台湾有事

台湾有事 | こむ一路の日記

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?R.04.3.02?【Ⅲ】陰謀論・都市伝説愛好者の中継点 | 俺の眼が限界なのにゲーム好きで何が悪い - 【Z】

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【台中問題】 【速報】台湾有事、蔡英文総統が危機感表明。米豪が台湾防衛を明言。 | 狐狸庵

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【台湾有事 日本の対応は?】 前統合幕僚長,河野克俊 『日本政府 自衛隊の動向』 | 狐狸庵

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北海道有事 | あすなろおじさんのつぶやき

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台湾有事が起きたら北海道有事が起きるのが確定したも同然— takamin@PfPfMoMoMo (@takamin39hi) November 24, 2023

台湾有事は日本の有事です! | 愛国倶楽部

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台湾有事は日本の有事 | 愛国倶楽部

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メモ 台湾有事 | 日々の気づき

https://miwa05120504.blog.fc2.com/blog-entry-2967.html
台湾有事

01/27のツイートまとめ | 元外交官「マサオの海外体験記」

http://masblog007.blog.fc2.com/blog-entry-220.html
IshiM1071 『台湾有事「準備必要」 国民との認識差解消』の記事にコメントしました /jc/article?k=2023012700391&g=int#ulCommentWidget https://t.c

20210507_NDSP_003-Vol.1 : 台湾有事は日本の有事・Decouplingに注意せよ【国防SPECIAL】 | 之で良いのか今の?! 日本は日本流!?【】

https://samurai64.blog.fc2.com/blog-entry-17810.html
20210507_NDSP_003-Vol.1 : 台湾有事は日本の有事・Decouplingに注意せよ【国防SPECIAL】

コイツの肩書が、元首相なんだぜ!

http://nichijouteki.seesaa.net/article/514778683.html
2025-05-02 05:03:00 - Record China;鳩山由紀夫氏「台湾問題は中国の内政」、中国メディアのインタビューで語る 2025年4月30日(水) 11時0分>鳩山由紀夫元首相がこのほど、中国英字紙チャイナデイリー..

マスメディアが騒がないことには全く関心を持たないようにされているらしい日本人

https://mamakaris.seesaa.net/article/514776088.html
2025-05-02 05:11:00 - そもそも中国の国内問題である台湾問題について日本が関わること自体がおかしいのに「台湾有事」とかで騒ぐし、マスメディアを妄信している日本人が6~7割と言う残念な状態では簡単に印象操作されてしまうし、情..

2023年台湾封鎖

https://ushico.seesaa.net/article/2023-01-08.html
2025-01-08 01:37:00 - 2023年 台湾封鎖出版社/メーカー: 宝島社発売日: 2021/10/11メディア: 単行本沖縄タイムスでは現在 台湾有事についての特集 が掲載されていて「台湾有事なんてリスクもどき..

有事 台湾海峡

http://bmomo.seesaa.net/article/511504904.html
2025-03-11 03:23:00 - 数多久遠 著カバー画 安田忠幸人気ブログランキング<あらすじ>202X年春、演習のためとして福建省に中国軍の戦力が集まっている。台湾関係法のあるアメリカは、大統領選挙に入った。そん..

台湾有事について

https://okmat777.seesaa.net/article/2023-01-15.html
1970-01-01 01:00:00 - 最近は、自分は特に軍事に関してはあまり述べていません。日本政府、自民党、マスコミ等、最近になってある程度、軍事の重要性に気が付いてきたようですが、もう幸福実現党の主張は立党の時から国防の重要性を述..

台湾有事 (平凡社新書0987)

https://okmat777.seesaa.net/article/2021-11-11.html
1970-01-01 01:00:00 - 台湾有事 (平凡社新書0987)作者: 清水 克彦出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2021/10/19メディア: Kindle版第1章 「台湾有事」のシナリオ第2章 「不屈の意..

#ブックマーク / #投稿記事embed : #台湾有事の最悪シナリオ とは~ #ペロシ議長の訪問 と #将来リスク を緊急解説【 #豊島晋作 の #テレ東ワールドポリティクス 】(2022年8月3日)

https://mitch-3jeffbeck1.seesaa.net/article/2022-08-04-1.html
1970-01-01 01:00:00 - ブックマーク / 投稿記事embed : (2022年8月3日) 台湾有事の最悪シナリオとは~ ~ ペロシ議長の訪問と将来リスクを緊急解説【豊島晋作のテレ東ワールドポリティクス】

いよいよ、キナ臭くなってまいりましたよ…w

http://nichijouteki.seesaa.net/article/505194551.html
2025-10-14 10:25:00 - 読売新聞オンライン;中国軍の台湾包囲の演習、空母「遼寧」の艦隊が参加…地上目標への攻撃訓練を実施 2024/10/14 17:13>中国軍の「東部戦区」は14日、台湾を取り囲む形で同日に始めた..

上から目線の相手に、御用聞き外交ですかい?

http://nichijouteki.seesaa.net/article/505151665.html
2025-10-11 10:50:00 - Yahoo!ニュース;日中首脳会談、李氏は対話強化と歩み寄り訴え 石破氏分断否定 10/11(金) 10:15>中国の李強首相は10日、ラオスの首都ビエンチャンで石破茂首相と会談した。日本と中..

遺憾砲の一つも、撃っチャイナよ…w

http://nichijouteki.seesaa.net/article/504965459.html
2025-09-25 09:40:00 - 読売新聞オンライン;中国がICBM発射し太平洋の公海に着弾…「訓練の一環」と主張、米国を威嚇か 2024/09/25 12:52>中国国防省は25日、中国軍で戦略ミサイルを運用する「ロケット軍..

なんちゃってと言うか偽装な人とか

http://cautionzone10000.seesaa.net/article/504878961.html
2025-09-18 09:27:00 - 何のことかというと産経からこんな記事https://www.sankei.com/article/20240916-LOX63TD3RFJTDLVAX3CKCMNWDQ/自民総裁選9候..

9/9 「台湾有事」で島から追い出すか?!

https://575fuusi.seesaa.net/article/504762005.html
2025-09-09 09:55:00 - ・避難計画 諸島から 山口へ *宮古・石垣など12万人を「疎開」か(怒り) ・戦争を 想定し「避難」 善政か? ・戦争を 「起こさぬ」の 尽力どこ?あり? ・軍備増強 明るい将来ありや? ..

粗支那 1093

https://suttonde.exblog.jp/33775500/
2025-06-30 06:00:00 - 250630 【歴史】 原爆と宋美齢深田萌絵「日本に原爆を落とさせたのは台湾」これマジ? https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1751107329/1 名前:(御前山) [ニダ][]投稿日:2025/06/28(土) 19:42:09.75画像 https://imgur.com/7ILJf0s.jpg https://x.com/MoeFukada/status/1938591909385306517米大統領に日本へ原爆を落とすように説得したのは浙江財閥宋美齢、台湾のファーストレディです。6 名前:マンチカン(茸) [CN][]投稿日:2025/06/28(土) 19:48:06.89 ID:uPDofpV50台湾?蒋介石の奥さんでしょ?戦後に台湾に来た中華民国のファーストレディ21 名前:キジトラ(京都府) [DE][]投稿日:2025/06/28(土) 19:53:41.03 ID:rzS9HX1s0>>6宋美齢な昭恵が各国首脳と仲良し外交ごっこしているのとはモノが違ってアメリカを戦争に引きずり込んだ救国の志士だぜ36 名前:スコティッシュフォールド(鳥取県) [IT][sage]投稿日:2025/06/28(土) 20:03:29.05 ID:pWpZRW3i0>>21中国は中国で、国連から「日本の満洲統治は違法ではあるものの投資して発展させたのは事実なんで、中国の責任で日本企業の利益を擁護し満州民が納得する統治機構をつくれ」みたいな絶対納得できない解決策つきつけられてっからなぁそこから連合国を味方につけるのは普通にすごいわ43 名前:トンキニーズ(茸) [CN][]投稿日:2025/06/28(土) 20:09:07.15 ID:MhN9cCUa0EV反対ネトウヨ、キチガイカルトのモエちゃん44 名前:スペインオオヤマネコ(東京都) [DK][]投稿日:2025/06/28(土) 20:10:24.62 ID:ssX+OoJe0相手したらアカンよ45 名前:スミロドン(大阪府) [US][]投稿日:2025/06/28(土) 20:10:59.14 ID:ED6OFKBh0陰謀論というか虚言垂れ流すやつはなんかの病気なんかな63 名前:ボルネオウンピョウ(東京都) [CH][]投稿日:2025/06/28(土) 20:28:27.40 ID:m5g4ICHq0台湾は親日国であること忘れるな同時に中国共産党のスパイも多数潜伏してる83 名前:シャルトリュー(岐阜県) [DE][] 投稿日2025/06/28(土) 20:43:19.21 ID:fBpJ5l9T0 [1/2]この人、徹底的に台湾攻撃してんねそして日本の親台湾な政治家を潰しにかかってる高市、萩生田、小林とか。二階とかを批判してるのを見たことがない107 名前:ターキッシュアンゴラ(庭) [ニダ][sage] 投稿日2025/06/28(土) 21:26:50.19 ID:o796IYq50 [2/2]てか台湾は日本領じゃなかったか?111 名前:スノーシュー(茸) [US][] 投稿日2025/06/28(土) 21:33:22.17 ID:RXsYFhVh0 [2/4]>>107第2次大戦中だろ中国=中華民国(国民党)だ128 名前:ボブキャット(東京都) [US][]投稿日:2025/06/28(土) 22:28:13.17 ID:zo001nEB0>>107左右関係なく台湾と中華民国(=中国)をごっちゃにするアホが多いのよ深田が宋美齢のことを言っているならそれは台湾でなく中華民国の方台湾は日本の一部としてむしろ中華民国の宋美齢とは敵対する側だった109 名前:ピューマ(ジパング) [ニダ][sage]投稿日:2025/06/28(土) 21:27:48.96 ID:djvhocYp0学会ではまだ通説ではないけれど有力説ですね117 名前:スノーシュー(茸) [US][] 投稿日2025/06/28(土) 21:41:42.88 ID:RXsYFhVh0 [4/4]宗美齢が親しかったのはフランクリン・ルーズヴェルト原爆投下を決定したのは、ハリー・トルーマンなので、宗美齢は日本への原爆投下に関与した形跡は無い134 名前:ピクシーボブ(庭) [BG][]投稿日:2025/06/28(土) 22:56:02.47 ID:jJzML4jh0宋美齢が台湾 民進党の指導者層になる人材をアメリカ留学させ奨学金を援助し、台湾を中共から守る立役者だったのも知らんのか このバカ女は。145 名前:スペインオオヤマネコ(庭) [US][]投稿日:2025/06/28(土) 23:47:01.43 ID:2tHgwp2o0宋家の三姉妹次女は孫文の奥さん三女美齢は蒋介石の奥さんや深田さんの話は眉唾だろうけど宋家自体が米政界にそれなりにパイプがあったんは事実やろね163 名前:放線菌(東京都) [CN][] 投稿日2025/06/29(日) 03:47:43.67 ID:ZFfFo3B70 [1/2]この人、2018年には「中国の発展を妨害するな。日本政府が工作員を出してきてる」と中国企業と共同で日本政府を訴えてる。それがいつの間にか保守的な主張を始めて、中国叩きにさり気なく台湾叩きを混ぜてた最近はなりふり構わず台湾叩きまくってる印象 https://i.imgur.com/7PNjcqj.jpeg165 名前:テルモトガ(茸) [US][ ]投稿日:2025/06/29(日) 03:55:42.49 ID:b63s7F4O0蒋介石ら国民党が台湾で行った白色テロで台湾本省人は日本の仁政の方がマシだったと考え始めたんだよねだから本省人と外省人は分けて考えるのが一般的185 名前:スファエロバクター(ジパング) [HK][]投稿日:2025/06/29(日) 08:43:28.04 ID:5DrP8eQ50深田萌絵の実兄の嫁は中国人これマジだって深田萌絵が言ってたからね215 名前:エルシミクロビウム(茸) [CN][]投稿日:2025/06/29(日) 23:18:16.05 ID:Hp+yJyGx0>>185これなもうね深田萌絵が自民しか叩いてない時点でチョンモメンムーブなのよ226 名前:アナエロプラズマ(日本のどこか) [US][]投稿日:2025/06/30(月) 16:19:10.37 ID:jvM8EDm/0こう書けば分かりやすいか米大統領に日本へ原爆を落とすように説得したのは浙江財閥出身の宋美齢、中華民国(後の台湾ファーストレディです。)蒋介石から蒋経国台湾に撤退後、蔣介石は蔣経国に、特務の元締めと軍の政治工作部門の掌握といういわば体制の汚い部分を任せた。ソ連で軍の政治工作部門について学び、蔣介石に最も信頼されている蔣経国にとって適任ではあったが、政治家として大成するには特務の元締めという負の遺産を清算せねばならないという課題を背負うことになった。蔣経国は特務の元締めとして、台湾に根を張りつつあった共産党組織の壊滅に成功するが、実際の共産党関係者をはるかに上回る冤罪被害者を生み出した。戦後中華民国(台湾)は韓国と同じく軍事独裁政権だったが、蒋介石の前妻の息子蒋経国が自由化を進め、それに不満を持った宋美麗は米国ニューヨークの豪邸に引きこもるのであった。昨年、日米を戦争へと導いたのはこの女傑だった「宋美麗秘録」ドラゴン・レディ」蒋介石夫人の栄光と挫折 (小学館新書 463) が出版されてたんだな。尼損のレビューだと面白おかしい上辺だけと散々だが、浙江財閥の深い所に突っ込んだら命に関わるわ。原爆研究は日本は理化学研究所と京都大学で勧められていた。学者の親睦団体に税金が投入されていたのはこれの戦後処理。せっかく作ったサイクロトロンは大阪湾に不法投棄された。--- https://ja.wikipedia.org/wiki/宋美齢しかし蔣経国が1988年1月に没した際には副総統で台湾本省人である李登輝が事実上の後継者となる国民党主席代行に就任することに対して強く反対し、保守派の兪国華や李煥を後継者に推したが失敗、同年7月の第13回国民党全国代表大会(党大会)で李登輝が党主席に就任した。宋美齢は李登輝の国民党主席就任問題時にも李登輝に執拗に直接電話をかけるなどして圧力をかけていったが、国民の支持のもとに中華民国(台湾)の民主化を推し進める李登輝はこれを退けた。さらに李登輝は自らの北京語の理解能力の弱さ(李登輝は日本が台湾を統治していた時代に生まれていたため日本語や台湾語を母語とする)を利用して一計を案じ、宋美齢の側近に「宋美齢の北京語は浙江訛りが強いため、今後、用件は文書で送付するように」と要請した。そして宋美齢は李登輝の意図に気付かぬまま、自らの反民主主義的な発言を文書化して李登輝に送りつけ、これら一連の文書を証拠として民主化措置をさらに推進した李登輝は宋美齢の影響力を確実に弱めていった。………………………………………同上の、1938年1月5日付アメリカの友人宛の手紙では、また、人権と民主主義の危機についても書きつづられており、当時の宋美齢の世界観も垣間見られる。「列強が条約の尊厳を守るために、そして国際法を擁護するために、さらに人間の権利を保護するためになんらかの行動を起こすのはいつのことか、私たちには分かりません。ただちにそれがなされなかったとしたら、中国で現在進行している事態が、将来必ず他の民主主義国におよぶことがやがて明らかになるでしょう」。………………………………………アメリカ留学時代、快活でぽっちゃりとした宋美齢は、悪戯好きで、それを見咎められると巧みな話術で言い逃れるのが常だった。友達と喧嘩していつまでも責め続け、教師に厳しく叱られても、「いいえ、先生、やってみると案外楽しいものですよ」と答えた。………………………………………1938年1月5日付でアメリカの友人宛に手紙を書き送っている。その中に、当時、南京から脱出していた宋美齢によって書かれた、「上海-南京間」での大日本帝国軍の行状に関する記述が在る。「最初に殺戮が始まった時は、それはたまたま行われたものと思われていました。しかし、時が経つにつれて、それは可能なかぎり中国人を殺すという、計画的意図に基づいたものであることが判明したのです。日本は中国に手を出し横領しようと決意してから、まず中国北部に殺到し、そこをアヘンと麻薬を使って支配いたしました。それは、人民の戦意を挫き、民衆から抵抗の力を抜き取ってしまうためでした」「彼らは上海と南京の間で五体満足な男性すべてを一人ずつ、あるいは束にまとめて射殺しているのです。わずかに生き残った五体満足な男は、日本軍の使役を強制されています。南京において彼らは冷酷にも何千人も屠殺いたしました」と、友人に訴えている。同上の、1938年1月5日付アメリカの友人宛の手紙では、更に、アメリカに対する宋美齢の要求も述べられている。「中国において私たちは、補給が得られる間は戦えます。しかし、もし補給が得られなくなれば私たちは敗北することになりますが、それはアメリカとイギリスおよび他の諸国が日本を助けたがゆえに中国は敗れて亡びるのであって、日本自体に負けるのではありません」………………………………………1942年から1943年にかけてのアメリカ滞在中には、ホワイトハウスが手配した警護員を買い物係に利用したり、ホワイトハウスの絹のシーツを1日に4回も交換させる、またヘンリー・ルースの設立した支援団体である「ユナイテッド・チャイナ・リリーフ」の寄付金を、自らが使用する毛皮や宝石の購入、高級ホテルの代金に充てるといった公私混同を行っていたといわれている。セオドア・ホワイトは宋美齢のことを「冷淡でいわゆる愛人タイプの女性だった」と証言し、ルーズベルト大統領の次男のエリオット・ルーズベルトは「蔣介石夫人は男の歓心を得ることばかりに長く従事したので、今やそれが第二の性格のようになった印象を受けた。本来の性格は多分に恐ろしい者のように見え、正直言って怖かった」といった証言を残している。---※謎の日本憎し●180425【歴史】そいつは「真実の男」だルーズベルトが突然死してトルーマンになったから、日本に対しての路線が多少変わったよな。 https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1524488950/18 名前:名無しさん@涙目です。(大阪府) [CN][sage]投稿日:2018/04/23(月) 22:43:03.35 ID:YY5QsQKH0ルーズベルト政権内には、数百人規模の共産党のスパイがいた事が、ヴェノナ文書で明らかになっている。ルーズベルトとの密約通り、スターリンはドイツ降伏後三ヶ月後に不可侵条約を破って日本に侵攻してきた。ルーズベルト政権が、ハルノートを突き付けて日本を戦争に巻き込んだ張本人。終戦時に亡くなってたことは、日本にとっては幸運だった。反中の共和党のフーバー大統領のままだったら、もっと良かった。21 名前:名無しさん@涙目です。(東京都) [CN][]投稿日:2018/04/23(月) 23:25:12.99 ID:0aJs088G0>>18逆を言えばルーズベルトだったからこそアメリカ内でも強烈な赤狩りが行われたってもあると俺は思う太平洋戦争時も十分悪いタイミングだが、下手すりゃ日本にとってよりタイミングの悪い時期にアメリカとソ連の繋がりが発覚したかもしれないし---【朗報】日本には台湾有事に介入する力も意思もない―台湾メディア https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1751153538/1 名前:リケッチア(茸) [CN][] 投稿日2025/06/29(日) 08:32:18.84 ID:PHtdqwci0 [1/4]日本には台湾有事に介入する力も意思もない―台湾メディア2025年6月24日、台湾メディア・中時新聞網は、台湾有事に際して日本は「介入する力もないし、介入するつもりもない」とする評論記事を掲載した。記事は、中国海軍の空母「遼寧」が今月上旬に初めて日本の最東端である南鳥島の南西海域を航行すると同時に、空母「山東」も日本の最南端にある沖ノ鳥島北側に位置する日本の排他的経済水域(EEZ)で艦載機やヘリコプターの発着艦演習を実施したと紹介。7、8日には2日連続で海上自衛隊のP-3C哨戒機が「山東」から離陸したJ-15戦闘機による接近を受けたと伝えた。また、これに対して日本は12日に海上自衛隊の護衛艦「たかなみ」を台湾海峡に派遣し、海峡を越えて「遼寧艦」と「山東艦」の巡航を監視させたことで、中国軍機の「異常接近」への抗議の意思を示すとともに、台湾への軍事的圧力を強める中国をけん制したと伝えるとともに、中国がさらに対抗する形で19日から20日にかけて、軍用機50機と軍艦6隻を動員して台湾海峡周辺で活動を行ったとした。そして「日中双方の安全保障上の対立は高まり、この地域の緊張を激化させている」と評した。その上で、海上自衛隊が台湾海峡の航行に踏み切ったことが必ずしも「日本が台湾海峡で中国による台湾への軍事行動を阻止することを意味するものではない」と指摘。中国の空母打撃群が「第二列島線」にまで進出することで、米軍はグアムやハワイの防衛を固めるために戻る必要があり、そうなれば日本単独で「第一列島線」を守り切ることは不可能だと論じた。そして、日本は自衛隊の反撃能力を構築して中国を抑止しようとしているものの、いずも型護衛艦、通常動力型潜水艦、艦載ミサイルなどでは対抗できないとし、単独で国の安全を確保できない状況では中国との関係改善が安全保障上でも不可欠だと指摘した。 https://topics.smt.docomo.ne.jp/amp/article/recordchina/world/recordchina-RC_9555788 名前:フラボバクテリウム(ジパング) [US][sage]投稿日:2025/06/29(日) 08:37:33.10 ID:4UKf1vZ00 [1/3]中時新聞網 https://www.chinatimes.comchinatimesだとよw49 名前:ミクソコックス(千葉県) [CA][sage]投稿日:2025/06/29(日) 08:51:11.50 ID:0BYkhVDJ0>>8台湾における朝日毎日新聞ですなw207 名前:(東京都) [US][] 投稿日2025/06/29(日) 10:57:47.49 ID:DXwYAW5e0>>8台湾と日本を分断するって中国が一番やりたい事じゃんと思ったら、台湾のニュース社だけど中国寄りの報道をする会社なんだな。wikiよりチャイナタイムズニュースは、グレートファイアウォールにブロックされず中国本土から通常通りアクセスできる数少ない台湾のニュースサイトの一つです。31 名前:カテヌリスポラ(愛知県) [US][]投稿日:2025/06/29(日) 08:46:31.40 ID:+r6iI0c30台湾国内の中国よりプロパガンダ記事やん日本が台湾のために血を流すまでしないのは一理あるけど、といって台湾が中国と仲良くすべきってのは飛躍が過ぎる62 名前:アキフェックス(ジパング) [ニダ][sage] 投稿日2025/06/29(日) 09:05:20.51 ID:0/APOsvr0 [1/2]「米軍はグアムやハワイの防衛に『戻る必要』があり」願望で記事書いてるじゃん。『』内は完全に願望だよな。沖縄があるのにどうやって太平洋に出るんだよ。148 名前:シネココックス(庭) [IN][] 投稿日2025/06/29(日) 10:21:09.68 ID:EXWn+OQA0 [2/2]>>62マスコミですら日本貿易の最重要基地である嘉手納基地にはケチつけないからな137 名前:ミクロモノスポラ(ジパング) [US][sage] 投稿日2025/06/29(日) 10:14:21.38 ID:TdSH/CEU0 [6/6]2025年6月12日●“台湾有事”想定のシミュレーション 自衛隊の元幹部も参加 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250612/k10014832871000.html自衛隊制服組トップの統合幕僚長を務めた岩崎茂氏や、アメリカ軍制服組トップの統合参謀本部議長を務めたマレン氏など、合わせて17人が参加しました。152 名前:ミクロモノスポラ(東京都) [CA][sage]投稿日:2025/06/29(日) 10:23:16.66ID:WxWwpOXF0>>137このレベルの軍幹部が顔を揃えるというのは、日米が台湾防衛に対して並々ならぬ本気度を見せているということだろう。https://nihon9999.blog.fc2.com/blog-entry-23456.html

沖縄離島に次々と自衛隊基地&ミサイル配備。危険を押し付け、避難確保は不十分+トカラ

https://mewrun7.exblog.jp/33702183/
2025-06-29 06:00:00 - これは6月29日、2本めの記事です。 東日本大震災、熊本、能登の大震災をはじめ全国の自然災害の被災地の方々へ 早期復興を願うと共に、前向きにガンバです。o(^-^)o また、阪神淡路大震災を含め、被災地だけでなく全国の人々が、各地の被害、経験、情報などを風化させず、今後の災害の予防、対策に活かすようにして行きましょう!(・・) よろしければ、1日1回、2つのランキングの応援クリックをしてくださいませ。m(__)m 【*1、*2などの関連記事は、記事の最後にあるMoreの部分にあります。】 【トカラ群発地震・・・以前からちょこちょこ書いているように、私は国内外の旅系動画のファン。特に離島の動画が好きで、鹿児島県のトカラ列島にも親しみを感じている。 それゆえ、今月21日からトカラ列島(特に悪石島付近)で起きている群発地震を案じており、毎晩、気象庁の地震サイトで震度や回数をチェックしている。 21年3月に群発地震があった時は9日から24日まで246回だったのだが、今回は21日から29日午後までに震度1以上が550回超ともうほとんど揺れっぱなしの状態だ。悪石島では震度4が9回。29日だけで3回あった。(-"-) <21年12月には震度5強も観測している。>どうか早く地震が収束するように、住民や島に被害が及ばないように、心身に影響がないようにと願うばかりだ。 また同じ鹿児島県と宮崎県の県境にある新燃岳が23年ぶりに噴火。28日午後4までに54回の火山性地震が観測され、噴煙が最高で火口から1600メートルまで上がったという。<宮崎県内の親族宅には風向きによって灰が降って来る。^^;>こちらも早くおさまって欲しい。 両方とも南海トラフには関係がないということだが。災害にはややナーバスゆえ、遠くのことでも毎日、気になって仕方ないmewなのだ。(-_-;)】<リトウ(離島)と打つと、まず「離党」が出て来るので、ひとりで「そのリトウはないって~違」とウケてるmew。(^^ゞ> * * * 先週23日に沖縄慰霊の日のことを書いたのだけど。<『沖縄慰霊の日、玉城知事の恒久平和の訴え。石破はひめゆりの塔まで訪問。森保も参列』> あの時に書きたいと思っていたことを、一つ、ここで。 今、mewが気になっているのは、米軍基地の負担だけでなく、沖縄の島々に自衛隊基地が次々と作られ、ミサイル配備が行なわれていることだ。 何か今の状況を見ると、また日本政府が本土を防衛するために、かっての沖縄戦のように、沖縄の地や住民を犠牲にしているような感じがしてならないのである。(-"-) 1945年3月に米軍が沖縄に上陸。日本軍は戦況が悪化するのを受けて、何とか本土を防衛するため、沖縄でできるだけ長く米軍の勢力を食い止めるという戦略を立てた。 そのため、沖縄の一般県民も兵隊に駆り出され、少年少女も軍隊に貢献することを求められることに。一部の住民が日本軍によって殺されたり、集団自決を強いられたりしたという証言もある。 その結果、沖縄戦では沖縄県民が約12万人(民間人が約9万人)、県民の約4人に1人が死亡するに至った。亡くなった全ての県民、日本軍、米軍の兵士、計24万人以上の名が、24日の記事に写真を添付した「平和の礎」の石碑に刻まれている。(-"-) <22日にNHKーBSで映画「激動の昭和史 沖縄決戦」を放映していたのだけど。地上波でも放映して欲しいな~。(・・) 71年、岡本喜八監督(脚本・新藤兼人)らが史実を残そうとして作った作品。豪華俳優陣で映画としての見どころも。> またまた悪夢の安倍二次政権の話になってしまうのだが・・・。^^; 安倍二次政権が始まって、中国を敵視、警戒する安倍内閣は「台湾有事」の話をオモテに出し始めた。そして、沖縄の離島を防衛するためという大義名分で、次々と各島に自衛隊基地を作り始めたのである。<前々から計画して、安倍政権になったら「GO!」って感じだったのかも知れないけど。(>_<)> 『自衛隊の南西シフト・・・児島県南部から沖縄県の島々へ連なる南西諸島で、自衛隊の体制を強化する日本政府の方針。16年の与那国島(沖縄県)を皮切りに、19年の宮古島(同)と奄美大島(鹿児島県)、23年の石垣島(沖縄県)と駐屯地を次々と開設し、ミサイル部隊の新編などを進めている。(東京新聞24年7月2日)』 もちろん台湾や中国沿岸から近い沖縄の島々、島民を中国軍から守るためというのはウソではないのだが。 やはり「できるだけ米軍もいる沖縄で、中国軍を抑えて本土防衛をしたい」「まずは南西の島部で、中国軍の上陸やミサイル攻撃を食い止めたい」という目的があることは間違いあるまい。(-"-)* * * 23年1月に『Dr.コトーの与那国島に戦車、ミサイル。台湾有事の本土・離島防衛という大義名分の犠牲に』という記事を書いたのだが。https://mewrun7.exblog.jp/30213063/ たまたま東京では5月下旬から6月中旬にかけて、フジTVで午後2時から『Dr.コトー診療所』をずっと再放送していた。<03年、06年版も全部。> 『Dr.コトー診療所』がある離島は、与那国島がモデルだ。(今も診療所のセットとして造られた建物が残っている。(・・) あののどかだった与那国島にも2016年に自衛隊基地が設けられ、いまや日米軍の共同演習が行なわれたり、戦車が公道を走ったりするようになっている。何基もの高いレーダーの塔が建てられ、電子部隊が配置されている。(写真・末尾に) そして、案の定、ミサイル配備の話が出て来た。(-"-) 『「自衛隊誘致には賛成しても、ミサイル部隊となると『話が違う』と言う人はたくさんいる」。与那国町議会議長の崎元俊男さん(59)は苦渋の表情で語る。 台湾から111キロの島に100人規模のミサイル部隊の配備計画が持ち込まれたのは昨年5月。防衛省は住民説明会で「飛んできたミサイルを撃ち落とすためで、敵から攻撃を受けることはない」と繰り返した。 崎元さんは、陸上自衛隊与那国駐屯地を新設した2016年と同じやり口だと直感した。「最初は沿岸監視部隊の配備だけという説明だった。島は翻弄(ほんろう)されている。国は詐欺師のようで不信感しかない」と憤る。(東京新聞24年7月2日)』 いや、自衛隊の基地負担を強いる分、お金も落としてくれるのだ。^^; 『島西部の駐屯地開設後、徐々に変化が現れた。15年に約1480人だった人口が1割ほど増え、過疎化に歯止めがかかった。自衛隊員と家族は島内の3集落に分散して住み、祭事や学校のPTA活動など地域活動の担い手になった。駐屯地となった町有地の賃貸料約1500万円を元手に学校給食費は無償化。町民税の税収は5000万円増えた。(同上)』 ただ、それは危険(または命や生活の犠牲)と引き換えのお金である。(ーー) もし戦闘状態になれば、自衛隊の基地、特にミサイル基地のあr場所は真っ先に狙われるに違いない。(-"-) 政府は、与那国島をはじめ、南西諸島の島にシェルター(有事の避難所)を作ると約束したのだが。実際に与那国島のシェルターが完成するのは2028年だという。<それまでは、絶対に戦争はしないようにしないと。それ以後もダメだけど。(`´)> 宮古島市は今冬、石垣市は来年度以降の着工を目指すという。 万一に備えて、政府は各島の住民の避難計画も作成。与那国島の住民は、国が用意したジェット機で福岡空港に移動し、佐賀県が避難を引き受けることが決まっている。 しかし、この計画が間抜けなのだ。(-_-;) 政府は、およそ160人乗りの民間の小型ジェット機、「ボーイング737−800型機」を運航することで、およそ1700人の住民の避難を1日のうちに完了するとしているのだが。<危険が迫っているのに、10回に分けて運ぶこと自体「???」なのだけど。> 『県や国土交通省によると、各空港の設備は「国際民間航空条約」に基づく規定により、離着陸する航空機の座席数に応じて点滴など救急医療用の資器材の数が定められている。 避難計画では、与那国町の住民は約160人乗りの小型ジェット機で福岡空港に移動する。だが与那国空港には定期運航している約50人乗りのプロペラ機に対応する資器材しか配備されていない』ため、離着陸ができないというのだ。(>_<)(共同通信25年5月15日)』 いざとなれば、条約に違反しても運ぶしかないとは思うが。政府のシェルターや避難に関する計画を見て、今もやはり本気で住民を守る気はないんだなと再認識したmewなのだった。(@@) THANKS 【下の2つのランキングに参加しています。できれば、2つともクリックして頂けると、有難いです。組織票は全くなく、記事を読んで下さる方々だけが頼りなので、よろしくお願いします。m(__)m】 ↑もう1クリックが、ブログを続けるエネルギー源に"^_^"

新宿御苑 桜の終わりと新緑の季節へ3

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2025-06-28 06:00:00 - 4月21日の新宿御苑です。カメラはニコンZ7ⅡとZ28-400mmです。八重桜が終わり掛かっていました。数日早く行けていればまだ八重桜が綺麗だったのでしょう。暑い日だったので、芝生に座ている人達も日陰を求めていました。式子内親王の家集「式子内親王集」から 尋ぬべき 道こそなけれ 人しれず 心は慣れて 行きかへれども(意)あの人のもとへ訪ねてゆける道(方法)はない。誰にも知られぬまま、私の心は何度も行き来して、通い慣れてしまったのだけれど式子内親王の想像上の恋人なのでしょうか?あるいは藤原定家の事でしょうか?平安時代の内親王は非常に位が高く、藤原定家は和歌の世界では超有名でしたが、身分の差は大き過ぎて、とても定家程度の官位では顔を見る事も御簾越しで、会話も直答が出来たか?御簾からかなり離れていなければダメだったでしょう。男として口説き落とすのも物凄い勇気が必要だったでしょう。西園寺実氏が直接藤原定家から聞いた話として、式子内親王の百歌のうち激しい恋の歌は内親王から定家に贈られた歌であると後深草院の「後深草院御記」に書かれています。「又入道語申云、イキテシモアスマテ人ハツラカラシ、此歌者式子内親王被遣定家卿許歌也。正彼卿所語云々。自院被申歌之時、恋題之時、此歌被詠進者後事也云々。先遣定家卿許云々」 生きてよも あすまで人も つらからじ この夕暮を とはばとへかし 式子内親王(意)よもや明日まで生きていられようか、いや、いられない。それなら、もうあの人も私につらくはあたるまい。訪ねるなら、この夕暮れを訪ねて来て激しい恋のうたです。定家は式子内親王家の家宰だった時期もあったと言われています。年齢は13歳も定家が年下でした。式子内親王は後鳥羽院第三皇子守成親王(後の順徳天皇)を猶子(ゆうし、養子よりも緩やかな仮に結ぶ親子関係)としました。定家は東宮の守成親王に仕えました。承久の乱では後鳥羽院と和歌の道で距離を置いていていたことが幸いとなり、義兄弟の西園寺公経が権力を握るようになり、定家の藤原北家御子左流(みこひだりりゅう)の主家に当たる九条家が勢いを取り戻したことで定家は順調に出世をして最高官位は正二位権中納言となりました。P.S.☆超長期国債 揺らぐ財政規律に金利の警鐘赤字国債を幾ら発行をしても問題が無いなどと言っていた親自由主義経済学者の竹中平蔵たちに載せられて、安倍が滅茶苦茶な赤字国債を発行し続けたツケなのです。当時から私のブログでは警報を鳴らし続けていました。こんなことは経済学のイロハなのですが、頭がよろしくない安倍には理解が出来なかったのでしょう。安倍の遺産に頭を悩ましている財務省も安倍と同罪です!財務省のキャリア官僚は東大出のエリートでしょう???やはり東大出は頭がいいかも知れませんが、使い物にならに人が多いのです。日銀もかわいそうと言えば可哀想なのですが?安倍の暴走を止められなかった黒田前総裁に全責任があるのです。黒田総裁は安倍に経済諮問会議で意見をした事が1回だけあったのです。しかし安倍に一喝をされて黙ってしまい、それ以降は安倍のために日本を破滅に導く道案内をしてしまったのです。☆中国との戦力格差を埋めるには? 日本が早急に取り組むべき「米国ミサイルの配備」結局はアメリカの防衛産業を太らせて、アメリカの政治屋と日本の政治屋を太らせる事になっていくと言う事です。台湾有事には最初に中国軍は日本の広島以西のアメリカ軍基地と自衛隊基地にミサイルを撃ちこんでくるので、基地に駐機をしている航空機や港に停泊をして言う艦船は全滅をするでしょう。また地上発射型の地対地・地対艦・地対空ミサイル基地も壊滅する事になります。生き残るのは車両搭載型のミサイルだけでしょうが、弾薬庫が破壊をされると撃てるミサイルは当分は手持ちだけとなります。なんと言っても一番は戦争を起こさせないことに尽きるのです。☆お金に弱いトランプ…ゼレンスキーの「武器を買う」発言後にプーチン批判トランプは守銭奴でしょう。とにかくお金に汚い男でお金儲けのためにアメリカ大統領になろうとした男なのでしょう。最低です!トランプにしてもイスラエルのネタにエフにしても国家のトップにならなければ刑務所の中に入っていた人物たちがここのところ大きな事件を起こしているのです。ロシアのプーチンも政敵や自分を批判をする記者達を平然と暗殺をしてきた人殺しです。トランプがノーベル平和賞???「臍が茶を沸かす」話です。☆メラニア夫人のビザはどうなの?民主党議員がトランプ移民政策の矛盾にツッコミ、議会公聴会メラニア夫人のビザがオカシイと言う事なのです。トランプ得意のマジックなのでしょう。体制が変れば場合によっては強制送還???☆中露トップがBRICS会議欠席へ…プーチン氏はICC逮捕状の影響、習近平氏は「都合がつかない」プーチンは体調とICCの逮捕状のために行かないのでしょう。習近平はプーチンが出てこないのならば喜び勇んで飛んで来るはずなのですが?やはり中国国内で何かが起き始めていて海外に出られないのでしょう。あるいは習近平も体調が悪いと言われているので?☆米、中国からのレアアース輸出加速巡り合意=ホワイトハウス当局者中国が持っている交渉の武器を簡単に手放すはずがありません。ホワイトハウスの希望的な交渉なのでしょう。☆ソ連崩壊の二の舞い、軍拡競争でプーチン体制崩壊の可能性 ポーランド☆ロシア銀行業界がシステム的な危機を懸念、1年以内にも発生-当局者いくらロシアに隠し財源が有っても、EUの経済力ととNATOの軍事力では、ロシアの終末は多分1年と言うスパーンではなく、もっと早く半年スパーンでやってくるかも知れません。人海作戦も限界があるのです。

2025年6月23日、「慰霊の日」を受け取る。(4)-どのように受け取ったのか-

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2025-06-27 06:00:00 - 2025年6月23日「慰霊の日」を、どのように受け取ることができるのか。 実は、沖縄戦の実相には、どうしても語ることができなかった事実を、決意のもとに語り続けてくれた「声」が、あった。また、その「声」をきちんと検証し、体系づけてきた学問的営みが取り組まれてきた。 今回は、日本の新聞社は、「慰霊の日」から沖縄からの「声」を、どのように受け取ることができたのか。 2025年6月24日までに、確認できた社説・論説等は、次のもの。(2025年6月23日)日本経済新聞社説-戦後80年に思う沖縄の重み-(2025年6月24日)朝日新聞社説-沖縄慰霊の日 地上戦の記憶を後世に-琉球新報社説-戦後80年平和宣言 実相歪曲に厳しい姿勢を-沖縄タイムス社説-沖縄戦80年 全戦没者追悼式 体験者ら現状に危機感-読売新聞社説-沖縄慰霊の日 過度な基地負担を軽減したい-毎日新聞社説-戦後80年 沖縄慰霊の日 犠牲強いた歴史忘れない-北海道新聞社説-戦後80年 沖縄慰霊の日 戦禍の実相 改めて直視せよ-中國新聞社説-沖縄戦80年 今も続く痛み 忘れまい-信濃毎日新聞社説-戦後80年の慰霊 「沖縄のこころ」をともに-神戸新聞社説-沖縄慰霊の日/「戦前」への回帰は許されない-北日本新聞社説-沖縄慰霊の日/世界に届け「命(ぬち)どぅ宝」-山梨日日新聞-[沖縄戦80年]自身に引きつけ学ぶ努力を-佐賀新聞論説-「沖縄戦終結80年」不戦を次世代へ語り継げ-宮崎日日新聞社説-沖縄戦終結80年- ここでは、信濃毎日新聞の社説を取りあげて考える。 信濃毎日新聞は、「戦後80年の慰霊 「沖縄のこころ」をともに」、と社説で論評した。 この「沖縄のこころ」から透過した、信濃毎日新聞の社説を取りあげて考える。 最初に、「信濃」の「沖縄戦80年」の把握。1.世界に戦火が広がるなか、きのう、沖縄は慰霊の日を迎えた。2.太平洋戦争末期、日米合わせて20万の人命が奪われた。半数は、本土決戦に向けた持久戦に巻き込まれた住民だった。その沖縄戦から80年がたった。3.ふるさとを二度と戦場にしないとの誓いを、歴代の沖縄県知事たちは「沖縄のこころ」と表現してきた。「基地のない平和な島」を県民は願い続けてきた。それは今もないがしろにされている。 次に、信濃毎日新聞は、「沖縄戦80年」を「遠のく平和の島」、と次のように説く。1.戦後、27年間に及ぶ米軍の統治から脱しても、広大な土地が接収されたまま、在日米軍専用施設の7割が集中する負担を強いられている。重大な事件・事故の解決を訴えるたび、米軍の特権を認める日米地位協定に阻まれる。2.普天間飛行場の辺野古移設問題では、県民投票で反対の民意が示されたのに、外交、防衛は国の専権だとして日本政府は取り合わない。極度の軟弱地盤に対する専門家や県の疑義も顧みず、強権をもって工事が続く。3.ここにきて「台湾有事」を理由とした軍拡の動きも急だ。4.中国が遠からず台湾を攻め、日本にも脅威が及ぶとの見立てのもと、与那国島、宮古島、石垣島、鹿児島県奄美大島などに自衛隊の基地ができ、増強されている。政府は敵基地攻撃能力の保持を認め、九州では中国沿岸に届くミサイル配備の検討も進む。5.中国に軍事行動を思いとどまらせるためだという。これに対する中国は空母を次々配備して活動域を広げ、核戦力の増強を進めているとされる。互いの領海、領空近くでの艦船や航空機によるけん制、挑発も目立っている。 その上で、「平和の島」の実像を、「万が一にも衝突が起きれば双方に大きな被害が出ると分かっていながら、止まらない。『基地のない平和な島』の実現は遠のくばかりに見える。」、と指摘する。 一方、「沖縄戦80年」を「強いて争わず」、と沖縄のこころを現状に対置する。1.「万国津梁(しんりょう)の鐘」とよばれる釣り鐘が、那覇市の県立博物館にある。1458年、当時の琉球国王が造らせた。そこに次のような意味の銘文が刻まれている。2.―琉球国は南の海の景勝地で、関係が深い中国と日本との間に浮かぶ理想郷である。交易によって世界のかけ橋(津梁)となり、国中に宝物が満ちている―3.かつて沖縄は、独立した海洋国家として栄えた。4.中国による東アジアの国際秩序のもとで臣下の礼をとりつつ、武力侵攻した薩摩藩の支配下にも入った。腐心したのは、強いて争わず、それぞれとの関係を損なわないバランス外交だった。5.同時に、日中のほか朝鮮、東南アジアと交易を重ねた。街なかではさまざまな国の人々が交わり、生糸や絹、陶磁器、薬、金銀、象牙、香辛料などの品々が行き交ったと伝えられている。6.琉球王国が育んだこうした姿勢は、1879年の併合で日本の一地方となり、失われた。その果てに、住民多数が犠牲になった沖縄戦を迎えたともいえる。7.日本復帰後、「沖縄のこころ」が顧みられない現実のなかで、県知事たちは万国津梁の歴史をたびたび引用し、その理想を目指すと宣明してきた。8.東・南シナ海の結節点という地の利を生かし、武力によらず、交易を通じて自らの安全と生存を保持する―。そこに、進むべき道を見いだすからだ。 最後に、信濃毎日新聞は、「沖縄戦80年」の向こう側に、沖縄県の「覚悟の『地域外交』」を見据える。1.「東アジアの経済的な結びつきが密接な今日、平和的な外交、対話を通じた緊張緩和と信頼醸成がこれまで以上に必要だ」。玉城デニー知事もこの2月の県議会で、アジア・太平洋地域における安全保障環境の緊張の高まりを踏まえつつ、訴えた。2.昨年、県が独自に取りまとめた地域外交基本方針が下敷きになっている。2.力と力がせめぎ合う国家外交とは別に、命の尊厳を重んじる「人間の安全保障」に基づき、自治体や経済、市民の交流を積み上げていく構想だ。4.本年度は多くの移民が渡った米ハワイ州や、中国福建省、韓国済州特別自治道、パラオ共和国などと友好交流を進め、国際会議の誘致などで「沖縄を対話の場とすべく取り組む」という。5.冷ややかな視線はある。2年前、玉城知事が訪中して政府要人と会談した際は、尖閣諸島領有をめぐる日中対立を踏まえて、中国に利用されるだけだ―との批判も県内外で聞かれた。6.だが、「国の専権」だと任せておいて住民を守れるのか。拭いがたい疑念が「地域外交」を覚悟させている。7.自衛隊と在日米軍の強化は全国で進行中だ。信州も、沖縄の取り組みをよそごととして傍観はしていられない。 その上で、「『たとえすぐに変化はなくても、この沖縄から平和を発信し続け、行動することが世界平和につながると信じている』」。激戦地、摩文仁の丘で開かれた戦没者追悼式の平和宣言で、玉城知事が語った。その『こころ』をともにしたい。」、と覚悟を示す。(https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2025062400229 参照) 「2025年6月23日「慰霊の日」を、どのように受け取ることができるのか。」の答えは、「激戦地、摩文仁の丘で開かれた戦没者追悼式の平和宣言で、玉城知事が語った。その『こころ』をともにしたい。」(信濃毎日新聞)に篤く謳われている。

沖縄-辺野古-高江から-2025年6月25日

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2025-06-25 06:00:00 - 「慰霊の日」が伝える沖縄戦の実相。 「『つらいけど来ないとね』『次世代に戦禍を伝えてほしい』-。戦後80年の『慰霊の日』となった23日、多くの戦争体験者や遺族が糸満市の『平和の礎』を訪れ、大切な人の面影を求めて手を合わせた。体験者の減少や沖縄戦の実相をゆがめる政治家の発言、世界で繰り返される武力衝突。社会を取り巻く厳しい現状に危機感を抱きながらも、戦争の悲惨さ、平和の尊さを再確認し、記憶の継承を誓った。」、と沖縄タイムス。 また、「戦中、一家は草や岩の陰に身を潜めるしかなかったという。6月23日ごろに米軍に見つかり、投降を促された。『戦争は終わった。出てこい出てこい』との呼びかけを耳にしたが、機銃掃射なのか『バラバラ』という音も聞こえ、キミ子さんは震えた。『近くで亡くなった人がたくさんいた。あれは絶対に忘れられない』。平和の礎に向かう道中、松の木の下で眠るように息絶えていた日本兵の姿も思い出す。『だから摩文仁に来るのはつらい。でも妹たちもいるからね』と声を絞り出す。人の名がある刻銘板を離れる時、名残惜しそうにこう語った。『ここでは、シズ子とシヅエの顔をはっきり思い出せるさ。また来るからね』」(沖縄タイムス)、と。 さらに、「生き残った人にも苦しみをもたらす戦争は、急にはやってこない。戦争遂行のため言論の自由を奪われ、監視社会がつくられる中で、国民は戦場に駆り立てられていった。沖縄では今、『台湾有事』を念頭に、軍備増強が急速に進む。体験者らでつくる団体は『二度と戦場にさせない』と次々と反対声明を打ち出した。体験者は当時を振り返り、『あの時はものが言えない時代だった』と口々に語る。しかし現在は日本国憲法下で表現の自由が保障され、おかしいと感じれば異を唱えることができる。」(沖縄タイムス)、とも。 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。 何よりも、自らが沖縄から受け取るものを明確にするために。それは、捉え直しとして。 2025年度も、改めて琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。(1)沖縄タイムス-80年たっても癒えぬ傷 沖縄戦の惨禍を繰り返さない 世界の紛争を憂い平和を誓う 沖縄「慰霊の日」-2025年6月24日 4:50-[鉄の暴風吹かせない 戦後80年] 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.戦後80年の「慰霊の日」を迎えた23日、沖縄は鎮魂の祈りに包まれた。「鉄の暴風」といわれる苛烈な地上戦で亡くなった20万余の犠牲者を追悼する催しが県内各地で営まれ、最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)が執り行われた。県内外から約4千人が参列。今なお世界で相次ぐ武力衝突に沖縄戦の記憶を重ねる人もおり、平和の誓いを新たにした。(社会部・下里潤)2.この日、建立から30年となった同公園内の「平和の礎」には、早朝から手を合わせる老若男女が絶えなかった。石板に刻まれた戦没者名は24万2567人。戦前生まれの80歳以上が県人口の1割を切る中、参列者は記憶継承への思いを共有した。中東地域やウクライナなど、今なお世界で相次ぐ武力衝突に胸を痛める人も多かった。3.追悼式では、正午の時報に合わせて1分間の黙とう。県遺族連合会の我部政寿会長は戦後80年たった今も遺族の傷は癒えることはないとし、「戦争の惨禍を繰り返さないために次世代へ伝承していく」と述べた。4.玉城デニー知事は平和宣言で、沖縄戦や国際平和構築に向けた研究体制の整備の他、戦争遺跡の活用や世界遺産登録、核兵器廃絶に向けた取り組みを挙げ「沖縄から平和を発信し続ける」と強調した。5.石破茂首相は沖縄に基地が集中する現状に触れつつ「負担の軽減を目に見える形で実現する。それが私自身の強い決意だ」と述べるにとどめた。戦没者の遺骨収集や不発弾処理については「着実に取り組んでいく」と語った。6.追悼式にはこの他、衆参両院議長や最高裁判所長官が出席し、30年ぶりに三権の長がそろった。国連軍縮担当上級代表の中満泉事務次長、2024年ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の田中重光代表委員も初めて参加した。(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1611145 参照 2025年6月24日)(2)沖縄タイムス-眼前で妹2人を砲撃され失う 苦しむ姿が脳裏に 埋葬場所が分からず平和の礎へ 93歳「また来るからね」(社会部・嘉数よしの)-2025年6月24日 5:28-[鉄の暴風吹かせない 戦後80年] 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.「つらいけど来ないとね」「次世代に戦禍を伝えてほしい」-。戦後80年の「慰霊の日」となった23日、多くの戦争体験者や遺族が糸満市の「平和の礎」を訪れ、大切な人の面影を求めて手を合わせた。体験者の減少や沖縄戦の実相をゆがめる政治家の発言、世界で繰り返される武力衝突。社会を取り巻く厳しい現状に危機感を抱きながらも、戦争の悲惨さ、平和の尊さを再確認し、記憶の継承を誓った。2.「かわいーぐゎーだったよ、2人とも」。宜野湾市の宮城キミ子さん(93)は涙声でそう言い、「平和の礎」に刻まれた妹の伊佐シズ子さん(沖縄戦当時8歳)とシヅエさん(同5歳)の名をなでた。3.自宅があった現在の宜野湾市から、多数の住民が避難していた糸満市喜屋武方面へ逃げていた6月。目の前でシズ子さんとシヅエさんが砲撃を受けた。4.シヅエさんは即死。シズ子さんは額から「脳みそ」が見える重傷を負ったが、息をしていた。キミ子さんはその姿が忘れられない。「白と赤の汁がぽたぽたと垂れて、苦しそうだった」。1週間耐えたが、亡くなった。5.両親や姉と共に、拾ってきた弾薬箱に2人の亡きがらを納め、喜屋武岬に埋めたが、その場所がはっきりしない。「行けたら泣くこともできるのに」と悔しがる。代わりに平和の礎に毎年訪れている。6.戦中、一家は草や岩の陰に身を潜めるしかなかったという。6月23日ごろに米軍に見つかり、投降を促された。「戦争は終わった。出てこい出てこい」との呼びかけを耳にしたが、機銃掃射なのか「バラバラ」という音も聞こえ、キミ子さんは震えた。「近くで亡くなった人がたくさんいた。あれは絶対に忘れられない」7.平和の礎に向かう道中、松の木の下で眠るように息絶えていた日本兵の姿も思い出す。「だから摩文仁に来るのはつらい。でも妹たちもいるからね」と声を絞り出す。8.2人の名がある刻銘板を離れる時、名残惜しそうにこう語った。「ここでは、シズ子とシヅエの顔をはっきり思い出せるさ。また来るからね」(社会部・嘉数よしの)(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1611135 参照 2025年6月24日)(3)沖縄タイムス-「知らなくてごめんなさい」 祖父母ら8人が「集団自決」で犠牲に…父は明かさず 自分事になった沖縄戦を語り継ぐ(社会部・新垣玲央)-2025年6月24日 6:13 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.「知らなくて本当にごめんなさい」。奈良県から訪れた比嘉義武さん(83)=読谷村波平出身=は23日、「平和の礎」にそう語りかけた。刻まれた10人のうち祖父母を含む親族8人は波平のチビチリガマで「集団自決(強制集団死)」の犠牲になった。分かったのは9年前。戦後70年以上たっていた。2.比嘉さんは沖縄戦時、旧満州にいたが、当時3歳で記憶はほぼない。母と0歳の妹はそこで亡くなったと聞かされた。物心ついた頃には父と兄2人の4人で波平にいて、チビチリガマは幼少期の「遊び場だった」。3.犠牲者が身内にいると知ったのは74歳。県外で就職し退職後も暮らす奈良市で、図書館へ行った時だった。下嶋哲朗著「チビチリガマの集団自決」を偶然手に取ると、犠牲者の記述の中に実家の屋号があった。4.「なんで自分は今まで知らんかったんや」。衝撃とともに自らを責めた。5.高校卒業までいた地元で聞いたことはなかった。父は両親ときょうだい5人が死に追いやられたが一切語らず、88歳で他界していた。「親が子を殺し、子が親を殺す。悲惨なことだから話せなかったんだろう」6.昨年初めて平和の礎を訪れ、母と妹も含め10人の名前を確認した。それまで「全然関係なかった」戦争が一気に自分事となった。7.訪問2回目の今年は「皆に語り継ぐための2歩目」だと話す。「戦争に正義はない。繰り返さないため、むごいことも何でも話していかんと」と力を込めた。(社会部・新垣玲央)(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1611152 参照 2025年6月24日)(4)沖縄タイムス-「4世代で来られてありがたい」 91歳、魂魄の塔で亡き父しのび合掌 子孫、戦争の痛みを感じ取る(吉田光)-2025年6月24日 5:31 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.沖縄県南城市の金城秀子さん(91)は23日、子、孫、ひ孫と共に父屋比久亀松さん(享年37)が亡くなった付近とされる糸満市米須の魂魄の塔を訪れた。遺骨は見つかっていない。だが、塔に行けば大好きな父に会える。戦後80年の慰霊の日も変わらず父を思い、「4世代で来られてありがたい」とつながる命をかみ締めた。2.足や腰の具合が悪い金城さんは、歩行器を使いながら塔の前に進み、二つの小さな段差を上った。そしてゆっくり手を離し、15秒間そっと手を合わせ祈った。3.身長が高く優しかった父は沖縄戦の開始と同時に軍に召集された。目撃情報は糸満が最後で、墓には遺骨の代わりに石を入れた。戦後は消息を絶った場所に近い魂魄の塔に毎年通い、追悼するのが習慣だ。4.慰霊に向き合う姿勢は孫の我如古稚奈さん(45)にも引き継がれた。物心が付いた時から毎年、祖母に連れられ魂魄の塔へ。小学生の頃はその意味をあまり理解できなかったが「祖母は追悼の場で戦争の痛みや悲しみを感じてほしかったんだと思う」。5.娘の仲里タマ子さん(72)によると、慰霊の日が近づくにつれ金城さんは「魂魄に必ず行こうね、何時に行く?」と目を輝かせる。「祖父に会えると思うと母はわくわくする。今日はいつもよりも元気」と目を細めた。6.ひ孫の我如古乙葉さん(7)は、金城さんの提案を受けて50羽の折り鶴を塔へ供え「平和になってほしい」とはにかんだ。7.元気なうちは必ず足を運び、父に会いたいと願う金城さん。「ここで父に思いを巡らせ、ひ孫らと手を合わすと心が安らぐ。一緒に来てくれてありがとうと言いたいね」(吉田光)(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1611150 参照 2025年6月24日)(5)沖縄タイムス-【記者の視点】戦争の再来を許さない 異議言える社会を守る(社会部・當銘悠)-2025年6月24日 5:50 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.戦後80年の慰霊の日。強い日差しが照りつける中、平和の礎に刻まれた名前をじっと見つめ、家族に向き合う体験者の姿があった。2.「お父さーん。おうちのサルスベリが満開だよ」。恩納村の女性(86)は持参した花を供え、礎に刻まれた名前に涙ぐみながら声をかけた。防衛隊として本部半島で命を落とした父は、今も心の中にずっと生きている。3.戦争で両親を失い、孤児になった南風原町の男性(88)は「戦後も何で親がいないのかねってずっと苦しかった」とつぶやいた。4.生き残った人にも苦しみをもたらす戦争は、急にはやってこない。戦争遂行のため言論の自由を奪われ、監視社会がつくられる中で、国民は戦場に駆り立てられていった。5.沖縄では今、「台湾有事」を念頭に、軍備増強が急速に進む。体験者らでつくる団体は「二度と戦場にさせない」と次々と反対声明を打ち出した。6.体験者は当時を振り返り、「あの時はものが言えない時代だった」と口々に語る。しかし現在は日本国憲法下で表現の自由が保障され、おかしいと感じれば異を唱えることができる。7.23日の全戦没者追悼式には石破茂首相も出席し「民間人が戦に巻き込まれることがあってはならない」と述べた。国民保護法制整備に関わった際、念頭にあったのは「悲惨な沖縄戦だった」と言う。だが、そもそも有事を想定した避難計画に、県民は戦争の再来への強い危機感を抱く。8.二度と惨禍を繰り返さないために。私たちは体験者の言葉を胸に刻むとともに、歴史を学び、権力者の言動を注視しなければならない。もの言える社会を守っていかねばならない。(社会部・當銘悠)(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1611137 参照 2025年6月24日)(6)沖縄タイムス-参院選を前に西田氏発言の火消しが狙いか 石破首相のひめゆり訪問 玉城デニー知事は歴史歪曲に危機感(政経部・嘉良謙太朗、東京報道部・新垣卓也、山城響)-2025年6月24日 6:43-[ニュース断面] 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.沖縄戦の実相をゆがめようとする政治家の発言が相次ぐ中で迎えた戦後80年の「慰霊の日」。玉城デニー知事は就任後7回目の平和宣言で、沖縄戦の実相と教訓を後世に伝えていく重要性を強調した。自民党国会議員による歴史修正主義的な発言が県内で反発を招く中、石破茂首相はひめゆりの塔などを訪問。首相が公務で訪れるのは異例で、7月の参院選を前に火消ししたい思惑がのぞく。(政経部・嘉良謙太朗、東京報道部・新垣卓也、山城響)2.県内では5月、自民党の西田昌司参院議員がひめゆり平和祈念資料館の展示内容を「歴史の書き換え」などと発言。他の国会議員からも擁護するような声があり、沖縄戦の実相を歪曲(わいきょく)しようとする動きに危機感が広がった。3.玉城知事は沖縄全戦没者追悼式後の記者会見で「体験と研究によって紡ぎ出され、積み重ねられてきた沖縄戦の事実を伝えていくことは非常に重要な責任」と指摘。沖縄戦の実相と教訓を引き継いでいく必要性を平和宣言の基本に据えたと明かした。4.知事は戦後90年、100年を見据え、国際平和研究機構の創設や沖縄の戦争遺跡群の保存・活用などに取り組む考えを表明。県関係者は「知事の思い」が盛り込まれたと説明し「長期的な視点に立ち、取り組むことを宣言した。事業化に向けて検討したい」と述べた。5.世界では米軍によるイランの核施設攻撃、パレスチナ自治区ガザでの戦闘、ロシアによるウクライナ侵攻など紛争が絶えない。混迷する世界情勢を踏まえ、県関係国会議員は「知事にはイスラエルやイランで起きていることにも触れてほしかった」と語った。6.「決して、民間人が戦に巻き込まれることがあってはならない」。石破茂首相は式典のあいさつで、防衛庁長官として国民保護法制を担当した際、「念頭にあったのは沖縄戦だった」と言及。ひめゆりを訪れた理由について、その思いをもう一度胸に刻むためだと記者団に説明した。7.政府関係者は「ひめゆりへの訪問も含め、沖縄への思いの持ちようは他の政治家と異なる。それを明確に示したいのだろう」と首相の言動の背景を解説する。8.一方、県内に400を超える慰霊の碑や塔が存在する中、石破氏がひめゆりの塔を選んだことに対し「『西田発言』の火消し以外に説明がつかない」(県関係自民国会議員)との声も。別の政府関係者は「首相が自身の出身地の慰霊塔を訪れることはよくあるが、ひめゆり訪問は異例だ。参院選前に『西田発言』を打ち消す狙いにほかならない」と話した。(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1611085 参照 2025年6月24日)(7)沖縄タイムス-【記者の視点】沖縄に寄り添う姿勢をアピールしたが…石破首相のあいさつは従来の範疇を超えず(政経部・銘苅一哲)-2025年6月24日 6:34 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.石破茂首相は「慰霊の日」の23日、糸満市摩文仁で開かれた沖縄全戦没者追悼式で沖縄の過重な基地負担に触れ「目に見える形で実現する。私自身の強い決意だ」と述べた。沖縄振興や戦後処理への対応にも言及し、就任後初の参列で沖縄に寄り添う姿勢をアピールした格好だ。一方、歴代首相も追悼式で負担軽減を掲げながら新たな負担となる名護市辺野古の新基地建設を進めてきた。石破氏の言葉を額面通りには受け取れない。(政経部・銘苅一哲)2.石破氏は小泉内閣で防衛庁長官として国民保護法制の法整備に関わった際、民間人が戦争に巻き込まれることがあってはならない思いがあったとし「その念頭にあったのは沖縄戦だった」と語った。3.国家戦略として沖縄振興を進める、とも発言。「経済界を中心に(基地)返還予定地を活用した経済成長のグランドデザインが策定された」と述べ、基地の整理・統合・縮小と跡地の有効活用を進めるとした。4.遺骨収集や不発弾処理に取り組むことも表明した。安全保障政策に精通する政治家として、沖縄への思いを自らの言葉で語った印象を受ける。5.ただ、発言の趣旨は従来の首相あいさつの範疇を超えていない。6.式典後は記者団に負担軽減について「海兵隊や訓練の移転、事件事故を米側と撲滅する営み、土地の返還だ」と説明した。7.日米地位協定の改定にも触れたが、首相就任後の動きは鈍い。県民が求めている負担軽減とは溝がある。(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1611076 参照 2025年6月24日)(8)琉球新報-【慰霊の日】「平和の詩」を朗読した孫に祖母「同じ目に遭ってほしくない」 父は戦死、大やけどの弟は衰弱死 隠し続けた傷が題材に 沖縄戦80年(宮沢之祐)-2025年06月24日 05:00 琉球新報は、表題を次のように報じた。1.激しい地上戦で、沖縄が焦土と化してから80年。「慰霊の日」の23日、沖縄は鎮魂と平和を願う祈りに包まれた。しかし、今もなお、戦火を逃げ惑う人たちが世界各地にいる。沖縄戦の歴史観を巡り、実相をゆがめるかのような政治家の発言も相次ぐ。玉城デニー知事は戦後80年の平和宣言で、沖縄戦の実相と教訓の継承を「今を生きる私たちの使命ではないか」と問いかけた。伝えるべきことは何か。私たちに何ができるのか。県内各地で、一人一人が過去と現在に向き合った。2.80年たっても消えないおばあちゃんの悲しみを伝えられた。23日の戦後80年沖縄全戦没者追悼式で、豊見城市立伊良波小6年の城間一歩輝(いぶき)さん(11)は、平和の詩「おばあちゃんの歌」を力強く朗読した。祖母の比嘉キヨ子さん(85)は、隠し続けてきた左脚の傷跡が詩の題材になったが、「孫たちが同じ目に遭ってほしくない。平和のため頑張る孫たちを応援したい」と拍手を贈った。3.80年前の6月、キヨ子さんは、ばらばらの死体が転がる道を逃げた。防空壕に逃げ込んだが、米兵に手りゅう弾を投げ込まれた。大やけどをした1歳の弟は苦しんだ末に衰弱死した。自身も左の太ももに深い傷を負った。父は戦死し、顔も覚えていない。4.城間家の3きょうだいは、慰霊の日にキヨ子さんの話を聞く習わしだ。姉の一華さん(17)=向陽高校3年=も2年前、家族にも隠していた左脚の傷を見せてもらった。キヨ子さんが弟にビスケットを食べさせたかった思いをつづり、平和メッセージの作文部門で最優秀賞に選ばれた。キヨ子さんは傷を恥じ「死ねばよかった」とよく口にした。「でも孫たちが泣くんです。『生きていてくれてありがとう』と言ってくれた」5.一歩輝さんは書いた。「両手でぼくのほっぺをさわって/『生き延びたくとぅぬちぬちるがたん』/生き延びたから命がつながったんだね/とおばあちゃんが言った」6.キヨ子さんの前で初めて朗読した時は泣いてしまい読み切れなかった。式では最後まで読み切った。キヨ子さんに頬をなでられて、はにかんだ。7.戦争は心身に傷を残す。一華さんも一歩輝さんも教員になるのが夢だ。祖母のつらい気持ちを語り継ぎたい。「沖縄戦を伝えていくことが平和につながる」と。 8.追悼式の後、家族みんなで平和の礎へ。一歩輝さんの曽祖父と大叔父に当たる名前の前で、手を合わせた。あの時、食べさせられなかったビスケットも、手向けた。(宮沢之祐)(https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-4370716.html 参照 2025年6月24日)(9)琉球新報-沖縄戦の実相と教訓、次世代へ 戦後80年の慰霊の日、県内各地で鎮魂の祈り(宮沢之祐)-2025年06月24日 05:00 琉球新報は、表題を次のように報じた。1.沖縄戦で組織的戦闘が終結したとされる「慰霊の日」の23日、亡くなった20万人余りを悼み、平和を誓う黙とうが沖縄県内各地でささげられた。糸満市摩文仁の平和祈念公園では戦後80年沖縄全戦没者追悼式(県・県議会主催)が開かれた。戦後80年の節目を迎え、沖縄戦の歴史認識を巡る問題発言が相次ぐ中、悲惨な地上戦を経験した県民からは、戦争の実相と教訓を次世代に継承することを願う声が上がる。2.玉城デニー知事は追悼式で「万国津梁(しんりょう)の精神により国際社会とともに恒久平和の実現に貢献したい」とする平和宣言を発表した。3.追悼式には、石破茂首相や額賀福志郎衆院議長、関口昌一参院議長に加えて今崎幸彦最高裁長官も参列し、30年ぶりに三権の長がそろった。中満泉国連事務次長(軍縮担当上級代表)と、2024年にノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の田中重光代表委員も初めて招かれた。4.中満事務次長は、米国によるイランへの武力行使を踏まえ「戦争への道ではなく、平和と共存への道を、そして核兵器のない世界への道を、冷静に探ることが必要」と訴えた。5.豊見城市立伊良波小学校6年の城間一歩輝さんが、「平和の詩」に選ばれた「おばあちゃんの歌」を朗読。「おばあちゃんが繋いでくれた命を大切にして一生懸命に生きていく」と結び、平和に向けての努力を誓った。(宮沢之祐)(https://ryukyushimpo.jp/newspaper/entry-4370704.html 参照 2025年6月24日)(10)琉球新報-沖縄戦80年、孫に背中押され体験語る 西原町の大城久子さん(87)「残酷な光景が今も頭に」(渡具知和奏)-2025年06月24日 05:00 琉球新報は、表題を次のように報じた。1.沖縄戦で組織的戦闘が終結したとされる「慰霊の日」の23日、亡くなった20万人余りを悼み、平和を誓う黙とうが沖縄県内各地でささげられた。糸満市摩文仁の平和祈念公園では戦後80年沖縄全戦没者追悼式(県・県議会主催)が開かれた。戦後80年の節目を迎え、沖縄戦の歴史認識を巡る問題発言が相次ぐ中、悲惨な地上戦を経験した県民からは、戦争の実相と教訓を次世代に継承することを願う声が上がる。2.「残酷な光景が頭から抜けない」と、自身の戦時の経験を語って来なかった大城久子さん(87)=西原町=を突き動かしたのは、共に魂魄の塔を訪れた孫の光さん(23)だ。3.中城村出身の久子さんは、沖縄戦当時まだ小学校低学年だった。南部に逃げ、たどり着いた摩文仁の丘近くで、血の海となった道を目にした。自身も戦争で両親ときょうだい4人、おい2人の計8人を失った。全員の遺骨は見つかっておらず、石を塔に納めている。4.孫の光さんは、戦争体験を直接聞ける最後の世代だと自覚し、大学生になってから沖縄戦を学び始めた。その姿に背中を押されるように、久子さんは3年前、体験を話すようになった。5.家族を失った祖母から「生きていることは当たり前ではない」と教わってきた光さんは、沖縄で子どもたちに平和を伝えることを目指す。祖母の思いを継ぎ「今ある命を大切にし、大好きな沖縄を後世に残していきたい」と力を込めた。 久子さんは「人を殺しては絶対にいけない。孫たちの生きる今が平和な世界でなければいけない」と訴え、光さんに「上から人を見下ろすより、下から人を支えられる人になってほしい」と願った。(渡具知和奏)(https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-4370786.html 参照 2025年6月24日)(11)沖縄タイムス-牛島司令官の「辞世の句」を日本軍中央が書き換え 中谷防衛相、認識を問われ「直接確認できず答えるのは困難」-2025年6月24日 12:45 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.【東京】中谷元防衛相は24日の記者会見で、沖縄戦を指揮した日本軍第32軍の牛島満司令官の「辞世の句」が軍中央によって書き換えられていたことについて「防衛省としては直接的な確認を取ることができない状況であり、お答えすることは困難だ」と述べ、自身の認識に関する言及を避けた。2.中谷氏は4月18日の衆院安全保障委員会で、陸上自衛隊第15旅団(沖縄県)が公式サイトに牛島司令官の辞世の句を掲載していることを巡り、「もう二度とあのようなこと(沖縄戦)が起こらないよう平和を願っているとの印象が強いのではないか」と持論を述べていた。3.中谷氏は24日の記者会見で、その辞世の句が軍中央によって書き換えられていたことへの見解を問われた。4.サイトの辞世の句は、15旅団の前身である臨時第1混成群の初代群長・桑江良逢氏が沖縄の日本復帰時の訓示で句に言及したことを紹介する形で掲載されており、中谷氏は「私の国会での答弁は、訓示における桑江氏の平和への決意を踏まえ、戦争の惨禍を二度と繰り返してはならないとの考えのもと、防衛大臣としてわが国の平和への願いを述べたものだ」とした。5.辞世の句は、牛島司令官が自決する前の1945年6月18日に大本営に送った「決別電報」の締めくくりに詠まれた句。6.電報の戦況を伝える内容や句の一部が軍中央によって書き換えられていたことを、沖縄国際大非常勤講師の吉川由紀さんが国立公文書館アジア歴史資料センターが公開している暗号電報の訳文などから確認した。7.一方、辞世の句をサイトに掲載している陸自第15旅団は本紙取材に「(決別電報と)記述が一部異なっているのは認識している」と回答している。(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1611458 参照 2025年6月24日)(12)沖縄タイムス-「断じて容認できない」 石垣市議会、西田議員のひめゆりの塔発言に抗議決議案 賛成12反対6で可決-2025年6月24日 13:25 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.沖縄県の石垣市議会(我喜屋隆次議長)は24日の6月定例会最終本会議で、ひめゆりの塔(糸満市)を巡る西田昌司自民党参院議員の発言に対する抗議決議案を賛成多数(賛成12、反対6、退席3)で可決した。2.決議案は野党の長浜信夫氏と与党の平良秀之氏(公明)がそれぞれ提出していたが、文案調整などを経て野党案に1本化した。「沖縄戦の実相を認識せず、歴史を修正しようとするもので断じて容認できない」と批判している。3.一部与党は「謝罪している」「個人の思想に関するものだ」などと反対した。(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1611484 参照 2025年6月24日)(13)沖縄タイムス-[大弦小弦]近づく戦争の足音 沖縄戦の教訓伝えねば(大門雅子)-2025年6月24日 6:23 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.慰霊の日のきのう、摩文仁の「平和の礎」では沖縄戦の遺族が肉親の名をなでながら静かに手を合わせていた。照りつける日差しの下、故人と会話するかのようにじっと座り込むお年寄りの姿も2.八重瀬町の81歳の女性は父親と祖母を亡くした。防衛隊に召集された父は、家族がいる壕にたどり着く寸前で撃たれて息絶えたと聞いた。「無念だったろうに」。刻まれた一人一人に全うすべき人生があったことを改めて思う3.戦後80年。23日付の本紙に、戦禍を二度と繰り返すまいと戦争体験者の言葉が載っている。同じ日、米軍がイランの核施設を空爆したニュースがあった。なぜ強引な武力行使が絶えないのか、暗澹(あんたん)たる気持ちになる4.イスラエルの攻撃開始以降、イランで多くの民間人が犠牲になった。全うすべき人生を絶たれた人がいる。トランプ大統領がSNSに投稿した「今こそ平和の時だ」の言葉の軽さにおののく5.国内では防衛力強化をうたい、自衛隊の「南西シフト」が進む。軍事優先の戦前を反省しない政治家の歴史をゆがめる発言も相次いだ6.詩人の石垣りんさんは「弔詞」でこうつづる。〈戦争の記憶が遠ざかるとき、戦争がまた私たちに近づく〉。私たちは体験者が語り継いだ教訓を胸に刻み、広く伝えねば。誓いを新たにする節目の年。(大門雅子)(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1611148 参照 2025年6月24日)(14)琉球新報-イスラエルとイラン「停戦合意」 トランプ氏発表、実現は不透明(共同通信)-2025年06月24日 07:17 琉球新報は、表題を次のように報じた。1.【ワシントン、テヘラン共同】トランプ米大統領は23日、交戦を続けるイスラエルとイランが「完全で全面的な停戦に合意した」と交流サイト(SNS)で発表した。米東部時間24日午前0時(日本時間同日午後1時)ごろ開始し、24時間かけて段階的に実施。米メディアによると、25日午前0時(同午後1時)に戦争が正式に終結する合意とされる。イラン国営テレビは24日、停戦が始まったと報じたが、攻撃は続いており、停戦実現はなお不透明だ。2.イスラエルのメディアは同国軍がイラン空爆を停止したと報じた。イラン外相は、イスラエルが「違法な侵略」をやめれば交戦を続けるつもりはないと述べた。一方、イスラエル軍は24日、イランからミサイルが発射されたと発表。報道によると、イスラエル南部の集合住宅に着弾し、3人が死亡した。ロイター通信はカタールが仲介し、双方が停戦案に同意したと報じた。3.トランプ氏の停戦合意発表に先立ち、イランは23日、米軍による核施設攻撃への報復として米軍が駐留するカタールの基地をミサイルで攻撃。トランプ氏は迎撃し、死傷者はいないと説明した。イランが攻撃を事前通告してきたとも明らかにした。4.トランプ氏は報復攻撃が「とても弱かった」とし、事前通告について「イランに感謝する」と表明した。5.イスラエルメディアによると、米国はイスラエルの同意を得た後、停戦案をイランに提示した。ロイターはトランプ氏がイスラエルのネタニヤフ首相と電話会談し、バンス副大統領らがイラン側と交渉したと報じた。6.トランプ氏によると、停戦期間入り後、まずイランが攻撃をやめ、12時間後にイスラエルも戦闘を停止。24時間後に「戦争は正式に終わり、世界に祝福される」とした。7.イランは報復攻撃で体面を保つ一方、事前通告することで、大規模な被害と米側のさらなる攻撃を招くのを回避したとみられる。8.イランの攻撃があったのはアルウデイド空軍基地で、中東を管轄する米中央軍が前線拠点を置く。トランプ氏は発射されたミサイルは14発で、うち13発を迎撃し、1発は危険を及ぼさなかったとした。(https://ryukyushimpo.jp/kyodo/entry-4371495.html 参照 2025年6月24日)(15)琉球新報-【速報】石垣市の専決処分議案改ざん・虚偽説明問題、百条委の設置否決 石垣市議会 沖縄(照屋大哲)-2025年06月24日 14:00 琉球新報は、「【石垣】石垣市による専決処分議案の日付改ざんや議会への虚偽説明があった問題を巡り、24日の石垣市議会最終本会議で、野党の宮良操氏が一連の問題を調査する特別委員会(百条委員会)の設置を求める議案を提案した。与党と一部中立の反対多数で否決された。」、と報じた。(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-4372563.html 参照 2025年6月24日)

沖縄-辺野古-高江から-2025年6月24日

https://asyagi.exblog.jp/37993122/
2025-06-24 06:00:00 - 沖縄は2025年6月23日、「慰霊の日」を迎えた。 しかし、やはり一方では、「新しい戦前」に抗う組織的力量をを図るための観測気球を飛ばす行為がある。 「陸上自衛隊第15旅団は23日未明、日本軍の牛島満司令官らをまつる黎明(れいめい)之塔への集団参拝を見合わせた。集団参拝しないのは4年連続となる。陸自は2004年から21年まで18年連続で、牛島司令官が自決したとされる午前4時半ごろに合わせ、旅団長を先頭に制服で参拝していた。」、と沖縄タイムス。 それは、[戦後ですか 戦前ですか]などと特集を組む沖縄の新聞にも向けて。 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。 何よりも、自らが沖縄から受け取るものを明確にするために。それは、捉え直しとして。 2025年度も、改めて琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。(1)沖縄タイムス-陸自、牛島司令官をまつる「黎明之塔」への集団参拝を見合わせ 沖縄戦を指揮し6月23日未明に自決 4年連続で-2025年6月23日 6:38 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.陸上自衛隊第15旅団は23日未明、日本軍の牛島満司令官らをまつる黎明(れいめい)之塔への集団参拝を見合わせた。集団参拝しないのは4年連続となる。2.陸自は2004年から21年まで18年連続で、牛島司令官が自決したとされる午前4時半ごろに合わせ、旅団長を先頭に制服で参拝していた。(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1610289 参照 2025年6月23日)(2)沖縄タイムス-【記者の視点】きょう戦後80年の慰霊の日 「戦争」の気配を押し返す胆力 次世代に手渡したい(社会部・新垣綾子)-2025年6月23日 6:53 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.一足早い梅雨明けから1週間がたった15日。80代の父や小学生の娘と糸満市の「平和の礎」へ足を運んだ。私の曾祖父母や伯父の命日とされる日の習慣だ。2.沖縄が戦場となった80年前、伯父たちは本島南部に避難中、身を寄せた知人の屋敷に砲弾が直撃し、下敷きになったという。3.くば笠姿、汗だくの父は娘に「会ったことがあるとすれば、じいちゃんが赤ちゃんの頃。顔も分からないよ」と語りかけ、礎の名を指さしながら続けた。「これは、あんたから見たらひいじいちゃんのお姉さんと甥(おい)っ子たち。この人は…」4.周囲を見渡せば、多くの家族連れ、供えられた菓子や飲み物が目につく。花束はまだみずみずしかったり、枯れかかっていたり。すさまじい犠牲を肌身で感じながら、今年も思う。5.私たちはありふれた一遺族。県民なら誰もが、どこかで、命の系譜を断ち切られた当事者ではないか。6.同じ日、本紙の1面トップで慰霊の日に向けた連載が始まった。台湾有事を理由に、県内で軍備強化が進む現状を沖縄戦当時に重ね見つめる。タイトルは「戦後ですか/戦前ですか」。7.そのそばに配置されたニュースは、イランがイスラエルによる核関連施設への空爆に対して報復を仕掛けたと伝える。中東の武力衝突はその後、火に油を注ぐ形で米国が軍事介入した。8.今は戦後か、戦前なのかの問いかけがむなしいほどに、世界にはいまだ爆音におびえ、銃弾に倒れる住民がいる。子どもたちがおなかをすかせ、遺族が悲嘆に暮れている。9.日本を代表する詩人で、東京空襲を体験した故谷川俊太郎さんは2019年に出版した絵本『せんそうとへいわ』に、こんなメッセージを寄せた。「戦争が終わって平和になるんじゃない。平和な毎日に戦争が侵入してくるんだ」10.戦争の形は複雑化している。テロや化学兵器、無人機による殺りくが絶えず、ネット上には人工知能(AI)を悪用したフェイク、憎悪むき出しのヘイトスピーチがはびこる。日常に忍び寄る「戦争」の気配に気づき、押し返す胆力を少しでも次世代へ手渡したい。言葉で、教育で、映像で、音楽で…。11.戦後81年になっても変わらない。私たちは私たちにできることを探し、行動し続ける。(社会部・新垣綾子)(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1610149 参照 2025年6月23日)(3)沖縄タイムス-「慰安婦」の歴史を否認 説明板から削除した沖縄県も連なる 軍の性暴力構造に民族差別と女性差別が絡む(戦後80年取材班・阿部岳)-2025年6月23日 7:09-[戦後ですか 戦前ですか](7)「慰安婦」 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.昨年8月、石垣市議会。討論の中で、市議から「民間の慰安婦はいた。従軍慰安婦はいなかった。性奴隷ではなく、しっかりお金をいただいた方たちはいた」という発言が出た。2.パターン化した歴史否認が続く。女性に兵士の相手を強いる構造的性暴力である「慰安婦」制度は日本軍が作り、統制した。公文書などで実証されている。3.「大金持ちになった人がいると言うなら教えてほしい」と、同市文化財審議会委員長の大田静男さん(76)も憤る。八重山の各地に残る慰安所の跡を調べ、証言を収集してきたが、そんな例はなかった。4.空襲で兵士が駆け込んだ防空壕に入れてもらえず、機銃掃射の中、うずくまっていた「慰安婦」のことなら聞いた。梅毒を患って島にいられなくなり、本土に渡って亡くなった地元出身の「慰安婦」のことも。5.大田さんは「自衛隊配備を肯定するために日本軍の悪事をなかったことにしたいのかもしれないが、言葉で歴史はごまかせない」とくぎを刺す。6.現在のパプアニューギニアにあった慰安所の様子を、漫画家の故水木しげるさんが書き残している。同僚兵士が行列を作っていた。「日本のピーの前には100人くらい、ナワピー(沖縄出身)は90人くらい、朝鮮ピーは80人くらいだった」7.沖縄と朝鮮出身の「慰安婦」にだけ蔑称があったことが分かる。行列の人数にも兵士の「蔑視の序列」がのぞく。8.浦崎成子さん(78)=西原町=は「『慰安婦』制度に民族差別と女性差別が絡み合っていたことが分かる」と読み解く。沖縄に延べ140カ所以上あった慰安所を仲間と調査してきた。9.日本軍の中枢である首里城地下の第32軍司令部壕にも、「慰安婦」はいた。浦崎さんはかつて日本軍文書に「若藤」という記述を見つけた。那覇市辻にあった遊郭の名で、参謀の手記にも「若藤の遊女十数名」が壕内にいたと明記されている。10.ところが県は、そこに「慰安婦」がいたことを認めない。32軍壕についての説明板を設置した2012年、専門家の文案から「慰安婦」と「住民虐殺」の文字を削り、今もそのままになっている。11.第2次安倍政権を経て、歴史否認の風潮が強まるばかり。浦崎さんは「県は問題を抱え込みたくないのか」と推し量りつつ、問う。「今、対処しなければならない米兵による性暴力も『慰安婦』も、軍隊の性暴力容認構造の上にある。事なかれでは済まない」12.県は32軍壕の一般公開を目指し、近くに展示施設の建設も決めている。「慰安婦」については「今後伝え方を検討する」という。(戦後80年取材班・阿部岳)13.[ことば];日本軍「慰安婦」:住民の反感を招く性暴力の防止、性病予防、兵士の懐柔、機密保持を目的に日本軍が導入した。アジアでは強制やうそで女性を集め、日本では芸妓(げいぎ)などを充てることもあった。民間業者が介在していても、日本軍が事細かに統制した。(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1610147 参照 2025年6月23日)(4)沖縄タイムス-国籍・軍民問わず戦没者24万人余の氏名を刻んだ沖縄「平和の礎」 戸籍は焼失、犠牲者の名前をどう把握したのか-2025年6月23日 0:30 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.「平和の礎」事業は1990年、知事に就任した大田昌秀さん(故人)が、戦後50年に合わせた構想「国際平和創造の杜(もり)」を提案して始まった。2.大田県政は91年、沖縄戦犠牲者を碑に刻む「平和の壁」建設、県立平和祈念資料館の移転・改築、国際平和研究所の設置の三本柱を重点施策に位置付けた。92年3月には名称が「平和の礎」に決まった。3.県は戦傷病者戦没者遺族等援護法(援護法)など16種類の公的名簿を基に、刻銘者名簿の作成を進めていた。だが、93年に発足した刻銘検討委員会の座長に就いた石原昌家さんが全戦没者調査の必要性を訴え、初の全戦没者調査の実施に踏み切ることになった。4.県は全53市町村(市町村合併前の当時)に呼びかけ、調査員1107人が93年11月末から聞き取り調査に取り組み、対象者は1万25人に及んだ。5.だが、調査期間は94年3月中旬まで約4カ月と短かった。那覇市では一部を除いて聞き取り調査を断念し申告制とするなど、全県を網羅するには十分ではなかった。6.県は95年1月、沖縄タイムスと琉球新報の紙面で県内分名簿を全面広告として紙上公開し、追加・修正を呼びかけた。7.県外の戦没者は各都道府県に依頼。米国は国防総省などを通して陸・海・空・海兵隊の4軍ごとのデータ提供を依頼した。戦前、日本の植民地だった台湾や朝鮮半島は厚生省(当時)と交渉し、国が保管していた名簿を手書きで写した。8.韓国と北朝鮮は、創氏改名で強制的に日本語名に変えられていた人々の氏名を母国語に戻す作業を韓国政府や在日本朝鮮人総連合会県本部に依頼。名簿は400人を超えたが、母国語が判明した約3分の1弱だけを刻銘した。多数連れて来られた「慰安婦」は、名簿がないため1人も刻銘できず、無刻の板が設置された。(沖縄戦継承に強い思い 高山朝光さん(90)元県知事公室長)1.「平和の礎」事業には「あの地獄のような沖縄戦を風化させることなく、将来にわたって継承していく」という大田昌秀知事の強い思いがあった。原点は、大田知事が沖縄師範健児之塔で見た光景。塔に刻まれた学徒の名前を指でなぞり、涙を流して語りかける親やきょうだいの姿だ。2.礎は国籍問わず、軍人・民間人の区別なく、全戦没者の名を刻むという壮大な取り組み。一番の難題は全戦没者の名簿収集だった。3.平和行政の責任者だった私は1993年10月、県庁に各市町村の担当者を集め、建設の意義や全戦没者調査の必要性を説き、協力を求めた。調査期間は実質4カ月。短過ぎるとの反発や調査員確保への疑問の声も上がったが、平和発信の理念を理解してもらい、95年の完成を目指して県民総出で進めていった。4.県民の誰からも「敵米兵の名前を刻銘するな」との反対の声はなかった。「戦争を憎んでも、人は憎まない」との思いがあったのだと思う。5.全刻銘者の名前を読み上げる市民の取り組みも広がっている。礎は、平和の尊さを知ってもらう大きな役割を果たしてきた。6.今、世界を見ればウクライナやガザで戦闘が続き、沖縄では米軍や自衛隊の基地強化が進む。恒久平和を祈念する記念碑として建立された礎。今こそ、沖縄から力強く世界平和を訴える場になってほしい。(談)(戦争拒絶する思想表す 石原昌家さん(84) 元刻銘検討委座長)1.「平和の礎」は国籍問わず沖縄戦で亡くなった全ての人を対象に名前を刻銘している。兵士と住民、加害者と被害者を区別しないことで戦場を再現した。遺族に悲しみしか残らない戦争を拒絶する思想を表している。2.当初、県は援護法で受理された名簿を使う予定だったが、全戸調査をするべきだと訴えた。私は1977年から学生たちと集落ごとの戦災被害を全戸調査し、名簿は実態を示していないと分かっていたからだ。3.日本軍は撤退時に戸籍簿を燃やすよう各市町村に指示した。戦後、戸籍簿を復元する際に手数料がかかったが、貧しい人々は亡くなった家族の分は申請できなかった。戦時中に壕で生まれ亡くなった子は戸籍もない。一家全滅の家もある。4.市町村の協力を仰いで名簿を刷新した。名前が付かず亡くなった子は「◯◯の子」と刻んだ。調査漏れは必ず生じるので追加刻銘は必要条件だった。95年はスタートだ。5.県民にとっては31年の十五年戦争からの戦没者名が刻まれている。家族単位で名前が並ぶ平和の礎はお墓のような場でもあり、亡くなった家族と「再会」できる場でもある。6.隣接する県平和祈念資料館には住民の苛烈な体験の証言が収録されており、住民がなぜ犠牲になったのかが分かる。礎と一体で切り離してはいけない。(談)(ネットで刻銘者検索可能に仮想空間に再現も)1.「平和の礎」の刻銘者検索はこれまで現地でのみ可能だったが、県は19日、刻銘者をネットで検索できるシステムを公開した。2.礎を仮想空間(メタバース)で再現する取り組みも進んでおり、2025年度内に公開する予定だ。利用者はアバター(分身)を動かして公園内を散策し、戦没者の氏名も検索できる。3.多くの人が刻銘者情報にアクセスすることで追悼や研究、平和学習に活用されることを目指している。(URL:https://heiwaishiji.pref.okinawa.jp/)4.【参考文献】;高山朝光・比嘉博・石原昌家「沖縄『平和の礎』はいかにして創られたか」(高文研)▽石原昌家「Basic 沖縄戦『沈黙に向き合う』」(インパクト出版会)▽県教育庁文化財課史料編集班「沖縄県史各論編第6巻沖縄戦」(県教育委員会)▽古賀徳子・吉川由紀・川満彰編「続・沖縄戦を知る事典 戦場になった町や村」(吉川弘文館)▽林博史「沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか」(集英社)(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1609336 参照 2025年6月23日)(5)沖縄タイムス-「鉄の暴風」が吹き荒れた沖縄戦から80年 きょう「沖縄慰霊の日」-2025年6月23日 0:00 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.沖縄は23日、慰霊の日を迎えた。 2.多くの一般住民を巻き込み、苛烈な地上戦となった沖縄戦から80年。今年5月、「ひめゆりの塔」の展示説明を巡り自民党の西田昌司参院議員が「歴史の書き換え」と発言するなど政治家の沖縄戦に関する歴史認識が問われる中、節目の日を迎えた。糸満市摩文仁の「平和の礎」をはじめ、県内各地の慰霊塔には多くの遺族らが訪れ、犠牲者を悼む。県内は不戦を誓う鎮魂の祈りに包まれる。2.糸満市摩文仁の平和祈念公園では、午前11時50分から県などが主催する沖縄全戦没者追悼式が開かれる。正午の時報に合わせて黙とうし、戦争で亡くなった人たちの御霊(みたま)に祈りをささげる。追悼式では玉城デニー知事が平和宣言を読み上げ、不戦と恒久平和を希求する沖縄の思いを国内外に発信する。石破茂首相と衆参両院議長、最高裁判所長官が来賓あいさつに立ち、30年ぶりに三権の長がそろう。3.国籍を問わず沖縄戦などの戦没者氏名を刻んだ平和の礎には、今年新たに342人(県内16人、県外325人、米国1人)が追加刻銘され、計24万2567人となった。県外325人の多くは、1945年4月7日に沖縄に向かう洋上で米軍機の攻撃を受けて沈没した「戦艦大和」の乗組員という。4.沖縄戦は住民の生活の場が戦場となった。日本軍の兵力不足を補うために子どもを含む住民が根こそぎ動員された。「鉄の暴風」と呼ばれるほど米軍の砲弾や爆弾が飛び交い、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされる。日本兵による住民虐殺や壕追い出し、逃げ場のない状況に追い込まれての「集団自決(強制集団死)」、食糧強奪などもあった。米軍の本土侵攻を遅らせる「捨て石」にされた沖縄では、日本軍の組織的戦闘が終わったとされる1945年6月23日以降も犠牲が続いた。5.沖縄戦の戦没者総数は20万656人と推計されている。このうち、沖縄県出身者は12万2228人(一般住民は9万4千人)。ただ、戸籍の焼失や一家全滅の家もあり、正確な数字は分かっていない。6.戦後80年がたった今も、心の傷を抱え、当時の体験を語れずにいる戦争体験者は少なくない。高齢化で戦争体験者の人口が県内総人口の1割を切った中、戦争の記憶継承が課題となっている。7.今年5月には、自民党の西田議員がひめゆりの塔の展示資料について「歴史の書き換え」などと批判。謝罪、撤回したものの「事実関係は私が申し上げた通り」と主張した。その後も、参政党の神谷宗幣代表が「日本軍が沖縄の人たちを殺したわけじゃない」などと発言し、県内各地から反発の声が相次いだ。8.また、「台湾有事」の可能性が喧伝(けんでん)される中、政府は防衛体制強化のための県内の港湾・道路の整備を加速させている。3月には、宮古・八重山5市町村の住民約11万人を九州と山口の計8県32市町に振り分ける避難計画の概要を公表した。沖縄戦を生き延びた体験者は疎開を想起させる戦争の影に強い危機感を示し、識者からは「実効性は極めて低い」との指摘が上がっている。(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1609847 参照 2025年6月23日)(6)沖縄タイムス-相手を敬う心を持って 沖縄全戦没者追悼式の前夜祭 糸満市摩文仁で世界平和を祈る(南部報道部・国吉聡志)-2025年6月22日 22:04 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.【糸満】「慰霊の日」を前に糸満市摩文仁の沖縄平和祈念堂で22日、沖縄全戦没者追悼式の前夜祭があった。約330人が参加し、黙とうをささげた。琉球舞踊の奉納では、沖縄平和祈念像を制作した故山田真山さんの娘で「琉球舞踊無憂華の会」家元の山田多津子さん(85)=うるま市=が世界平和を祈って創作舞踊「寂静じゃくじょう」を披露した。2.山田さんは「父は息子2人を沖縄戦で失っており、『戦争は相手への憎しみから始まる』と常日頃から口にしていた。世界では戦争が絶えず、相手を敬う心を持ってほしい」と訴えた。3.前夜祭では、沖縄協会の清水治会長が「私たちは現在の生活が尊い犠牲の上に築かれたことを忘れてはならない。戦争への反省と世界平和への決意を新たにしたい」とあいさつした。(南部報道部・国吉聡志)(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1610046 参照 2025年6月23日)(7)沖縄タイムス-「大本営が戦に駆り立てた」「安全圏にいて住民を犠牲に」 日本軍中央による「辞世の句」改変 沖縄戦体験者に聞く(社会部・當銘悠、吉田伸)-2025年6月23日 4:48-[戦後80年] 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.沖縄戦を指揮した日本軍第32軍の牛島満司令官が、自決する数日前に大本営に送った「決別電報」や「辞世の句」が軍中央に書き換えられていた。最後の一兵まで戦え、と言い残して司令官は絶命。軍との共生共死を迫られた住民は投降を許されず、逃げ道はなかった。凄惨(せいさん)な地上戦で死線をさまよい、辛くも生き延びた体験者は日本軍や国の在りようをどう見つめるのか。6月23日、戦後80年の慰霊の日を迎えた。(改ざんの前も後も皇国思想は一貫 瀬名波榮喜さん(96))1.牛島司令官の辞世の句の書き換えは、歴史の改ざんであり許されない。ただ、書き換え前も後も「天皇中心の国を守りましょう」という皇国思想は一貫していると思う。2.当時は軍国主義の時代。私たちを戦争に駆り立てたのが大本営だった。天皇のために命をささげるという教育によって10代の若者も含め、多くの尊い命が失われた。3.当時は偽りの大本営発表を疑うことなく、信じてしまった。今の学校教育では、批判的に物を見る能力を養ってほしい。4.戦時中は「一億一心」が掲げられ、一億の国民が心は一つに、と鼓舞された。個々人の存在が否定され、自由な意見表明が制限された。今は憲法で言論の自由が認められている。権力に「ノー」と言える社会を守っていかないといけない。5.多角的視点も大事。沖縄戦を住民や第32軍、米軍、それぞれの視点で総合的に見て、沖縄戦の実相を正しく継承してほしい。(社会部・當銘悠)(どれだけの命を奪ったか 玉木利枝子さん(91))1.牛島司令官は最期に思うところがあったのかもしれないが、兵隊も県民も最後まで戦えと言ってさじを投げた。責められるべきは変わらない。2.だが、司令官も命令に従わなくてはいけない立場。大本営の人たちは自分たちは安全圏にいて、身勝手な指示を出して沖縄の住民を犠牲にした。3.そして大本営は、松代大本営(長野県)の壕を完成させるため、何でもやれと沖縄戦を長引かせた。その間にどれだけ県民の命が奪われたか。非常に憤りを感じる。4.(終戦を進言した)「近衛上奏文」に耳を傾けなかった昭和天皇は戦後、その松代壕を訪れ「無駄な穴を掘ったというがどこか」と言ったという。その穴のために沖縄県民が死んだことも念頭になかったのではないか。5.私は10歳で砲弾飛び交う戦場を逃げ、家族10人のうち8人を失った。過去の過ちを見つめ、これからどうするのか。国をつかさどる人は学んでほしい。(社会部・吉田伸)(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1610140 参照 2025年6月23日)(8)沖縄タイムス-日本軍の体質を露呈した辞世の句の改変 平和運動家らが批判「自衛隊も都合良く利用」「美化は許されない」(社会部・當銘悠、吉田伸、又吉嘉例)-2025年6月23日 5:40 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.第32軍の牛島満司令官の辞世の句が、軍中央に書き換えられていたことが明らかになり、平和運動に取り組んできた人たちは「日本軍の体質が分かる」などと指摘した。さらに、陸上自衛隊第15旅団が辞世の句の改変を知りながら公式サイトに掲載していることに「日本軍や先の大戦の美化は許されない」などと批判の声が上がった。(社会部・當銘悠、吉田伸、又吉嘉例)2.「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」共同代表の具志堅隆松さん(71)は軍中央による書き換えに対し「死を前にした人の句が、簡単に書き換えられるものなのか」と戦争遂行しか頭にない軍中央を批判。一方、書き換え前の牛島司令官が詠んだ句に県民に対する言及がないことについて「沖縄戦に多くの人が巻き込まれて亡くなった。最後まで住民のことは頭になかったのだろうか」とつぶやいた。3.県平和委員会事務局長の大久保康裕さん(62)は、第15旅団が辞世の句の改変を知っていたということに「自衛隊は皇軍のDNAを引き継いで、殉国思想が抑えられなくなっているのではないか」と危惧。西田昌司参院議員の「納得できる歴史をつくる」発言を引き合いに「自衛隊も歴史戦に真正面から参戦してきた。大本営が都合良く辞世の句を利用したように、自衛隊も都合良く利用している」と批判した。4.平和学習講師の仲本和さん(25)は「沖縄戦を任されるような牛島司令官クラスの軍人でも電報が書き換えられることがあるのか。戦後80年のタイミングで、日本軍の体質を再確認できた」と驚く。その上で、「記述改変を知った上で公式サイトに辞世の句を掲載し続けている防衛省への怖さも感じる」と指摘した。5.市民グループ「ティダの会」共同代表の大城重吉さん(73)は軍中央による書き換えについて「あきれた話」と批判。その上で「自衛隊が句の掲載にこだわるのはなぜなのか」と疑問視する。6.沖縄戦で日本軍は住民虐殺や壕追い出しなど「蛮行の限りを尽くした」と指摘し、「日本軍を美化することはあってはならない。過去の過ちを繰り返さないため、私たちは実相を正しく伝えていくことが求められている」と強調した。(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1610169 参照 2025年6月23日)(9)琉球新報-米のイラン核施設攻撃を非難 被団協の田中代表委員が沖縄訪問 恩納村の発射基地跡視察(稲福政俊)-2025年06月23日 05:00 琉球新報は、表題を次のように報じた。1.日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の田中重光氏は22日来県し、恩納村にある核巡航ミサイル「メースB」発射基地跡を視察した。米軍がイランの核施設を攻撃した日と重なり、田中氏は「核施設を攻撃することは、絶対やめなければならない。核物質が拡散したら、住めなくなる」と、強い口調で攻撃を非難した。2.戦後、冷戦下の米ロは核軍拡競争を繰り広げ、沖縄にも米軍のメースBが配備された。恩納村を含む県内4カ所に発射基地があり、1962年の「キューバ危機」の際には、誤った命令で県内の基地から発射される恐れがあり、寸前で回避された。3.田中氏は「もし発射されていたら、沖縄はなくなっていたかと思う」と述べ、改めて核兵器の恐ろしさを実感していた。4.発射基地跡は現在、創価学会の沖縄研修道場となっている。基地跡を残しつつ、平和を発信する施設に生まれ変わっている。田中氏は「形が見えなければ忘れられる。形を残し、みんなに見て考えてもらうことが重要だ」と話した。(https://ryukyushimpo.jp/news/politics/entry-4366544.html 参照 2025年6月23日)(10)琉球新報-米 イラン核施設攻撃 トランプ氏「完全破壊」(共同通信=新冨哲男、上松亮)-2025年06月23日 05:00 琉球新報は、表題を次のように報じた。1.【ワシントン、テヘラン共同=新冨哲男、上松亮介】米軍はイランで中部フォルドゥなど3カ所の核施設を現地時間22日未明(日本時間午前)、空爆した。トランプ米大統領は主要施設が「完全に破壊された」と述べた。米メディアによると、米軍がイラン本土を直接攻撃したのは初めて。地下施設の攻撃には特殊貫通弾(バンカーバスター)を使った。イラン革命防衛隊は報復攻撃を警告。周辺地域の米軍基地を狙い戦火が拡大する恐れがあり、中東は重大な岐路に立った。原油を中東に依存する日本経済に影響が及ぶ可能性もある。2.トランプ政権はイランの核兵器保有阻止を主張してきた。空爆したのは他に中部ナタンズとイスファハンの核施設。地元当局はフォルドゥのウラン濃縮施設が損壊したと述べた。イラン当局は、放射性物質による汚染は確認されず周辺住民に危険はないとした。アラグチ外相は国際法違反だと非難。関係者は、空爆前に大部分の濃縮ウランを安全な場所に移したと共同通信に明らかにした。3.トランプ氏は米東部時間21日夜(同22日午前)、ホワイトハウスで演説。イスラエルのネタニヤフ首相と緊密に連携したとし「イスラエルに対する脅威を取り除くため前進した」と述べた。(https://ryukyushimpo.jp/newspaper/entry-4366452.html 参照 2025年6月23日)(11)琉球新報-【特別号外】沖縄戦80年 慰霊の日「命どぅ宝」誓う-2025年06月23日 11:04 琉球新報は、表題を次のように報じた。1.琉球新報は6月23日の慰霊の日に合わせ、特別号外を発行しました。沖縄戦の終結から80年。糸満市摩文仁の平和祈念公園内にある「平和の礎」など今日の様子や、「沖縄全戦没者追悼式」で朗読される「平和の詩」を紹介しています。2.「命どぅ宝」(沖縄の言葉で「命こそ宝」)の思いを込め、戦争で亡くなった20万人余りを悼み、平和への祈りに包まれる1日。特別号外はダウンロードしてご覧いただけます。3.沖縄は23日、沖縄戦で組織的な戦闘が終結したとされる「慰霊の日」を迎えた。「戦後80年沖縄全戦没者追悼式」(県・県議会主催)が午前11時50分から、糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれ、亡くなった20万人余りを悼み、平和を希求する沖縄の心を世界に発信する。沖縄戦の歴史認識を巡る問題発言が相次ぐ中、県は歴史的教訓を正しく次世代に伝える一日とも位置づける。4.戦後80年の節目に当たる追悼式には、石破茂首相や額賀福志郎衆院議長、関口昌一参院議長に加えて今崎幸彦最高裁長官も参列し、30年ぶりに三権の長がそろう。中満泉国連事務次長(軍縮担当上級代表)と、2024年にノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の田中重光代表委員も初めて招かれた。5.式では、玉城デニー知事が平和宣言を発表。続いて豊見城市立伊良波小学校6年の城間一歩輝(いぶき)さんが、「平和の詩」に選ばれた「おばあちゃんの歌」を朗読する。6.沖縄戦などで亡くなった人々の名前を記した平和の礎は、インターネットで刻銘者を検索できるようになった。今年も県出身の16人を含む342人の名前が追加された。国内外を含む刻銘の総数は24万2567人となった。(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-4367917.html 参照 2025年6月23日)(12)琉球新報-【全文】玉城デニー知事による平和宣言 慰霊の日 沖縄戦から80年-2025年06月23日 12:47 琉球新報は、表題を次のように報じた。1.どれだけ歳月を積み重ねようとも、決して忘れてはならない、あの悲惨な沖縄戦。あれから80年が経ちました。2.この美しい島は、激烈な戦火に襲われ、鉄の暴風は豊かな自然と風景を一変させ、貴重な文化遺産、そして、20万人余のかけがえのない命を奪い去りました。3.この地には、戦火で散った無数の命が眠り、永遠の記憶が刻まれています。4.「もう一度両親や兄弟の顔を見たい」と思いながら無念の想いで亡くなった命。5.「生きたい」と将来を夢みながらも、生への希求を胸に絶たれた命。6.「名付けられること」もないまま、消えていった幼い命。7.まさに、「ありったけの地獄を一つに集めた」ともいうべき状況となったのです。8.私たち沖縄県民の心に深く刻みこまれた悲しみは、いまなお、癒えることはありません。9.このあまりにも凄惨な沖縄戦の実相と教訓は、戦争体験者が心の傷を抱えながら、後世に伝えようと残した証言と、沖縄戦研究者のたゆまない努力によって、今日まで受け継がれてきました。10.これこそが、私たち沖縄県民の平和を希求するこころの原点となっています。11.この地で繰り広げられた、住民を巻き込んだ沖縄戦の実相と教訓を、県民一丸となった不断の努力によって、世代を超えて守り伝え続けていくことは、いまを生きる私たちの使命ではないでしょうか。12.沖縄の歴史を辿ると、琉球処分、沖縄戦、米国統治下といった苦難の道を歩んできており、本土復帰から53年を経た今日でも、広大な米軍基地が集中し、米軍人等による事件・事故、米軍基地から派生する環境問題、そして、辺野古新基地建設問題など、過重な基地負担が続いています。13.世界に目を向けると、現在の世界各地の戦争・紛争は、第二次世界大戦後最も多いとされており、また、核保有国による核兵器使用の可能性を示す動きもあるなど、安全保障環境はより一層複雑さを増しています。14.苦難の歴史を歩んできた沖縄は、「命どぅ宝」をなによりも重んじ、争いのない平和な世界を切に願っています。15.私は、この小さな沖縄から、不条理な現状を打破するため、そして世界の恒久平和のため、何ができるのか、真剣に考え、国際社会と協調しながら、たとえ、微力でも行動していきたいと考えています。16.私は、戦後80年の大きな節目を迎えた今、戦後90年、100年を見据えた長期的な視点に立ち、世界の恒久平和に向け、沖縄が果たすべき役割を、いまここに掲げ、世界に向け発信します。17.一つ目に、「国際平和研究機構の創設」に向けた取組を進めます。沖縄戦の歴史的事実に資する研究や国際平和の構築に資する研究の推進に向け、研究体制を整備してまいります。18.二つ目に、「沖縄の戦争遺跡群の保存・活用」に向けた取組を強力に進めます。沖縄戦の記憶を継承するため、物言わぬ語り部である戦争遺跡群を保存し、悲惨な沖縄戦を教訓とする遺産として整備し、将来的に世界遺産登録を目指してまいります。19.三つ目に、「核軍縮及び核兵器廃絶」に向けた取組を進めます。広島・長崎と連携し、核軍縮及び核兵器廃絶を国際社会に働きかけることを目的とした「グローバル・アライアンス」へ参加し、人類を破滅に導く全ての核兵器の廃絶を推進してまいります。20.この戦後80年は一つの通過点です。私は、たとえすぐに変化はなくても、この沖縄から平和を発信し続け、行動をすることが、世界平和に繋がるものと信じているのです。21.いまこそ、先人達から脈々と受け継いできた「万国津梁」の精神により、国際社会とともに恒久平和の実現に貢献する役割を果たしてまいります。22.わったー沖縄ぬ大戦から生じたる実相とぅ教訓や、戦争地獄体験みそーちゃる方々ぬ証言とぅ数々ぬ研究に蓄積ぬうかじに実証さってぃ受き継がとーやびーん。23.くぬくとぅがる、わったー沖縄県民ぬ平和希求さんでぃする肝心ぬ原点なとーいびーん。24.沖縄戦ぬ実相とぅ教訓に就てぃ、世代ん超てぃ、守い続きてぃいちゅるくとぅや、今生ちちょーる、わったー使命やてぃ、後ぬ世代までぃん繋じいちゅる「沖縄ぬ肝心」やいびーん。25.先人達から受き継じちゃる「万国津梁」ぬ精神むっち、世界ぬ恒久平和ぬ実現んかい貢献ぬないる役割ん、くぬ後ん真摯さーに果ちいちゃびーん。 The reality and lessons of the Battle of Okinawa have been preserved through the stories of war survivors and validated by numerous studies. Here lie the roots of the people of Okinawa and our enduring desire for peace. It is our mission, as those living in the present, to preserve and pass on the reality and lessons as the “Spirit of Okinawa” to future generations. In the spirit inherited from our predecessors as “Bankoku Shinryo”, to serve as bridge between nations, we will commit to fulfil our role in contributing toward the realization of world everlasting peace. 本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての御霊に心から哀悼の意を表するとともに、恒久平和に貢献する沖縄を目指して、一歩一歩着実に前進していくことを決意し、ここに宣言します。 令和7年(2025年)6月23日 沖縄県知事 玉城 デニー 〈しまくとぅば・英語翻訳 エッセンス〉 沖縄戦の実相と教訓は、戦争体験者の証言と数々の研究の蓄積により実証され、受け継がれている。 これこそが、私たち沖縄県民の平和を希求するこころの原点となっている。 沖縄戦の実相と教訓を、世代を超えて守り続けていくことは、今を生きる、私たちの使命であり、後の世代につなげていく「沖縄のこころ」である。 先人達から受け継いできた「万国津梁」の精神をもって、世界の恒久平和の実現に貢献する役割をこれからも真摯に果たしていく。(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-4368251.html 参照 2025年6月23日)(13)琉球新報-沖縄で全戦没者追悼式始まる 戦後80年・慰霊の日 平和宣言、平和の詩朗読も 三権の長そろう(宮沢之祐)-2025年06月23日 12:07 琉球新報は、表題を次のように報じた。1.沖縄戦で組織的な戦闘が終結したとされる「慰霊の日」の23日、「戦後80年沖縄全戦没者追悼式」(県・県議会主催)が午前11時50分から糸満市摩文仁の平和祈念公園で始まった。参列者らは正午の時報に合わせて黙とうした。2.亡くなった20万人余りを悼み、平和を希求する沖縄の心を世界に発信する。沖縄戦の歴史認識を巡る問題発言が相次ぐ中、県は沖縄戦の実相と教訓を県民一丸となって次世代へと守り伝えることも呼びかける。3.戦後80年の節目に当たる追悼式には、石破茂首相や額賀福志郎衆院議長、関口昌一参院議長に加えて今崎幸彦最高裁長官も参列し、30年ぶりに三権の長がそろった。中満泉国連事務次長(軍縮担当上級代表)と、2024年にノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の田中重光代表委員も初めて招かれた。4.式では、玉城デニー知事が「戦後80年平和宣言」を発表する。続いて豊見城市立伊良波小学校6年の城間一歩輝さんが、「平和の詩」に選ばれた「おばあちゃんの歌」を朗読。「おばあちゃんが繋いでくれた命を大切にして一生懸命に生きていく」と、平和に向けての努力を誓う。(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-4368263.html 参照 2025年6月23日)(14)沖縄タイムス-【慰霊の日特別号】戦後80年 沖縄全体が鎮魂の祈りに包まれる 犠牲者追悼し不戦誓う(社会部・下里潤)-2025年6月23日 11:15 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.沖縄は23日、戦後80年の「慰霊の日」を迎えた。県内各地で20万人を超える沖縄戦犠牲者を悼む催しが営まれ、島全体が鎮魂の祈りに包まれた。戦没者の名が刻まれた糸満市摩文仁の県平和祈念公園内の「平和の礎」には早朝から多くの戦争体験者や遺族が訪れた。今なお世界で相次ぐ武力衝突に胸を痛め、平和への思いを新たにしていた。2.同公園では午前11時50分から、沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)を開催。玉城デニー知事が平和宣言を読み上げる他、豊見城市立伊良波小学校6年の城間一歩輝いぶきさんが平和の詩「おばあちゃんの歌」を朗読する。正午の時報に合わせ、参列者が1分間の黙とうをささげる。3.国連軍縮担当上級代表の中満泉事務次長、2024年ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の田中重光代表委員も初めて出席。平和の礎に刻銘されている国や地域から県内に留学している大学、大学院生らも献花し、式の時間は例年より約30分間延長した。4.一方、戦前生まれの80歳以上は県人口の1割を切り「体験者ゼロの時代」が目前に迫る。記憶の風化や次世代への継承が課題となる中、自民党の西田昌司参院議員が「ひめゆりの塔」の展示説明を「歴史の書き換え」と発言。歴史的事実を意図的に否定するかのような言説が後を絶たない。5.米軍基地が集中し、米軍から派生する事件・事故が繰り返されている。過重な負担は残ったままだ。加えて、南西諸島への自衛隊配備の強化も進み、懸念の声が上がっている。(社会部・下里潤)(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1610399 参照 2025年6月23日)(15)沖縄タイムス-【全文】石破首相「国民保護法制を手がけた際、念頭にあったのは沖縄戦」 戦没者追悼式であいさつ 遺骨収集と不発弾処理は「着実に」-2025年6月23日 12:56 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。1.沖縄は23日、戦後80年の慰霊の日を迎えた。糸満市摩文仁の県平和祈念公園で県などが主催する沖縄全戦没者追悼式があり、参列した石破茂首相があいさつした。小泉純一郎内閣で防衛庁長官として国民保護法制を手がけた際、「決して民間人が戦争に巻き込まれることがあってはならないという強い思い」で取り組み、その念頭にあったのは沖縄戦だったと語った。2.石破首相は「沖縄の皆さまには今もなお米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいている」としつつ、基地負担の軽減には「目に見える形で実現する、それが私自身の強い決意だ」と述べるにとどめた。3.県が10日に政府へ支援を要請した戦没者の遺骨収集と不発弾処理については「着実に取り組んでいく」とした。4.石破首相は追悼式に参列後、ひめゆりの塔で献花し、ひめゆり平和祈念資料館を視察する。現役の首相が公務でひめゆりの塔を訪問するのは異例で、2012年2月の野田佳彦首相以来13年ぶり。5.ひめゆりの塔を巡っては、今年5月、自民党の西田昌司参院議員が展示説明について「歴史の書き換え」などと発言。県内外から批判を浴び、県議会が西田氏に謝罪と発言の撤回を求めて抗議決議した。石破首相は西田氏の発言について国会で「私は(西田氏と)認識を異にしている」と答弁した。(石破首相のあいさつ全文) 戦後80年沖縄全戦没者追悼式が執り行われるに当たり、沖縄戦において、戦場に斃(たお)れられた御霊(みたま)、戦禍に遭われ亡くなられた御霊に、謹んで哀悼の誠を捧げます。 先の大戦において、ここ沖縄では、住民を巻き込んだ凄惨(せいさん)な地上戦が行われ、20万人もの尊い命が失われました。 ひめゆり学徒隊や鉄血勤皇隊など、希望に満ちた未来を歩むべき若者までもが、戦場に駆り立てられ、犠牲となりました。多くの父や母が、わが子の無事を願いながら、戦乱の渦の中で息を引き取られました。沖縄の地は焦土と化し、美しい自然、豊かな文化は、容赦なく破壊されました。 平和の礎に刻まれた全ての戦没者の無念と、残された方々の悲しみを、私たちは決して忘れてはなりません。 私たちが享受している平和と繁栄は、この地で命を落とされた方々の尊い犠牲と、沖縄の歩んだ筆舌に尽くし難い苦難の歴史の上に築かれたものです。 沖縄戦から80年を迎えた今、そのことを改めて深く胸に刻みながら、静かに頭(こうべ)を垂れたいと思います。 沖縄戦では、県民の4人に1人が命を落とされました。 私は、小泉内閣で防衛庁長官として国民保護法制に携わった際、「決して、 民間人が戦に巻き込まれることがあってはならない」という強い思いの下、法整備に取り組みました。このとき念頭にあったのは、この悲惨な沖縄戦でありました。 沖縄が負われた深い傷に思いを致し、戦争の愚かさと悲惨さを改めて正面から見つめ、平和で豊かな沖縄の実現に向けて力を尽くすことは、国家の重要な責務であります。 沖縄の皆さまには、今もなお、米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいております。沖縄の負担軽減を、目に見える形で実現する。それが私自身の強い決意であります。 本年3月、西普天間住宅地区跡地に、高度な医療・研究機能を有する健康医療拠点が誕生しました。沖縄の発展と福祉向上に資するこの取り組みは、跡地利用のモデルケースとなるものです。 5月には、地元の経済界等を中心として、今後の返還予定地を活用した経済成長のグランドデザインが策定されました。 政府においては、引き続き、在日米軍施設・区域の整理・統合・縮小に取り組むとともに、沖縄の皆さまと連携し、駐留軍用地跡地の有効利用を進めてまいります。 沖縄には、万人の心を惹(ひ)く美しい自然、アジアの玄関口に位置する地理的特性、「万国津梁(しんりょう)」の地としての国際色溢(あふ)れる文化や伝統があります。 こうした魅力や優位性を生かし、観光業等の高付加価値化、先端技術を活用した医療や航空産業の拠点化など、県民の皆さまが描く将来像の実現に向けて、国家戦略として沖縄振興を進めてまいる所存です。 また、今なお続く、戦没者のご遺骨の収集、不発弾の処理等についても、着実に取り組んでまいります。 わが国は、戦後一貫して、平和国家としての歩みを進めてまいりました。戦争の惨禍を二度と繰り返さない。歳月がいかに流れても、この決然たる誓いを、世代を超えて継承し、貫くとともに、平和で心豊かに暮らせる世の中の実現に向けて取り組んでまいります。 結びに、この地に眠る御霊の安らかならんことを、そしてご遺族の方々のご平安を、心からお祈り申し上げ、 私のあいさつといたします。 令和7(2025)年6月23日 内閣総理大臣 石破茂(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1609723 参照 2025年6月23日)

20250623

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2025-06-23 06:00:00 - 沖縄戦で命を失ったすべての犠牲者を悼み、平和を祈念する「平和の礎(いしじ)」(沖縄県糸満市)。そこに刻まれた24万人以上の戦没者全員の名前を毎年6月、希望する人たちがリレーで読み上げる活動が続いている▲宜野湾市在住の町田直美さん(68)らが2022年から行っている。今年は1日から始め、国外や北海道、東京、長野などからもオンラインで参加した。「住民も兵士も『生きたい』と思いながら亡くなったはずです。一人一人の名を呼ぶことで沖縄から世界に平和を発信したい」と町田さんは語る▲戦争の惨禍を繰り返さない祈りをこめた戦後80年の沖縄慰霊の日。その日を前に戦火が世界を揺るがした。米軍によるイラン核施設の急襲である。トランプ大統領の「2週間以内」との期限は、意表をつくためだったのか。国連事務総長は平和と安全への脅威として一方的な攻撃を非難した▲かつては米軍介入がアフガニスタン、イラクの混迷を深めた。中東、さらに世界の戦闘と混乱を制御不可能に拡大するパンドラの箱を開けかねない。暴挙に暗然とする▲「平和の礎」は戦後50年の1995年にできた。国籍や住民、兵士を問わず名を刻んだのは犠牲者を悼むとともに、いかなる戦争も拒絶する沖縄の意志を示すためである▲町田さんらはきょう、今年新たに平和の礎に加わる名を読み上げる。平和を維持し、構築していくため日本はどう歩むべきか。今、そこにある危機に向き合う日として捉えねばならぬ「6・23」だ。********************************** 残念ながらトランプ米大統領のノーベル平和賞受賞は、はるか彼方(かなた)へ遠のいてしまったようだ。電撃的な米空軍によるイラン核施設空爆は、世界を驚かせ、戦雲を中東どころか地球全体に広げかねない事態となった。▼彼のノーベル平和賞へのこだわりは相当なもの。つい最近も「4、5回はもらうべきだった」と愚痴った。大戦争勃発の危機にあったインドとパキスタンの間に割って入り、セルビアとコソボの紛争も仲介したというのに「リベラルしかもらえない」と不満たらたらだ。▼読者の皆さんは意外に思われるかもしれないが、彼は平和愛好者なのである。第1次政権でも核兵器開発をやめさせようと北朝鮮の金正恩と直談判したり、ウクライナ戦争でも「1日で戦争を終わらせる」と豪語したり。▼要は結果が伴わないだけなのである。彼の最も得意とする「ディール(取引)」は、数字で損か得かが明確にわかる不動産取引や商取引では機能する。だが、国家の尊厳や人間の生き死にがかかった交渉となると、単純な損得勘定だけでは、容易に解決しない。▼そういう当たり前の話をトランプ氏に言って聞かせたのが、安倍晋三元首相だった。彼は時間構わずかかってくる長電話に根気よく耳を傾け、簡にして要を得たアドバイスをしたという。おかげで、このときは、非常識な追加関税は実施されず、大きな国際紛争も起きなかった。▼これまた残念ながら安倍氏はこの世にいない。石破茂首相は22日午後、攻撃を支持するかどうか聞かれ、「政府内できちんと議論する」と答えたが、なんとも情けない。台湾有事が起きたときも同じ答えをするつもりだろうか。激動する国際情勢は、日本政府の議論を待ってはくれない。********************************** 香りや匂いには、記憶を呼び起こし、心を動かす不思議な力がある。山口県出身の俳人、種田山頭火は東京や東北を旅した年に〈大根の煮えるにほひもふるさと遠きおもひで〉と詠んだ◆ソーセージの香ばしい匂いに選挙を思い出す。そんな人がいる国が豪州だろう。投票所の近くに露店が並び、1票を投じた後、有権者がパンに挟んだ熱々のそれをほおばる光景は恒例だ。「デモクラシー(民主主義)ソーセージ」との異名まである◆かつての首相が「この香りなしで豪州の民主主義は成り立たない」と発言したとか。この国の国政選の投票率は9割近くに上っている◆もっとも豪州の法律は投票を義務と定めており、棄権すると2000円ほど罰金をとられる。高い投票率の理由だが、嗅覚でつながる記憶を求めて投票所に足が向くこともあるはずだ。日本では憲法の解釈から、罰則付きの強制的な投票制は望ましくない、との意見が多いようだ◆東京都議選が終わった。物価の高騰や深刻な少子化といった身近な課題が山積している割に、投票率は伸び悩んだ。良い香りが足りなかったから、ではないだろうが。**********************************

雰囲気がヤバくなって来てますね~!(汗)の巻

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2025-06-20 06:00:00 - 中国がいよいよ台湾侵攻に向けて準備段階に入ったと伝わって来てますね!汗それは何か?と言うと・・中国の海警が中国海軍と一緒に合同訓練を行い、台湾を取り囲む様に臨検を行う訓練をしたりしてますが、今回の海警は台湾侵攻に於いて先兵隊の役割を果たす存在だ!と言われてます。海警は準海軍だと言われてる訳ですが、中国は軍隊では無く沿岸警備隊(日本で言う海上保安庁)だと言っており、海警が出たからと言う事でアメリカの海軍が直ぐに手出しが出来ない様に新設された部隊ですね!装備は海上保安庁などに比べ遥かに凄い装備を持ち、軍艦だと言っても遜色ないのですが、日本の海上保安庁ではとても対応しきれない状態なんです。日本もそれに対抗する為に日・米・比の3国で対中国向けに合同訓練を始めた様ですが、本当に有事体制になった時に、今の石破総理で判断し決断出来るんでしょうか?前から言ってる様に、中国の共産党軍は来年に創設100周年を迎える訳ですがその時が1番危険な時期だ!と言われてるのですが、それが現実となる可能性が出て来てますね?もしも本当に中国が台湾侵攻を行って中国が台湾を取り込んだとしたら、今回中国が合同訓練でやってる様な臨検を始めたとしたら・・日本のシーレーンが奪われる事となり、原油や他の輸入品の仕入れるルートは現在の台湾の横を通るルートを大きく回避しなければいけなくなる事で原油は勿論の事、他の全ての輸入品が値上がりするでしょうね?今でも原油が上がった事で、ガソリン代は勿論の事、電気代や輸送費も上がり全ての商品が値上がりしてるのに・・益々、日本の物価は上がり続けるでしょうね?それを阻止する為にも台湾有事は日本有事だと理解しなけりゃいけないのに反対する人が多いのが問題なんですが・・汗昨日も自衛隊の広報官が来てたので、色々な話をしたのですが中国軍の戦闘機の性能が以前に比べて格段に上がってると言ってましたね!それに比例するように、軍隊の装備も充実して来てて本当に一触即発状態だと心配してましたが、国民の意識はそこまでの危機感が無いのが1番怖いです。と言ってたのですが、本当に危機感を持ってる人の少なさを感じる事が多いと思います。ミサイルの1発でも撃ち込まれたら慌て出すんでしょうけど、そうなってから慌てても遅いのですが・・どちらにしても中国の動きには警戒が必要だと言う事です。それに日本の腐ったマスコミはそう言った類の報道は一切しないので、国民が自分で調べるしか方法が無いのも残念な事なんですが、仕方ありませんね!汗それにアメリカが守ってくれると信じてる人が多いとは思いますが、アメリカは日本人が何もアクションも起こさないのに守ってくれる事はありませんから・・そろそろ夢から早く目覚めた人が生き残れると思います。1度ご自身で色々と調べてみて下さい!如何に日本が危険な状況か?を・・汗

「『歴史の書き換え』発言 沖縄戦の記録、愚弄する罪」、と信濃毎日新聞。

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2025-06-16 06:00:00 - 西田昌司参院議員の「歴史書き換え」発言に対抗する発言は、果たしてどれぐらいの効果や理解をもたらすことができたのか。 信濃毎日新聞は2025年5月18日、「「歴史の書き換え」発言 沖縄戦の記録、愚弄する罪」、と社説を展開した。 この社説で、このことの一端を見る。 信濃毎日新聞のこの問題への把握。1.「ひめゆりの塔」は歴史を書き換えている―。沖縄戦で犠牲になった学徒らを慰霊する塔の展示説明について、自民党の西田昌司参院議員が今月初め、那覇市でのシンポジウムでこう発言した。2.批判が噴出したため、6日後に記者会見を開いて「発言は非常に不適切だった」として撤回。沖縄県民に「おわび」した。 しかし、信濃毎日新聞は、「西田氏は謝ったか」、と続ける。1.謝っているようにみえて、西田氏は実のところ居直っている。主張の核心部分を変えていない。2.「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬことになった。そして米国が入ってきて、沖縄が解放されたと、そういう文脈で書いている。歴史を書き換えられると、こういうことになってしまう」。シンポでの発言だ。会見では謝罪を口にしつつも「言っていることは事実」と強調した。3.ひめゆり平和祈念資料館は、そんな展示説明は過去も現在も一切ないと反論している。4.西田氏の主張は根拠からして曖昧だ。 その上で、「最も深刻な問題は、国民の代表である国会議員が、歴史の事実をゆがめて恥じない点にある。」、と批判する。 次に、信濃毎日新聞は、「「」軍は民を守らない」と「沖縄戦」を説く。1.沖縄戦を巡っては、研究者や市民の手で調査や体験者の聞き取りが進められてきた。掘り起こした証言を資料の裏付けや検証を経て記録に残す作業を重ねて、複雑な実相が解き明かされている。2.4月には、40年近く沖縄戦研究に取り組み県史の編さんにも関わった現代史研究者の林博史さんが「沖縄戦なぜ20万人が犠牲になったのか」を出版した。膨大な史料を基に描き出された全貌。見えてくるのは、西田氏の「日本軍が入ってきてひめゆりの隊が死ぬことになった」との発言は、まぎれもない事実であるということだ。3.沖縄戦は、その前段階から理解する必要がある。明治の琉球処分以降、沖縄は植民地と同様に本土から差別され、厳しい同化政策と徹底した皇民化教育が行われた。4.太平洋戦争末期、日本の敗色が深まる中、軍と政府は天皇を頂点とする「国体護持」のため本土決戦の準備を進める。沖縄戦はその“時間稼ぎ”とされた。5.米軍との戦闘に向けて沖縄の人と物が戦場に動員され、1945年に入ると戦場で県民が戦う「県民総武装」が本格化。学徒も戦闘員に組み込まれた。軍が住民を道連れに凄惨(せいさん)な地上戦を展開する素地がここにある。6.3月末から約3カ月に及んだ沖縄戦。住民に多くの犠牲が出たのは、5月下旬に日本軍が本島南部への撤退を始めてからだ。7.追い詰められた軍によって住民は避難壕(ごう)から追い出されたり、食料を強奪されたりして、米軍の激しい砲爆撃にさらされた。8.日本軍が住民をスパイと疑い虐殺する事件も頻発した。「住民虐殺は、一部の逸脱した将兵による行為ではない」とする林さんの指摘は重大だ。「日本軍や県が米軍に保護された住民をスパイ視する宣伝をおこなったことによって起きた組織的な犯罪であった」9.米軍は、軍人も民間人も無差別に攻撃した。その一因に日本軍のとった戦法がある。敵陣に突撃する「斬り込み」などの際、兵士は服装や話し方を沖縄の住民に見せかけ、現に女性を含めて民間人を加わらせていた。10.沖縄戦の死者は、日米合わせて20万人を超える。沖縄県民の4人に1人が命を落とした。 そして、「日本軍は自国民を守るどころか犠牲にすることをためらわなかった。これが沖縄戦の事実である。」、と指摘する。 また、信濃毎日新聞は、「痛切な教訓、後世へ」、と「戦後80年-沖縄戦80年」について、次のように締める。1.戦場では、兵士と同様に住民の命も吹けば飛ぶ軽さとなる。戦争と軍隊の本質に目を凝らしたい。2 戦後、沖縄の平和教育は体験者の証言に基づく研究を取り入れてきた。長い沈黙を破り、過酷な記憶を明かした人もいる。戦争の実像を伝え、二度と起こさないようにとの願いからだ。3.西田氏は「沖縄の場合、地上戦の解釈を含めてかなりむちゃくちゃな教育のされ方をしている」とも語った。体験者が身を削る思いで積み上げてきた戦争の記録を愚弄(ぐろう)する暴言だ。政治の教育への介入はそもそも許されない。4.沖縄の犠牲はなお続いている。72年に日本に復帰するまで米軍統治下に置かれた。今も在日米軍専用施設の約7割が集中している。5.政府は「台湾有事」を前提に、南西諸島で自衛隊の配備を拡大している。「敵」からの攻撃を想定した準備は沖縄に限らない。司令部の地下化など、全国の自衛隊施設で強靱(きょうじん)化が進められている。6.小さな島国が戦場になったら何が起きるのか。沖縄戦の痛切な教訓をくみ取る時だ。攻撃に耐える体制づくりよりも、まずは戦争を招き寄せないために万策を尽くすべきではないのか。 最後に、信濃毎日新聞は、このようにまとめる。 「歴史を都合よくゆがめる発言は後を絶たない。そのたびに史実に照らして検証し、うそや間違いを正していく。未来への道を誤らぬように、過去の歴史と謙虚に向き合って学ぶ責務が、この社会を構成する一人一人にある。」、と。(https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2025051800065 参照) 再掲になるが、やはり確認する。 「西田昌司参院議員の『「歴史書き換え』発言に対抗する発言は、果たしてどれぐらいの効果や理解をもたらすことができたのか。」、との問いかけに、信濃毎日新聞は、「歴史を都合よくゆがめる発言は後を絶たない。そのたびに史実に照らして検証し、うそや間違いを正していく。未来への道を誤らぬように、過去の歴史と謙虚に向き合って学ぶ責務が、この社会を構成する一人一人にある。」、と結ぶのである。
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