察でしたが極論はK橋の左岸がミサゴカメラマンのメッカが頷けました 潮が引くと川面の変化が分かりやすく狙うポイントが多いし車を遠慮なく止めれて第三者(家族連れ等)がそんなに来ない海水面と内水面の境の堰なので海と川の魚のたまり場と言う条件なのでしょうね疲れた体に・・・・甘い甘いパンを 牛乳で一気に流す( ´艸`)・・・美味しかったですね♡とても暖かく バイク日和の日曜でした♪

JKF~江ノ島&えのすい他~

https://Wingofwi.exblog.jp/33681598/
2025-02-15 02:00:00 - ★前説…………………………………………………………………………………………………このJKFドライブレポートは2025年2月10日・月曜日のものです。いつも長いレポートだけど今回も更にめちゃくちゃ長いです。なので……江ノ島&えのすいに興味のない方は無理に読まずにスルーしちゃって!^^あ。今回から裏Fanの方からFuuが一緒だからJKFじゃなくってJKFでしょう!と言われたので簡単にJKFに変えました^^…………………………………………………………………………………………………………●JK's day-01…………ぷろろ《木曜日》今回はネタがないこともあって行ったらハズレのない江ノ島とえのすいかな?と。それに久々に寒川神社かもしくはMapを見てたら見つけた初めての茅ヶ崎里山公園かな?と。それ以前に戸塚料金所のPAもなんか好きだし横浜新道からの東海道のドライブと言う江ノ島に行くまでの道のりも楽しみなんだよね。保土ヶ谷バイパスのICが曲者だけどね。もしかして連休な感じもあるのでわからないけれど月曜日だから一応平日なので空いてるかもしれないと。期待は結構高まってるんだよね~!………………………………………………………………………………………………※PVW=Private Working……Blog・イメージ画像制作・短編小説・エッセイあれこれ。※JKF…J=姫とK=僕とF=Fuu(ふぅ)のツアーズ(ドライブ)の略。※Nausea…吐き気度 ※BP-Check!…血圧チェック! ※登場する女性は、顔出しNGな僕をアプリで加工したAvatar〝風乃ふぅ〟で Kazeken@Avatar Kaze no fuu…と画像内に欧文ロゴで表記してる。※JKFドライブで運転席からの画像は信号で停止中か安全のため車を停止しハザードつけて 撮影。運転しながらの撮影はしていない。もしくは助手席の相方に撮ってもらってる。 時にはイメージ画像として作成したものを使用し、それにはimage photoとして Kaze kenzaburo@Image Studio ShonanWingsと画像内に制作ロゴを表記している。※食べ物の画像はスマホ撮影しAdobeのPhoto Shopで極力実物に近づける加工してる。※校正しつつも誤字脱字などあったら御免で候。※掲載した主な画像はX(Twitter2)で掲載済み。………………………………………………………………………………………………●JKF's day-02…………出発!彼女よりも早く駐車場にきてカバーとか外すんだけど日の出前でめちゃくちゃ寒くてううううっ!手が凍りそう!ドライブ用のミニバックとかの荷物とか積んでナビを装着しETCカードをカードリーダーに装着しフロントの内側カバーをとってボンネットを開ける。エンジンルームのファンベルトとかブレーキオイルとかエンジンオイルの点検とか出発前の点検をあれこれしてエンジンルームOK!タイヤの空気圧を目視で確認してたらやがて彼女もやってきた。バックランプとストップランプの点灯を彼女に見てもらい最後に二人でハザードチェックをしたら準備OK!彼女のシートベルトを確認したらフォグランプつけて「そんじゃ!行きますぞい!」………………………………………………………………………………………………★午前6時45分ごろ…村の我が家を…出発!………………………………………………………………………………………………ハンドルまでめちゃめちゃ凍ってて冷たいぜ!村の裏側から凍ってんじゃね?っていう山道を降りてゆく。裏道小道を通って鎌倉街道に入る。朝陽が…登ってきたところだった。鎌倉街道の交通量は普通だ。●JK's day-03…………大渋滞の保土ヶ谷バイパス鎌倉街道から境川を渡ったら東京都から神奈川県になる。鵜野森信号で左折し国道16号に入って南下する。最初は軽快に走っていたけれどドン・キホーテとか家具の大正堂あたりから渋滞になった。ま。南町田の交差点までだろう…って思っていたら……境川を再び渡って町田に戻ったみたい^^南町田北信号を過ぎたら空中道路の保土ヶ谷バイパスを上って行く。保土ヶ谷バイパスに入ったらえ?うっそ……すんごい渋滞していた。ヤバイ!風乃ダムが満水危険アラートを発令してる。国道246号線と東名高速の横浜町田ICをすぎてもずっと渋滞してる。途中で下の国道16号線から上がってきた車と合流になる。そして道路は3車線になった。それでも渋滞は変わらない。今回は新保土ヶ谷ICで横浜新道に入るので左斜線を走ってた。新保土ヶ谷ICで小田原方面へ本線から逸れた。なんとか横浜新道に入って渋滞はないっぽいけれど風乃ダムが満水危険アラートは点滅しっぱなしでマジで漏れそうだ!●JKF's day-04…………新保土ヶ谷IC~戸塚IC今回は戸塚PAに入ってトイレ休憩にも入りたかったから前もってGoogleストリートビューで実際に運転目線で新保土ヶ谷ICで横浜新道に入る道を画像で確認しておいたんだ。そのせいもあって渋滞もなく横浜新道に入れたんだ。横浜新道は嘘みたいにガラガラで軽快だった!そして…戸塚料金所が目の前の左にある戸塚PAに入ったんだ。………………………………………………………………………………………………★午前7時55分……戸塚PA…に到着!………………………………………………………………………………………………戸塚PAはトイレとコンビニのファミリーマートがある小ぶりなPAだ。トイレは綺麗だしファミマは広くて品揃えが豊富でやっぱり高速沿いということでイートインスペースがあるのがいいね。記録的に写真を撮ったけれどまっすぐに向かったのはトイレ!いつの間にか焦ったら漏れそうなので慎重に男子トイレに入って風乃ダムを前回放流したんだ。ああああああああああ…天国だぁ~~~っ!!!いやぁ~戸塚PAあってマジ良かった!って感じ!トイレを出てファミマに入る。あれこれ見つつ流石観光地が多い場所柄かパンフレットとかも充実してた。アドマイヤの自販機がなかったのでファミマのコーヒーを買っていた。僕も珍しくブレンドコーヒーを買ったんだ。何気に店内を見たら……あ…あれ?そうだった!フリーペーパーのHighwayWalkerの什器があるんだよね^^東日本版2月号(No.113)の表紙は福本莉子ちゃんだ!早々に2冊もらって1冊にはいつものように戸塚PAの記念スタンプを押したんだ。そして車に戻ってPAを出て目の前の戸塚料金所を出て上矢部あたりで横浜新道から国道1号線(戸塚道路)に合流したんだ。……………………………………………………………………★HighwayWalkerhttps://www.driveplaza.com/sapa/hw/●JKF's day-05…………彼女のSOSで急遽寄り道!原宿の交差点のトンネルをくぐっても軽く渋滞してた。道は国道1号線だけど東海道に変わってた。あれ?確か…藤沢方面て途中から左にカーブして国道1号線から外れたよな。右の車線でよかったっけ?あっ!…そっか!ナビがついてたんだった^^程なくしてナビが右へ曲がれというので国道1号線から外れ左に大きくカーブして藤沢バイパス出口信号を過ぎたら県道30号線(旧東海道)になって、鉄砲宿などをすぎて左右街路樹のゆるい下り坂になっていった。そしたら……「Kenちゃん!トイレに行きたい!」「え?」「さっきケーキ菓子を食べてからお腹がゴロゴロしてきた…」ま…まじか!?生憎…ずっと前方で渋滞してる。「もうちょっと我慢できる?」「うん」なんとか道路沿いにコンビニかトイレはないか探してるんだけどなかなか見つからない…そして…あっ!お寺を見つけた!大なり小なりお寺にはトイレがあるだろう!渋滞の列から逃れて右折してお寺の中に入って行った。………………………………………………………………………………………………★午前8時40分……清浄光寺(遊行寺))…に緊急到着!………………………………………………………………………………………………駐車場に入って車をとめた。目の前に遊行茶屋の休憩所にあるトイレに彼女は飛び込み僕も入っておくことにした。早くトイレから出た僕は改めて境内を見渡したらあまりにも広大で本堂もめちゃくちゃ大きくて立派でびっくりした。境内には宝仏館とか沢山の建物があって…ただただその壮大なスケールに圧倒された。やがて彼女が出てきて「行こうよ」な感じだったけれどトイレも借りたんだし、ありがとうございました!の感謝を込めて本堂にお賽銭を入れつつお参りしたんだ。予定外のお寺だけど良かった!今回は時間がないのですぐに撤収しちゃったけれど今度通りかかることがあったらじっくり散策してみたいな。樹齢700年の大銀杏とか桜の木とかもあるし。●JKF's day-06…………藤沢を走ってお寺を出て右折できない気がして坂道を戻って途中で右折したけれど初めての街中で迷ってしまってナビに従うしかない。やっと平地になったら東橋で町田にも流れていた境川を渡る。裏通りなのに結構渋滞しているなぁ……郵便局前の信号を左折したら馴染みの国道467号線(藤沢町田線=通称藤沢街道)になった。JR東海道線などのガードをくぐった。右にはJR藤沢駅と江ノ島電鉄の藤沢駅がある。もはや江ノ島まではナビを見なくても行けるほど道は覚えてる。生まれて初めてほうれん草のソテーを食べた懐かしいデニーズ片瀬山店も横目に走ってゆく。程なくして柏尾川が合流した大河?になった今日4回目の境川を渡る。しばらくして左に湘南モノレールの湘南江の島右に江ノ島電鉄の江ノ島駅の間を抜けて国道467号線も龍口寺前の交差点を江ノ電の軌道を踏みながら右折し緩やかな坂道を上がってゆく。坂道の峠に差し掛かると目の前にでっかい江ノ島が見えてきた。車を横に寄せてハザードつけて停止し車の中からそんな江の島を撮ったんだ。ここから下り坂になって片瀬東浜のT字信号に出る。ここで国道467号線は終わり道は国道134号線だ。目の前は片瀬東浜海水浴場で海が広がってる。左へ行けば鎌倉や逗子葉山方面だけれど僕らは右折する。すぐに江の島入口信号になって左折して県道305号線(江ノ島線)になる。昔はこの道の左右にたくさんのおばちゃんたちの屋台があったんだよなぁ。右はマジで大河になった境川があるけれどまもなく海に飲み込まれる。左右海の海中道路な感じの江ノ島大橋を渡って江ノ島に向かって走ってゆく。右奥の山並みにはおおおおおおおおおっ~~~~~~っ!!真っ白な富士山があるじゃん!まさに絶景だなぁ~~~~っ!………▶︎▶︎▶︎-JKF~江ノ島&えのすい他-2▶︎▶︎▶︎へ続く…………

2025.2.10 天竜浜名湖鉄道&掛川城

https://rokky7106.exblog.jp/37620281/
2025-02-12 02:00:00 - <行程>金山7:59→(区間快速)→9:48浜松10:08→(普通)→10:35掛川→【掛川城】→掛川12:59→(天竜浜名湖鉄道天浜線)→13:48天竜二俣13:50→(天竜浜名湖鉄道天浜線)→15:03新所原15:11→(普通)→15:21豊橋16:15→(名鉄特急)→17:02金山実に28年ぶりに第三セクターの天竜浜名湖鉄道に乗ってきた。はじめて乗ったのは記憶が間違ってなければ1996年6月、当時はまだ20代半ばだった。無職でニートだったのでぶらぶらしていた。突発的に近場の日帰り旅に出ていたと思う。当時も掛川まで行き天浜線に乗って新所原から戻ってきたと記憶しているが、写真も残していない。当然30年近く大昔なので、ほとんど記憶にない。2度目は1997年の10月だったか。やはり無職でニートだった。何気なく突然旅に出たと思う。新所原から西鹿島まで天浜線、そこから遠州鉄道に乗って浜松に行き中田島砂丘に行った記憶がある。やはり写真に残してないけれどたぶん間違いないと思う。その時いらい28年ぶりの天浜線乗車となった。まずは金山から掛川まで行く。7時59分発の今では珍しい浜松行き、区間快速である。来た電車はおなじみの313系4両を2つ繋いだ8両でやってきた。昔は4両しかなかったから今の名古屋地区の快速電車も長い編成になったなあと感じる。313系でも初期車の0番台。デビューは今から26年前の1999年7月、新幹線700系がデビューした同じ時期だ。700系がすでに引退していることを思えば在来線電車は寿命が長い。車内も26年も走っているとは思えないほど、まったく古さは感じなかった。大府、刈谷までにいっせいに通勤客が下車していき車内は閑散となった。この電車は岡崎まで快速、岡崎から浜松までは各駅に停車する通勤時間帯ならではの電車である。蒲郡を出ると右窓にわずかに三河湾が顔を覗かせる。一瞬を捉えるのが難しい。写真はボケてしまった。岡崎から各駅停車となったので、速度を落として走っているのが乗っていても感じられた。快速なら豊橋まで50分弱で到達するけれどやはり途中から各駅停車なので豊橋到着も1時間15分ほどかかった。終点浜松には9時48分の到着だった。金山から浜松までは快速でしか乗ったことがないから1時間49分かけての到着ははじめての体験だったと思う。接続の熱海行きは2分連絡。トイレに行きたいので当初から見送って次発の10時08分熱海行きに乗ると決めていた。10時08分発の熱海行きは真新しい新鋭の通勤型電車315系4両と大垣車両区から静岡車両区に移籍してきた313系300番台2両の6両だった。3年前から中央西線に投入された新型通勤電車である315系だけれど、自分は今まで1度も乗ったことがなかった。そもそも旅に行く以外近年はJRに乗る機会がほぼない。なので今回はじめての315系乗車となったのである。真新しい315系電車の初乗り、内装などはJR東のいまや標準型通勤電車となったE233系などとほぼ変わらない印象だった。乗降口上のモニターなども近年の通勤型電車はもはや見慣れたものになっている。目的地の掛川までは27分の乗車である。浜松を出て暫くすると天竜川の鉄橋を渡った。写真を撮ろうと思ったが間に合わなかった。車内はもちろんロングシート。大昔、113系など直角ボックスシートで静岡県内を乗っていた時代が懐かしく感じた。静岡県内の東海道線にロングシート電車は似合わない。世代的に緑とオレンジ色の湘南電車がやはりいちばん似合うと感じる。そんな時代はもう過去のものとなってしまったけれど。自分が座った先頭車ロングシートの斜め向かいには、ベトナム人らしき東南アジア系の若者集団が大きなスーツケースを持って乗車していた。10時35分、定刻通りに熱海行き普通列車は掛川に到着し自分は下車した。掛川駅は新幹線こだまの停車駅でもあり、もう少し大きい駅かと思っていたけれども在来線口はこじんまりとした小さな駅で駅前もあまり人がいなかった。同じ静岡県でも静岡や浜松とはスケールの違いを感じた。二宮金次郎の銅像が建っていた。金次郎の名で一般的には通っているけれど本名は二宮尊徳らしい。駅から北へ8分ほど歩いて、今回の目的地である掛川城に着いた。はじめてきた29年前は掛川からすぐに天浜線に乗り換えたと思うのでもちろんはじめて来た。これは大手門。入場券はこの大手門をくぐり少しいった場所にあった。もちろん自分は障がい者手帳持参で大人410円のところを無料で入場した。そういえばお城などは障がい者手帳を持っていると自分の経験では、どこも無料で入場できるようだ。鶴ヶ城も高知城も熊本城もタダだった。わりと急な石段の上に天守閣がそびえ立つ。靴を脱いで内部に入る。土足厳禁なのはどこのお城でも同じだ。自分は歴史に詳しくないので、知ったかぶりなことは書きたくないので詳細は割愛するが何しろ掛川城は一度地震で損壊し、再建されることなく明治維新を迎えた後、廃城になってしまったが掛川市民の熱意と努力が実を結び、平成6年(1994年)に天守閣が木造で再建されたそうである。ちょうど10年前に浜松城にも行ったことがあったけれど、城郭はよく似ているなと感じた。再建されただけあって大きなものではなく階数も3しかない小さな天守である。木造の階段も松本城に匹敵するぐらい急で昇り降りには気を付けた。内部にはさまざまな展示品があった。最上階からの掛川市内の眺め。これは東方向。平日でこの寒さだけにお客さんもあまりいなかった。自分と同じく一人で来ている男性や女性の姿も見られた。城内の展示品を説明をつぶさに読みながら見ていくと、知らぬ間に時間が経っていた。やはり見学に1時間程度は見ておいて正解である。そこは若い頃から旅慣れている身だけに、何も不安はなかった。天守を後にし、次は国の重要文化財に指定されているという御殿に行く。御殿へは天守の石垣の淵の狭い道を歩いた。石垣下から天守を真上に見やるとド迫力だった。もう一度、今度は御殿近くのところから天守を見る。そして御殿に入る。障がい者手帳所持で天守、御殿の二か所が無料になる。これは御殿も入らないではもったいない。現存する城郭御殿としては、京都二条城と掛川城御殿を含め4か所しかない貴重な建築物らしい。これまで建築物の室内は撮らない主義だったが、今回の掛川城御殿に関しては中に入るやいなや反射的に記録に残したいと感じ即座にデジカメのシャッターをきった。御殿の内部は多くの部屋から成るが、各部屋は襖で仕切られていた。これが『御書院上の間』。御書院は城主の対面所で上の間はその中でも主室にあたるそうだ。なるほど。これが当時の武士の着衣であった鎧兜か。4点ほど展示されていた。ここは確か『大目付』が居座る部屋だったと思う。というわけで、20分ほどで御殿の内部を一通り順路に従って見て回った。受付の前が売店になっていてここで寒いながら「どら焼きもなか」を買った。自分の前には一人旅らしき20代後半ぐらいの女性が並ぶ。受付のおじさんに「プレゼントですか?」と聞かれて「自分のために」と恥らうように答えていた。一人好きの女子もいるんだなあと思った。自分は例の「どら焼きもなか」を差し出すと「20分ぐらいして冷ましてから食べるといいですよ」と言われた。「わざわざ有難うございます」と返した。そんなこんなで掛川城天守&御殿から外に出た。結局1時間10分程度居た。十分に満足した。本当は野鳥園に行こうかとも考えたが、どうも放し飼いの鳥とかあまり得意でないので結果的に掛川城にしておいて正解だった。御殿の玄関を撮った。時間はちょうど正午の鐘が鳴ったところだった。天浜線の時間まであと1時間ある。ちょうどお昼に良い時間だ。どこかの店に入ろうと思い、駅途中にある定食屋に入り「鶏カツ丼」740円を注文した。店内のお客は自分以外誰一人いなかった。老夫婦が店を営んでいるようだった。足が悪く歩行もままならない店主で、内心大丈夫かいなと思った。味も正直美味くはなかった。やはりお昼時誰もいない店ってこうなのかなと食べ終わり店から出る時何か切なさを感じた。天竜浜名湖鉄道天浜線、天竜二俣行きは12時59分の発車。あと30分ほど、ちょうどいい待ち時間である。自分で言うのもなんだけれども、長年一人旅を続けてきているせいか、時間の配分に関しては慣れているという自負はある。天浜線の乗り場はよくあるJRと共通駅舎で改札もJRと同じと思いきや、JR掛川駅内には天浜線の乗り場案内が見あたらなくて一瞬、焦った。天浜線乗り場はJRとは少し東方に離れてあって面食らった。元国鉄の第三セクターだけに同じ改札かと思ったけど、完全に分離されていた。ICカードは使えないので、券売機で新所原までの運賃1620円の切符を買う。ここだけ時代が20年ほど昔から変わっていないかのようだった。有人改札で切符に入鉄済印を押してもらう。たった1両の天竜二俣行きはエンジン音を唸らせながらすでに発車を待っていた。車内は数人先客がいたが左側窓ボックス席に余裕で着席できた。ただし太陽の光がまともに窓に差し込んでくるので、ブラインドを4分の3ぐらいまで下げた。車番は「TH2108」とあった。「TH」というのは言うまでもなく「天竜浜名湖鉄道」の頭文字の略である。12時59分、定刻に天竜二俣行きのディーゼルカーはゆっくりと発車した。掛川から新所原まで浜松で乗り継いでも東海道線なら1時間もかからずに行けるが、天浜線は浜名湖の北側を遠回りして行くので直通列車でも2時間強、つまり東海道線の倍以上の時間がかかる。掛川から新所原まで乗り通すのは鉄道好きか旅好きぐらいだろう。地元民はよほどの暇人か偏屈者しか乗り通さないだろう。第三セクター鉄道であることからもわかるように、当然旧国鉄・二俣線の路線であったのは説明する必要がない。国鉄民営化の1987年(昭和62年)に旧国鉄から経営を引き継ぎ天竜浜名湖鉄道・天竜浜名湖線(天浜線)として誕生した。列車は掛川を出るとゆっくりと一駅一駅、走ったら停まるを繰り返していく。駅間が長く線形が良い部分はまあまあの速度で走っていくような感じだった。当然のようにたった1両の単行ディーゼルカーはワンマン運転である。なので音声での案内放送が流れる。これもJR、三セクなどのローカル線に乗ると毎度のシーンで自分はもう身体が慣れ切っている。新幹線や特急列車にはない旅情を感じる。やはり旅はスローで行くのがいいとローカル列車に乗る旅感じる。もちろん新幹線や特急列車のよさもあるが、ローカル列車での一人旅は何とも言えない感覚に毎度のことながら、自分の世界にハマっていくようだ。これは掛川を出て数駅目の「いこいの広場」という駅に停車したときの左窓の車窓。のどかで癒される。自分はスマホのグーグルマップを見ながら、列車がどのあたりを走っているか、終点の天竜二俣まであとどれくらいかを確認しながら道中の左窓の車窓に見入っていた。天竜二俣までは掛川からは16駅ある。当然駅間距離、速度とも東海道線の比ではないのは明白である。だがそんなのんびりモードがローカル線の魅力である。途中の遠州森駅は道中で唯一駅員配置駅だったかもしれない。その他の駅は乗客は整理券を取り下車時には整理券と運賃を運賃箱に入れ、有人駅(といっても始発の掛川ぐらい)から乗車した乗客は切符を運転士にわたす。まさに田舎の路線バスと同じ方式である。案内放送を含め、こういうシーンに出くわすといかにも田舎のローカル列車に乗っているんだなあという感慨に浸ってくる。途中で新名神高速道路の下を幾度がくぐり、終点の天竜二俣には定刻13時48分に着いた。掛川から49分の旅だった。天竜二俣からはわずか2分連絡で新所原行きに乗り継ぐ。着いたホームの向かい側に、新所原行きの単行ワンマンディーゼルカーはエンジン音を唸らせて停車していた。同じTH2100形だけれども、今まで乗ってきた天浜線の標準カラーと違い、スカイブルー色のTH2100形で車番は「TH2112」とあった。新所原行きはわずか2分連絡といっても、幾分余裕があった。運転士も少し待ってくれたようだった。前述したとおり、前回乗ったのはもう28年も大昔なので当然記憶にはほとんど残っていない。せめて写真を残しておけばと後悔するけど当時は今みたいにスマートフォンもデジカメもなく、写真を撮る敷居が高かった。インターネット普及前夜の1990年代後半の時代だった。13時50分、新所原行き天竜浜名湖線のスカイブルーの単行ディーゼルカーはゆっくりと天竜二俣駅を発車した。2つ目の西鹿島駅は遠州鉄道との乗り換え駅である。掛川から一緒だった通路はさんで隣ボックス席に居た眼鏡の中年男はここで下車していった。写真を撮っていたから同業者のように見えたが、スーツケース持参で正装だったので出張中のサラリーマンのようだった。そういえばこの日は飛び石連休の間のい平日だったからか、いわゆる同業者乗り鉄とおぼしき人間は車内で見かけなかった。西鹿島を出て暫くすると天竜川に架かる鉄橋を渡る。自分はグーグルマップで列車がどのあたりを走っているか、気になるので時折確認していた。天竜浜名湖線とはいえ、浜名湖の湖畔を走行するわけではなく、浜名湖を車窓から望める機会はそんなには無い。その記憶だけは30年近く大昔に乗った記憶にかすかに残っている。浜名湖が姿をあらわしたかと思うと列車はすぐに内陸に入ってしまう。トンネルも数か所くぐった。途中の「常葉大学前」駅は以前はたしか「浜松大学前」駅だったはずだ。調べたら2013年に駅名変更となっていた。意外と最近のことなんだなあと思った。他には掛川から天竜二俣までの前半戦の「いこいの広場」駅と同じく、天竜二俣からの後半戦にも「フルーツパーク」駅といういかにも第三セクターらしい分かりやすい名前の駅もあった。前半戦は新東名高速道路の下を数回くぐったが、後半戦は東名高速道路の下を交差した。車内は平日午後とあって制服姿の高校生の姿もちらほら見られた。2月の受験シーズンもあって下校時間がいつもより早いのかな。それにしても高校生などすでに世代をはるかに遠くしてしまっている。旅を始めた初期の頃、つまり30年以上昔の学生時分など、高校生とは年齢がほとんど変わらなかった自分だったが、当たり前だけど年齢を重ねるごとにどんどん年齢差が開いていく。制服姿の高校生はずっと年齢は変わらないから当然そうなるが。そんなことを考えていると、列車は浜名湖からは離れていき「アスモ前」という終点、新所原の一つ前の駅に停車した。そして15時03分、東海道線の線路が左側からせまってくると終点の新所原駅の天浜線専用ホームに停車したのだった。改札の係員に「掛川→1620円」と記された紙の切符を差し出した。28年ぶりの天竜浜名湖鉄道・天竜浜名湖線の乗車を終えた。跨線橋を渡ってJR線ホームへ行く。跨線橋から乗ってきた天浜線の列車をもう一度パシャリ。新所原から再びJR東海道線下り電車に乗り継ぐ。8分連絡で15時11分発の豊橋行きを待つ。1週前の日本全国を覆った大寒波もようやく過ぎだがまだまだ北風が冷たい真冬日に電車を待つ時間はより長く感じた。豊橋行きはオールロングシートの313系3両でやってきた。車内はまずまず乗客が乗っていたが余裕でロングシートに着席。新所原は静岡県最西の駅、次の二川からは愛知県である。わずか10分で豊橋に着いた。15時21分着。あまり早く帰っても仕方ないので、時間に余裕があるのでまずは16時15分発の名鉄特急の特別席の「ミューチケット」を券売機で購入し、駅構内のカフェでホットコーヒーとドーナツで一服した。昨日の競馬ダブル的中したけれど東京新聞杯が買わず的中だったので、天浜線の乗車中に雪で延期となった京都競馬メインの「アルデバランS」をやけくそで購入してたので、結果を確認したけど2-3着でハズレ。残念だが切り替えよう。あっという間に時間が経ち、16時前にカフェを出て名鉄電車のホームへ。といっても周知のとおりJR飯田線との共用ホームである。相変わらず北風が冷たい。やがて豊橋終着の名鉄特急電車2200系が入線してきた。折り返し岐阜行き特急となる。1号車3番特別車指定席に着席。一般車との格差は言わずもがなである。これでミューチケット代410円プラスで乗れるのだから1時間弱の乗車ならば、特別車をチョイスしたほうが乗り得である。昨年8月の飯田線耐久旅以来の2200系特別車乗車である。16時15分に豊橋を発車。国府、東岡崎と停車。JR東海道線と対照的に名鉄名古屋本線は「山側」を高速走行する。東岡崎までは結構なスピードで飛ばしていく。東岡崎から10人ほど1号車に乗ってきた。東岡崎を出てすぐ右窓に岡崎城の姿が見られた。新安城、知立、神宮前と停車し金山に定刻17時03分着。昨年8月の飯田線耐久旅のようにアクシデントなく無事に着いてひと安心した。1日だけの近場の散歩旅だったけれど満足できた。故・宮脇俊三氏も仰っていたように「遠くへ行くばかりが旅ではない」ことを実感した小さな旅だった。~完~

TRM SHIBUYA CITY FCvsエブリサ藤沢ユナイテッド@Ankerフロンタウン生田(観戦)

https://goaltogoal.exblog.jp/34452952/
2025-02-11 02:00:00 - 関東2部の実力…。まだ実際には関東2部でプレーしていないので東京都1部の実力ともいえるけど、Jのクラブから補強が進んでいるのでもう都のレべルは超えているんだろうね。昨年行われた関東社会人サッカーで見てはいたけど、あくまでも第3者的な立場。今回自分の応援するクラブとTRMとはいえ相対するということで非常に楽しみにしていた。直近の目標は県1部昇格。長期的に見ると、上に行くには関東リーグは避けては通れない。そういった部分で、色々なものを見極める指針になるだろう、とは思っていたけど、強烈過ぎた(苦笑)もちろん、個々の能力は言うまでもないんだけど、エブリサの最終ラインがボールを保持していざ攻撃、となった時の前線からのプレスの迫力とプレス開始の位置が明らかに高い。普通だったらもう3メートルは相手陣内方向に位置取りできる印象だったんだけど、その手前からくる。しかも利き足を考えてパスコースをしっかりと限定してプレスをかけて、その後ろはその場所にしかパスが出せないようにポジショニングを取っていた。最終ラインやGKからの声掛けもあるんだけど、目的意識を持って練習しているんだろうな、と。前にボールが出せなくて後ろに下げると、最終ラインからグワッと押し上げてくる。躊躇なく人数をかけて混乱に陥れて、奪いきる、もしくはミスを狙う、見ていても圧力が伝わってきた。プレーの選択肢を考えさせないような感じだったもん(苦笑)神大戦は見に行けなかったので、佐藤新監督になって初観戦。ボールを保持する、ということは大前提で、持ち過ぎず前へボールを動かすようなイメージかな。ピッチレベルから見ていたので、正確な立ち位置とかは分からないけど、「ゲートを意識しろ。」というワードが出ていた。相手選手の立ち位置を見て、間を通せば2人置き去りに出来て、前を向けばチャンスが広がる。そこに相手のサイドが食いつけば、左右にスペースが出来て奥が取れる。そのためには、ボールのないところでの陣取り合戦で上手くポジションを取って立ち回れるか。ゲートを通したときに、2手先の位置に選手がいないとダメ。これが上手くいって何回かセンタリングまで持って行く機会があったけど、連動すればSHIBUYA相手でもシュートまでは持って行ける。ダイレで叩ければ絶対に相手動けないし。(逆もまた然りなんだけどw)攻め込んでいるときに、「簡単に下げるな。」と。手詰まりになったときに、バックパスを第一選択肢に持つな、というところなのかな?この攻撃で取り切れ!!という強い意思表示と受け取りました(笑)体力もそうだけど、頭も疲れそうだね、今シーズンは←今シーズンは2部なので、去年よりは自らの意志でボールを持つというよりは持たされる状況の方が多いはず。ならば自ら仕掛けて行って、エブリサが主体的に、攻撃的に試合を動かしていく。ただ昇格するだけではなく、1部に定着してその上を狙うなら、このタスクの練度と強度をいかに高められるか。今シーズン1年がとても大事になる。TRMもまだ残されているし、良い準備をしてほしい。この日は一日サッカー尽くし(ラーメンもw)。馬入、善行経由で最終目的地Ankerフロンタウン生田へ。以前ここに来たときは神奈川県2部の試合で、もう一つの方のピッチにお邪魔させていただいて。東急レイエスと戦ったのよね…今話題の。あの時は6-1で勝ったんだけど。来月のトレーニングマッチが楽しみ。小田急が人身事故の影響で止まっていて、東海道線、南武線で。前回、生田から坂道を登って疲れた記憶残っていたので、今回は中野島駅から南下することに。これが正解、山坂なし(笑)疲労度が全然違う←着いたらすでに試合が始まっていて、ピッチを見たらSHIBUYAの背番号10を付けた選手が。ネームを見たらTAISUKEと記載。宮﨑か?と思ったけど、雰囲気が違う。同じ名前の選手なのか、ユニフォームが昨年のままで使用しているのか。引退したならTRMとはいえ出ないよな…なんて思ってたら、SHIBUYAの左サイドからクロス。それをそのままダイレクトで合わせてポスト直撃!!「カ~ン」という音がピッチを切り裂いていった。何者だこの選手は?と思ったら大物で本物の渡邉千真だった…。所属していたのは知っていたけど、TRMに出るとは…。レベルが違う存在感を出して、前半でお役御免。なかなか関東リーグを見に行く機会がないんだけど、バッティングしないなら見に行きたい。増島監督、またお手合わせをお願いします(笑)

208 陸奥宗光 別邸(大磯町)

https://isizawako.exblog.jp/243457374/
2025-02-09 02:00:00 - 陸奥宗光 別邸跡・旧古河別邸海浜別荘の特徴を備えた昭和初期の瀟洒な数寄屋風の邸。2024年11月にオープンした明治記念大磯邸園の二つ目の邸は、陸奥宗光が明治27年(1894)に、大磯のこの地を取得して別荘を構え、その後古河財閥の古河家が邸を承継した建て直した邸である。陸奥宗光は、明治29年(1896)には、病気を理由に外務大臣の職を辞して、大磯で病気療養の生活をおくったが、翌年には他界してしまった。陸奥の次男・潤吉が古河財閥の創始者の古河市兵衛の養子になっていたことで、大磯の別邸は明治30年(1897)に古河家に譲渡された。潤吉は古河家の家督を継ぐものの、明治38年(1905)に36歳の若さで亡くなる。その後は、市兵衛の子で潤吉の養子になった虎之助が三代目を継いだ。大正期には関東大震災によって邸の大部分が酷い損傷を受けたため、大正14年(1925)に三代目の虎之助が母親・せい子のため、数寄屋風の建物に建て替えることとなり、いまに残された別邸で、「聴魚荘」と名が付けられた。簡単に言うと古河家の海の家である。陸奥家別邸だった建物は、のちの昭和4年(1929)に、古河家が経営する足尾銅山に移築再建され、社員の施設に利用された。したがって大磯の現在地に陸奥宗光別邸は存在しない。古河虎之助が建てた古河虎之助の別邸は東邸とし、西隣に建つ大隈重信別邸も手に入れていて西邸として、二つの邸を近年まで古河電工の大磯寮(迎賓館)として利用された。これは、古河家個人の所有から古河電工へと所有を移転させたことによって、戦後の財閥解体による財産の解放から免れたのである。現在まで残されているのは、古河電工は承継された邸を、貴重な建物遺産として守ってきたから他ならない。なお、東京・北区西ヶ原にジョサイア・コンドルの設計により古河虎之助が建てた古河庭園と邸の西洋館が建っているが、室内の撮影ができないため当アルバムには載せていない。また、東京・台東区根岸には陸奥宗光のもう一つの別邸として洋館が建っている。個人の所有で内部の見学は出来ない。陸奥宗光。 天保15年(1844)、現在の和歌山県の紀州藩士・伊達宗広の六男に生まれる。文久3年(1963)勝海舟の神戸海軍操練所に入り、慶應3年(1867)には坂本龍馬の海援隊などに参加した。明治維新後は、兵庫や神奈川の知事を歴任。その後伊藤博文の勧めもあり欧州に留学、帰国後は明治21年(1888)に駐米全権公使に就き、明治23年(1890)に第一回衆議院総選挙に当選し、農商大臣や外務大臣を務める。日清戦争推進者としても知られる。明治30年(1897)に肺結核で死去。大隈重信別邸から陸奥宗光別邸への通路。間取り。 (大磯建物語④ 大磯町より)西側から見た全景。 外観をみて雁行型とよくわかる。雁行型に広がった建物の真正面から。戸袋。 板目の杉板3枚をなぐり面仕上げの押し縁を吹き寄せにして押さえた。応接間側南外観。 幅広のガラス戸に陽がよくあたる。東南の角から見た外観。 右手方向に玄関。玄関側(東側)正面外観。大きな玄関は数寄屋風で、入母屋造りの深い玄関屋根に、大磯石洗い出しの広い玄関土間、造作材に丸竹や辛夷など加工しない材を使い、数寄屋風が感じられる。腰壁。 竹の平割を並べなぐり仕上げの押し縁で押さえた。竹の節を揃えてあるのが面白いが、一本の竹ならかなり太い竹(周囲300㎜)となるだろう。化粧軒天井。 聴漁荘の扁額。 邸の名をつけた鎌倉・円覚寺管長の大田晦厳老師の揮毫による。 玄関内部。 土間は大磯石洗い出しに大きな平らな石をはめ込む。二段の式台に木口を見せた三寸角の檜材、立ち上げも檜角材とし、二段目は檜の平板。棹縁天井と照明器具。 柱は檜面取柱、造作材は檜材。照明の底の模様。玄関戸を見る。前室。 玄関を上がれば4.5畳の小部屋。廊下。 幅1間の畳敷きは玄関〜前室と続く。造り付けの窓付戸棚が付く。戸棚の扉は屋久杉を使用した。甲板は一枚ものの厚板であるが材種は分からない。右手には書生室が設けられたが、現在は資料の展示をしている。居間。 間取りには応接間兼主人室とあるが、現地の説明板には居間・次之間とある。床の間、書院がつく10畳間。南側と東側に畳敷きの縁側。続きの間の次の間と併せ三方に入側縁が巡り、松林で直接見えないが海と庭に優れた眺望の部屋。床の間。 右手に取り込み書院を設けた幅1.5間の床の間。床柱は、檜の磨き絞り丸太。 床の間には斜めに構えた地袋を洞床風に組み込み、住み柱は辛夷を使用。落とし掛けは丸竹とし、床の間全体は簡素な形である。取り込み型の書院で、障子は吹き寄せの横桟。欄間は松川菱と名の付く組子。菱組みの中でも一番美しいと言われる松川菱。居間から次之間。天井はごく普通の棹縁天井であるが、板は杢目の美しい屋久杉。次之間との欄間は、変形筬欄間。南側を見る。開口部には腰障子戸を入れ、桟は吹き寄せでお洒落な雰囲気。入側縁にには、幅広のガラス戸が建てられている。上部に障子風の曇りガラスが、心地よい雰囲気を醸しだす。ガラス戸越しに見た庭園風景。縁の幅は4.5尺。 床は畳敷きの板張り。敷下駄は長さ6間の檜丸太一本もの。 次之間。 押入れと西廊下側に半押入れが付く。次之間西南側を見る。家族用部屋側の棟を見る。家族用の部屋に繋がる畳敷きの廊下。右手方向(北)に浴室や洗面の水回り。手水場。 化粧野地に敷桁は丸太を使用。窓は繊細な桟に横は吹き寄せ。腰回りはなぐり仕上げの小板を張る。便所。 壁は弁柄色の漆喰塗り。引き違いのガラス窓は特別な意匠を用いた。弁所の床板は欅の一枚もの。便所の扉。 板戸の片開で鏡板は屋久杉の一枚もの、上部に紅葉の透かし彫。棚の造作。 扉や壁に屋久杉を使用。脱衣所。 天井は網代張り、半円の窓に水屋の小窓は氷割れ文様のガラス窓。柱は檜の面取。浴室。 方行天井の中央に換気口を設けた、壁は無節の檜板張り。浴槽は作り付けのタイル張り。床はモザイクタイル、腰にタイル張り。木の経年状態や取り付けられた器具を見ると、近年に改装された模様。洗面台の下部。 檜の框材の間に張りつけた萩の細木。引き違い扉は網代張り。天井は杉板敷目張り。 棹縁は両面を削いだ自然の細木を使用し、数寄屋風の趣き。茶の間側の廊下。茶の間側の廊下から見た庭。茶の間側の廊下の前。 犬走と沓脱石。茶の間。 居室群の一番奥に位置する6畳間。東側には家族の居室、北側には台所と水回り、それに女中室と同線的には日常生活の中心に位置する。床の間が設けられているが、物入が付いた質素なもの。床の間野地板は、欅の一枚もの。床柱は赤松の皮付。廊下のガラス窓と欄間の桟。廊下の一部には耐震用の金物が取り付けられている。 明治記念大磯邸園として昨年まで大幅な改修工事を行ってきたが、壁中の見えない部分に大掛かりな耐震装置が施された。廊下間の下がり壁の欄間。 家族用居室。 建物の中央に位置する8畳と10畳の和室二間。 現在は、テレビによる邸内の説明や建物や陸奥宗光関連の説明・展示スペース。下り壁が付き、織部床も設けられた。陸奥宗光関連の書物資料。廊下と居室の欄間。 太い竹の節を強調した意匠。北西に位置して台所がある。 塗装しているが昭和初期の台所がうかがえる。庭の松林風景。玄関へのアプローチ。玄関先の巨木。明治記念邸園の入口方向へ。陸奥宗光別邸の北側に位置する隈研吾事務所設計の便所棟。竹を強調した建物。案内図。陸奥宗光 別邸 訪問日 令和 7年(2025) 1月31(金) 天候晴れ 見学後記 大磯には、大正期には200を超える別荘が建っていたとう。その中でも城山荘として、三井財閥の三井家別邸が3万8千坪におよぶ広大な敷地に、18棟の建物を建てた。その別邸の中央に位置する城山荘本館は、三階建ての西洋館は久米権九郎の設計により、全国の主たる寺院から集めた古材を使用した骨董博物館のようなものすごい邸だったといわれる。現在はそのほとんどが現存していないが、大磯城山公園三井別邸地区として大磯町の手で公園に解放されている。もうひとつ、大磯駅を降りて目に付くのが駅前に小高い山がある。その山一帯が三菱財閥の岩崎家の別邸だった場所。大正末期には5棟の建物が建っていたといわれる。終戦後の財閥解体によって、土地と建物は国に物納されたが、三菱財閥三代目の岩崎久彌の長女・澤田美喜が買い戻し、この土地に孤児の施設エリザベス・サンダースホームを建てた。現在は、児童養護の社会福祉施設や澤田美喜記念館などが建っている。このような大磯の別荘の成り立ちと栄枯盛衰を建築家的な視線で書いた「近代日本の別荘建築・湘南大磯の別邸文化」(水沼淑子著:創元社刊)を図書館で借りて読むことができた。大磯には、ものすごい別荘、別邸が数多く建っていたことがわかった。建物データ 文化財 大磯町指定文化財 建築年 昭和5年(1930) 建て主 古河虎之助設計者 不詳施工者 不詳 改修・復元工事 (株)安藤ハザマ建物構造 木造平屋建て建物面積 372.63㎡敷地面積 約25,352㎡ (大隈重信邸分と合わせて)所有者 国・国土交通省(関東地方整備局・国営昭和記念公園事務所)管理者 大磯町(指定管理会社)見 学 常時公開開館時間 9:00~16:30休館日 毎週月曜日 年末年始入館料 無料所在地 神奈川県中郡大磯町東小磯295TEL 0463-61ー0101 アクセス JR東海道線大磯駅下車 約1200m 徒歩約15分 バス・大磯駅前から総監道バス停 徒歩3分 参考資料 明治記念大磯邸園HP 大磯建物語④(大磯まちづくり会議発行)HP ウィキペディア 明治記念大磯庭園基本計画(国土交通省関東地方整備局 神奈川県 大磯町)ほか。 陸奥宗光 別邸 終了

【小田急の駅の二階増設工事が着々と進行】藤沢駅

https://rose2004.exblog.jp/34446860/
2025-02-07 02:00:00 - 東海道線のホームから外からはわかりづらいのですが、いつの間にか2階?の形が出来ていました。小田急側何かわからん機械😕ちゃんと説明板も掲示してあり、完成予定図も貼ってあるのに、見てもサッパリわからない😛工事の経過を観察しても、どこがどうなるのやらやっぱりワカラナイ🤣本当に頭が悪くなったとつくづく思う今日この頃、、、トホホ

JR西日本 115系”湘南色” が引退

https://rfdays.exblog.jp/37587689/
2025-02-02 02:00:00 - 鉄道ネタが続き、恐縮です。。<(_ _)>JR西日本・岡山地区に残る国鉄型・115系。ほとんどが地域色である黄色1色に塗り替えられた中、国鉄の標準色であった ”湘南色” のまま残り続けたD26、D27編成(3連×2本)が2/1㈯に下関への廃車回送を兼ねたイベント列車をもってラストランとなってしまいました。岡山に遠征した時には運悪く遭遇叶わず、時間とお金に余裕があれば(笑)ぜひとも駆けつけたかったのですが、それも結局は叶いませんでした。(/_;)手元にあった写真をプリントからスキャンしました。偶然、かつての大阪駅で写した岡山所属の115系です。これが ”湘南色” です。時はさかのぼって1950年。当時の国鉄車両は茶色(正式にはぶどう色)1色と地味い~な塗装が一般的でしたが、徐々に明彩化が始まり、東海道線の東京口に登場した「80系」という電車に採用されたのが始まりで、「湘南地方のみかん山の葉っぱと実の色を表現した」とのことですが、もともとはアメリカの車両の色を参考にしたようです。国鉄が謳っていた色の名称は「緑2号」と「黄かん色」。以降、近郊型電車や急行用電車に”国鉄標準色”として採用されて、全国のいたるところで見ることが出来ましたが、国鉄末期あたりから地域の独自色が誕生してからどんどん減少していき、「国鉄型車両」自体の淘汰も相まって、昨日引退した ”湘南色の115系” は大変貴重な存在でした。この写真ですが、岡山寄りの前方には旧・福知山色(黄色に青帯)をまとった同じく115系の4連(クハ115-43以下)がつながれていました。いつごろ撮ったものか記録が残ってなくて忘れてしまいましたが、この黄色の編成が廃車されたのは1991年。列車種別表示が「回送」となっていますので、もしかしたら廃車回送の当日だったのではないかと。。シャッターを切った直後に、岡山方面に向かって出発していったのを覚えています。湘南色の編成(前述のD26・27編成)は、もともとはこういう色でした。”スカ色” と呼ばれるものです。最初の所属は関東の「三鷹電車区」で、おもに中央線の新宿~長野あたりを走っていました。1986年にあった大規模な配置転換で一部が岡山に転属となり、徐々に ”湘南色” に塗り替えられました。写真は転属間もないころ、かつての岡山駅で少年時代に撮ったものです。フィルムがすっかり退色してしまって、お見苦しい写真でスミマセン。。こうやって振り返ると、カメラを持って駆け回っていた少年時代を懐かしく思い出します。。まさに★青春真っ只中★を彩ってくれた、思い出深い車両のひとつです。中央線では2015年に全車が引退していますが、岡山では長く残ってくれました。D26・D27編成、オツカレサマ!!さようなら。ちなみにですが、”湘南色”自体が無くなってしまったわけではありませんで、関東のJR東日本エリアでは、ステンレスの車体に ”湘南色” の帯をまいた車両がたくさん走っています。この「115系」に限って言えば、「しなの鉄道」に残る復刻塗装した1編成が、最後の★国鉄型湘南色★となります。----- いつもご訪問くださり、ありがとうございます。_(._.)_ あなたのご訪問が、明日への活力 ( `ー´)ノ -----当サイトのプライバシーポリシー・免責事項

いざ新潟へ

https://tabikarasu.exblog.jp/30587698/
2025-01-28 01:00:00 - トキの暮らす新潟は、大宮駅から新潟駅まで新幹線トキで97分である。それほど遠くはないが、東京駅から名古屋駅に向かう新幹線に比べ、本数が少ない。 乗り込んだ新幹線トキは、平日ながら満席である。また、荷物置場が東海道線とは違い、旅行鞄よりオーバーコートやダウンコートで溢れていた。 海外からの旅行客は、スノーボードを抱えている。雪質の良さから、来日客が増えていると伝えるテレビニュースの通りであった。首にネクタイなど巻いている人など、殆んど居ない。 日本海側の大雪報道がなされたばかりであったから、新潟市の積雪量を調べてみると、積雪なしであった。朝晩の冷え込みは厳しいようで、手袋とマフラーを鞄に詰め込む。さて、久し振りの新潟駅、白髪の翁を覚えているだろうか。雪帽子 被る湯沢に 雪が舞い

再び、富士山に会いに

https://cenestpasrien.exblog.jp/30585141/
2025-01-24 01:00:00 - およそ12時間のプチ旅行で富士山に会いに行ってきた東海道線を西へ、西へホテルに着いてロビーを抜けるとで〜んと富士山が出迎えてくれた下から見上げるのではなく富士山を真正面で愛でるのは初めての経験だホテルからロープウェイ乗り場へ歩くロープウェイで山を下りるとそこに久能山東照宮があるここから駿河湾を見下ろす眺めも最高家康公がここに眠っておられる今年初のおみくじを引いた『小吉』イチローさんじゃないけど、このくらいがちょうどイイ『長寿』と『金運』の銭亀の縁起物ワタシの財布の中には銭亀が二匹になったホテルに戻りテラスラウンジでケーキと紅茶をいただくここからも正面に富士山がで〜ん友と喋りっぱなしの富士山三昧の一日だったまぐろ丼旨し!焼津港みなみ@静岡駅\(^^)/
当サイトは掲載情報の正確性を保証するものではありません。ご利用により生じたいかなる損害に対しても一切責任を負いません。
キーワードクラウド キーワード一覧
Copyright © 2013-2025 ブログ横断検索 All Rights Reserved.