初タイトル

?R_04_3.14?【総合限定】全国HOBBY板Ⅰ式 | 俺の眼が限界なのにゲーム好きで何が悪い - 【Z】

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?R_04_01.25?【総合限定】令和4年度全国HOBBYイベント掲示板Ⅱ | 俺の眼が限界なのにゲーム好きで何が悪い - 【Z】

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?R4_01.27(最終)?【R4/AmⅠ/❪睦月❫ FIRE--GROUND】 | 俺の眼が限界なのにゲーム好きで何が悪い - 【Z】

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?R.03.11.17?【総合限定】令和3年度全国HOBBYイベント掲示板 | 俺の眼が限界なのにゲーム好きで何が悪い - 【Z】

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2019天皇杯 決勝 ヴィッセル神戸vs鹿島アントラーズ

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2025-01-04 01:36:00 - 新しくなった国立競技場での初めてのスポーツのイベントがこの天皇杯の決勝だったそうです。その試合に2-0でヴィッセルが勝ちました。その試合に2-0でヴィッセルが勝ちました。その試合に2-..

羽生結弦は「四大陸選手権」で初タイトルとなるか?

http://hanyuu-yuzuru.seesaa.net/article/446556544.html
2025-02-01 02:59:00 - もう2月になりましたね。今年が始まったと思ったら、あっという間にひと月経ってしまいました!まだまだ寒い日は続きますね。今日こそは羽生くんのブログを書くぞ!と張り切る私です。..

高野人母美 世界進出

http://hitorigotonikkicho.seesaa.net/article/420494295.html
2025-06-11 06:15:00 - 高野人母美が初タイトルを獲得して次は世界進出を目指すそうです。女性のボクサーってあまり話題に出てこないけど、検索してみると美人さんも結構多いんだね。

将棋・加藤桃子奨励会1級が初代女流王座になりました。

http://newsent.seesaa.net/article/240125777.html
2025-12-12 12:27:00 - 将棋:奨励会員が初代女流王座 毎日新聞将棋の第1期女流王座戦五番勝負第5局(リコー主催)は12日、東京・将棋会館で行われ、加藤桃子奨励会1級(16)が清水市代女流六段(42)に129手で勝ち、..

Yahoo!トピック調査-「バルセロナ 今季初タイトル」

http://wwp-icm.seesaa.net/article/221146200.html
2025-08-19 08:46:00 - こんにちわ。あいしーMです。弊社ワイズワークスではWEBメディアにおける掲載価値評価を行っています。PR業界で言う「広告換算」という金額値です。これから定期的にYahoo!..

木村八段初タイトルに王手(棋聖戦)

http://mizuechan.seesaa.net/article/122402254.html
1970-01-01 01:00:00 - 棋聖戦第3局の結果は、すでに昨日掲載してありますが、ヤブログオリジナルの棋譜再生を遅ればせながら掲載します。 盤面操作でわからないことがあったら、この文の末尾にある緑色の《ヘルプ》の文字をク..

ゴルフ 日本ジュニア 石川遼、宮里美香らが優勝

https://golfguide.seesaa.net/article/51741498.html
1970-01-01 01:00:00 - 埼玉県の 霞ヶ関カンツリー倶楽部 で開催された、日本ジュニア選手権でハニカミ王子こと石川遼(いしかわりょう)くん、15歳が優勝した。ぽっちゃり王子ことは、12~14歳の男子の部でプ..

七夕賞・・・ユメノシルシ重賞初V狙う!

http://freedom325.seesaa.net/article/46547410.html
2025-07-03 07:21:00 - 七夕の願いは「重賞を勝てますように…」。今年6戦4勝の上がり馬ユメノシルシ(牡5、大久保洋)が七夕賞(G3、芝2000メートル、8日=福島競馬場)で初タイトルを狙う。ダートから..

【1.2年】1/26(日)保土ヶ谷区大会U8の部

https://hodogayags.exblog.jp/243408055/
2025-01-30 01:00:00 - 1/26(日)保土ケ谷区大会U-8の部@帷子小学校【GS1年生】vsエルフィンズ0-6vsオフサイド1-5ヒデユキ【GS2年生】vs帷子8-0ひなたAしゅうせいけんたSひびきCKひなたひなたじんAけんたAAひろとしゅうせいAけんたAAじんじんAけんたひなたひでvs岩崎1-0じん待ちに待った保土ヶ谷区大会です!!1.2年ともに気合十分で、アップのシュート練はバコンバコンかっ飛ばしていて、良い状態で挑む事が出来ました。1年生は一つ上の学年と対戦する形となり、初戦のエルフィンズ戦では、相手の勢いにフワッと失点してから立て続けにゴールを決められてしまい、試合前に伝えた【優先順位】の部分が浸透していない事による失点が多かった印象です。ハーフタイムで改めて【優先順位】と【離れる】を伝えて挑み、少しずつ前に進む流れが出来始めましたが、やはり一つ上の子達との身体能力差は大きく、スピードでソウスケが追いつかれ、けいすけのドリブルは引っ掛かり、唯一ヒデだけは攻守ともに存在感が出せる球際の強さと判断が出来ていましたが、完敗でしたね。2戦目のオフサイド戦でも同じ話をして挑み、1試合目ほどの差は感じなかったですが、ディフェンスライン含め、奪ったボールをただ近くの選手にパスを出してしまうので前から奪いに来る相手にそのまま勢いに乗られてまた失うシーンが多かったですね。それでも、ヒデ中心に奪ったボールがFWのソウスケに入れば、そこからケイスケが追い越し、カイが中継し、そこにヒデが付いて来る形は見え始めました。久々のセヒと遅れてきたのでキーパーから出場したハルフミはちょっと試合感が取り戻せないまま終わってしまいましたが、終始楽しそうにプレーしてくれていたのでとりあえずマル。1試合目ソウスケだけ試合途中で心が折れてましたが、それだけ気持ちが入っているということでしょう!強くなりますね!!1年生は3位パートで残り3試合かな?戦うことになりますので、3位パート優勝目指してまた磨いて行きましょう!!何も慌てることはないので、結果に囚われることなく、楽しくサッカーしてもらいます!!2年生は、帷子戦からちょっと質の違うサッカーを見せてくれましたね。サッカーはセンターラインがすごく重要と言われておりますが、GKヒロト・ソウタ・シュウセイ・ジンのラインがやっぱり穴が無く。と思いきや、右のヒナタは鉄板の推進力で、左のケンちゃんは緩急で相手を切り裂き続け。いろんな形からゴールを奪いましたが、同じ選手ばかりが点に関わるのでは無く、どの選手でも得点に関わる事が出来るのはとても大切に思っておりますので、今回は身を潜めたヒビキも誰にも負けないキックを持っていますし、本日公式戦初参戦となったツグナもボランチで永遠に走り続け攻守に渡りチームを救ってくれましたので、次回に期待したいと思います。岩崎戦は、相手が体を張って守り続けていて、何度ゴール前に進んでもブロックされGKに止められ、PKも外れて?、なかなか点が奪えず、、、GKヒビキはもしかしたら一回も触ってないかも、、、というくらいソウタが全てをシャットアウトしてくれてましたね。このまま0-0かなーと思っていたら、コソッとジンが点を決めて1-0で勝利!!さすが点取り屋、苦しい状況でも点を奪える良い選手ですね。2戦2勝で1位パートでの決勝リーグ戦になるでしょう!!初タイトルなるか?楽しみですね。次回は板倉兄弟、ユウイチも含め全員参加で挑みたいところ!!2年生はクロスからのシュート練習します。1年生は変わらず2:1とサッカー脳を鍛えていきます。ヒデパパ審判ありがとうございました!試合動画共有ありがとうございました!!大変お疲れ様でした!!ここからどんな選手になっていくのか!楽しみですね!!写真提供もありがとうございました!!

太陽は銀河系の中では主系列星の一つで、スペクトル型はG2V(金色)である。

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2025-01-19 01:00:00 - Wikipedia 寄付 アカウント作成 ログインジョン・マッケンロー ページ ノート 閲覧 編集 履歴を表示ツール出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。 信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: "ジョン・マッケンロー" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2017年2月) ジョン・マッケンローJohn McEnroe ジョン・マッケンロー基本情報フルネーム John Patrick McEnroe国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国出身地 ドイツ・ヴィースバーデン生年月日 1959年2月16日(65歳)身長 180cm体重 75kg利き手 左バックハンド 片手打ち殿堂入り 1999年ツアー経歴デビュー年 1976年引退年 1992年ツアー通算 148勝シングルス 77勝ダブルス 71勝生涯通算成績 1411勝301敗シングルス 881勝198敗ダブルス 530勝103敗生涯獲得賞金 $12,552,1324大大会最高成績・シングルス全豪 ベスト4(1983)全仏 準優勝(1984)全英 優勝(1981・83・84)全米 優勝(1979-81・84)優勝回数 7(英3・米4)4大大会最高成績・ダブルス全豪 ベスト4(1989)全仏 ベスト8(1992)全英 優勝(1979・81・83・84・92)全米 優勝(1979・81・83・89)優勝回数 9(英5・米4)4大大会最高成績・混合ダブルス全仏 優勝 (1977)全英 ベスト4 (1999)優勝回数 1(仏1)国別対抗戦最高成績デビス杯 優勝(1978・79・81・82・92)キャリア自己最高ランキングシングルス 1位(1980年3月3日)ダブルス 1位(1979年5月21日)■テンプレート ■プロジェクト テニスジョン・マッケンロー(John McEnroe, 1959年2月16日 - )は、アメリカの男子プロテニス選手。左利き。身長180cm、体重75kg。ATPツアーでシングルス77勝、ダブルス71勝を挙げ、シングルス・ダブルスとも世界ランキング1位になった数少ない選手のひとりである。グランドスラムではシングルス優勝7回・ダブルス優勝9回・混合ダブルス優勝1回の計17回の優勝を飾った。ダブルスでは旧友ピーター・フレミングと組んで57個(うち4大大会7勝/同一ペアの優勝記録としては歴代2位)のタイトルを獲得した。他にも年間最終戦優勝3回[1]、最多タイトル獲得記録(シングルス・ダブルス合計)、シングルス通算世界1位在位記録歴代5位・ダブルス通算世界1位在位記録歴代3位など数々の記録を保持する。父親の軍務地であったドイツ・ヴィースバーデンで生まれる。父親は著名な弁護士で、弟のパトリック・マッケンローもプロテニス選手[2]。元妻は女優のテータム・オニール。現在の妻はロックシンガーのパティ・スマイス。試合中、審判の判定にクレームや暴言を発することが頻繁にあったため、“悪童マッケンロー”と呼ばれた。選手経歴1976年から選手生活を始めたマッケンローは、18歳の時に1977年全仏オープン混合ダブルスで幼なじみのメアリー・カリロとペアを組み、初めての4大タイトルを獲得した。続くウィンブルドンで予選からベスト4に進出し(大会史上初)、準決勝で当時の世界1位だったジミー・コナーズに敗れたが、ここで世界的な注目を集めた。その後スタンフォード大学に進学し、1978年にNCAAのタイトルを獲得すると、大学を中退してプロ入りする。翌1979年には早くも全米オープン決勝に進出し、ビタス・ゲルレイティスを 7-5, 6-3, 6-3 で破って、20歳の若さで四大大会初タイトルを獲得する。1980年、マッケンローはウィンブルドンで初の決勝進出を果たし、大会5連覇を目指すビョルン・ボルグに 6-1, 5-7, 3-6, 7-6, 6-8 で敗れたが、3時間55分に及ぶ戦いはテニス史上に残る名勝負として今なお語り継がれている。とりわけ第4セットはボルグの7つのマッチポイントを凌ぎ、タイブレークを 18-16 という壮絶なスコアでものにして最終セットに持ち込む大激戦となったが、最後は鉄人・ボルグの前に力尽きた。しかし、同年の全米オープン決勝で同じボルグを 7-6, 6-1, 6-7, 5-7, 6-4 とフルセットの末に破ると、翌1981年のウィンブルドンでは、再び決勝で相まみえたボルグを 4-6, 7-6, 7-6, 6-4 で破り、前年の雪辱を果たして初優勝。こうして、マッケンローがボルグのウィンブルドン「6連覇」を阻止した。続く全米オープンでも2年連続決勝でボルグを破り、同大会で3連覇を達成する。同時にATPランキング1位の座をボルグから奪い取って、マッケンロー時代の幕開けを告げた。1982年は、ウィンブルドンは決勝でジミー・コナーズ、全米オープンは準決勝でイワン・レンドルに敗れて、4大タイトル無冠に終わる。対レンドル戦は0勝4敗(前年から6連敗)と苦手にしたが、年間ランキング1位は死守する。1983年以降は充実期を迎え、同年のウィンブルドン、1984年はウィンブルドン、全米オープンの2冠を獲得、両年とも年間ランキング1位をキープし、名実共にトッププレーヤーとしてテニス界に君臨する。絶頂期の1984年は、プレースタイル的に苦手な全仏オープンこそイワン・レンドルに敗れて準優勝に終わったものの、優勝した全米オープンではそのレンドル、ウィンブルドンでは2年前に苦杯をなめたジミー・コナーズを、ともに決勝で圧倒する。ツアーを通じてもレンドルに6勝1敗、コナーズに6勝0敗と、当時のランキング2位・3位である2人を全く寄せ付けず、最終的に全14大会に出場して12大会で優勝、デビスカップでの1敗を合わせても、年間わずかに3敗という圧倒的な戦績を残した。(この年の彼の年間勝率 .965 という記録は、2005年度のロジャー・フェデラーでさえ破れなかった驚異的な記録である。)1985年に入ると、年明けのマスターズは前年の勢いでイワン・レンドルを一蹴する。当時の4大大会は、年間第1戦が全仏オープンであった。マッケンロー最大の関門である全仏オープンの準決勝でクレー巧者のマッツ・ビランデルに屈すると、5年連続決勝進出中だったウィンブルドンでも、第8シードのビッグサーバー・ケビン・カレンに足をすくわれ、まさかの準々決勝敗退に終わる。唯一決勝に進出した全米オープンもレンドルに前年の雪辱を許し、4大タイトル無冠に終わっただけでなく、ランキング1位もレンドルに奪われる。それ以後、1986年・1987年は背中の故障などもあって出場試合数が激減した。出場した試合でも低迷が続き、ボリス・ベッカーなどの新勢力の台頭もあって、マッケンローのシングルスでの成績やランキングは下降した。1988年、前年の出場停止処分に端を発した長期休養から、復活を期して4月のジャパン・オープンを復帰戦として選択すると、有明コロシアムで行われた決勝では、新勢力の代表・ステファン・エドベリを 6-2, 6-2 で破って優勝した。(準々決勝では若き松岡修造とも対戦し、マッケンローが順当勝ちした。)5月の全仏オープンでは、当時絶頂期にあったイワン・レンドルに4回戦で敗れ、ウィンブルドンと全米オープンは、ともに2回戦で格下の選手に惨敗する。以後、ツアーでの優勝は散発的にあったものの、4大大会シングルスは1989年・1992年のウィンブルドン、1990年全米オープンのベスト4が最高と、再びタイトルを獲得することはできなかった。1990年全豪オープンでは、4回戦でハプニングがあった。この時マッケンローはミカエル・ペルンフォルス(スウェーデン)との対戦中に線審を睨み付け、ラケットを地面に叩き付け、主審への暴言などを繰り返したため、第4セットの途中(スコア:6-1, 4-6, 7-5, 2-4 / すなわち、マッケンローがセットカウント 2-1 とリード中)で競技役員との話し合いの末、主審から「失格」を言い渡された。これに観客は憤り、試合会場を立ち去ってしまった。このペルンフォルス戦は、マッケンローの暴言が度を過ぎた試合の最たる例として語り草になっている。ダブルスでは、ピーター・フレミングの引退後も活躍を続け、オーストラリアのマーク・ウッドフォードとペアを組んだ1989年の全米オープンで優勝する。引退を表明した1992年にも、ドイツのミヒャエル・シュティヒと組んで8年ぶりにウィンブルドンで優勝を飾った後、デビスカップでもピート・サンプラスとペアを組んで、決勝のスイス戦では2セットダウンから逆転勝ちして優勝を決めるなど、最後の活躍を見せている。特にシュティヒとペアを組んでジム・グラブ&リッチー・レネバーグ組(ともにアメリカ)を 5-7, 7-6, 3-6, 7-6, 19-17 で破った決勝の試合時間「5時間1分」は、ウィンブルドン男子ダブルス決勝の史上最長時間記録である。1992年に33歳で現役を引退した後は、テレビ解説者として活躍する一方、ビョルン・ボルグたちとともにシニアツアーに参加し、来日も果たす。1999年ウィンブルドンでは、シュテフィ・グラフとペアを組んで混合ダブルスに出場している。1999年に国際テニス殿堂入り。2006年には突如ダブルスでツアー復帰を宣言し、ヨナス・ビョルクマンとペアを組んだサンノゼ・SAPオープンで優勝を飾っている。マッケンロー47歳、ビョルクマン33歳ペアの優勝は、記録的にも特筆に値する。マッケンローは日本でも高い人気を誇り、トヨタ・カローラⅡ(初代)(1982年 - 1986年)、日清サラダ油『マヨドレ』(1982年、ビョルン・ボルグと共に出演)のTVCMに出演する等日本企業のイメージ宣伝に起用されたり、漫才師のギャグネタなどになることもあった。現役引退後の1995年11月には「明石家さんまのスポーツするぞ!大放送」に出演し、明石家さんまとともに「さんま vs. マッケンロー」というエキシビション・マッチを行ったこともある。プレースタイル機を見てネットに出てボレー等でポイントを決めるネットプレーヤー。サービスゲームではサーブと同時にネットダッシュするサービス&ボレーを基軸とする。(セカンドサーブ時はベースラインにとどまる場合もあり)リターンゲームでも、ストローク戦からネットダッシュするか、場合によってはリターンと同時にネットダッシュするリターン&ネットも見せる。John McEnroe, マドリード・マスターズ Senior 2007肩または腰の故障から考え抜かれたとされるほとんど相手に背中を向けた極端なクローズドスタンスから放たれるサーブは強力で、特にアドバンテージコートから左利き特有のバックハンド・サイドに切れていくスライスサーブは、両手打ちバックハンドの為に比較的リーチの狭かったライバル・ビョルン・ボルグとの対戦時は大きな武器となった。ボルグとは対照的に、ガットをぎりぎりまで緩く張ったラケットから絶妙なタッチで繰り出されるボレーは変幻自在で、野獣(Animal)・コナーズ、氷のボルグ(IceBorg : Iceberg(氷山)の変形)に対して、「芸術家(Artist)・マッケンロー」などと称された。プレースタイル的にはネットプレーヤーであるが、ストロークも決して苦手ではなく、全盛期は各時代・最強のストローカーであるジミー・コナーズ、ビョルン・ボルグ、イワン・レンドル、マッツ・ビランデルを、ストロークの打ち合いで翻弄することも多かったため、オールラウンダーと評される場合もある。彼のストロークの特徴をあらわすキーワードはライジングで、人によっては 『マッケンローのストロークはハーフボレーの延長だ』 などと評するほど、フォア・バックともにほとんどのストロークをバウンドの上がり際(=ライジング)で処理した。これは1970年代末期、ボルグの高く跳ね上がるトップスピンに対して、多くのネットプレーヤーがベースライン後方に押し下げられ、ネットプレーを封じられていたことに対抗するために生まれたと思われる。ベースラインから下がらずに高い打点で処理することで、より早いタイミングで、しかも角度を付けて返球することが容易になるため、結果的に速い展開で相手を振り回すことが可能となる。相手側から見ると「ボール自体は速くないのに、すぐボールが返ってくる」「強打しても軽くかわされ、ちょっとでもストロークが浅くなると左右に振り回されて、気が付くとネットに出てきてボレーを決められる」という状態になる。ボルグのマッケンロー評に『彼はコートのあらゆるところから、あらゆるスピンのボールを打つことができる』 とあるように、単純にボールの威力で相手を粉砕するのではなく、コート中に様々な球種を散らし、相手を翻弄して、最後はネットプレーで決めるのが彼のプレースタイルである。その意味では同じライジングでも、高い打点からエースを狙ってハードヒットする現代のライジング打法とは趣を異にする。ネットプレーヤーとしては異例に、パッシングショットも得意とした。フォア・バックともにストレート・ショートクロスと自在に打ち分け、同じスタイルの相手と対戦する際には非常に有効であった。しかし、絶対的な体力に裏打ちされた粘りのストロークが要求されるクレーコートはやはり苦手とし、絶頂期の1984年でもあと一歩のところで全仏オープンのタイトルには届かなかった。全体として、ネットプレー・ストロークともに、非常に攻撃的なプレーを行うが、決して勢いにまかせてエース狙いのハードヒットを繰り返すタイプではなかった。彼のトレードマークでもあった、審判の判定に激昂して悪態をつくような場面の後でさえも、プレー自体は頭脳的で、彼以前の“悪童”イリ・ナスターゼ(ルーマニア)やライバルのコナーズ、彼の後に続いたゴラン・イワニセビッチ(クロアチア)などのように、そのままプレーが乱れる場面は少なかった。マッケンローはウッド(木製)ラケットとカーボン、グラスファイバー等、新世代の素材を用いたハイテク・ラケットとの交替時期に活躍した選手である。1歳年下のライバル・イワン・レンドルに7連敗を喫していた1983年初頭、それまでのウッドラケット「MAXPLY」から、カーボン製「MAX200G」にラケットを替えたことと相前後して、レンドルとの対戦成績も逆転し、その後の全盛期を迎えた。彼がこのラケット(DUNLOP MAX 200G)に切り替えたのは、弟のパトリック・マッケンローに勧められたからだという。それ以後、現役を引退するまでこのラケットを使い続けた。私生活マッケンローは、男優ライアン・オニールの娘で女優のテータム・オニールと1986年から1994年まで婚姻関係にあり、ケビン、ジーン、エミリの3人の子供がいる。二人の離婚後、当初は両親に共同親権が認められたが、1997年にマッケンローが単独親権を得た。1997年にはロック歌手のパティ・スマイスと結婚し、アンナとアヴァの2人の娘をもうけた。二人の住居は、ニューヨーク・マンハッタンの高級住宅街アッパー・ウエストサイドのデュプレにある。記録※オープン化以降グランドスラム年間勝率「89.9%(62-7)」 1984年に記録。ウィンブルドン優勝「8」 1979–1992 シングルス・ダブルス合計ウィンブルドン1大会でのゲーム獲得率「68% (134–63)」 1984年に記録。全米オープン優勝「8」 1979–1989 シングルス・ダブルス合計WCTファイナル・Grand Prixタイトル獲得数「8」WCTファイナル・Grand Prix決勝進出「12回」 イワン・レンドルとタイ記録。WCTファイナル・Grand Prix 1セットも落とさずに優勝「3回」 イワン・レンドルとタイ記録。WCTファイナル優勝「5」WCTファイナル「2連覇」WCTファイナル決勝進出「8回」WCTファイナル連続決勝進出「6連続」WCTツアー決勝「21勝」マスターズGrand Prixダブルス優勝「7回」「7連覇」 ピーター・フレミングとタイ記録。タイトル獲得「148」 1978–1992 シングルス・ダブルス合計年間タイトル獲得数「27」 1979年。シングルス・ダブルス合計ダブルス年間優勝数「16」 1979年シングルス年間勝率「96.47% (82–3)」 1984年ウェンブリー選手権優勝「5」連続タイトル獲得「8」 1981–1982カーペットコート勝利数「346」 66連勝、勝率84.18% (346–64)も歴代1位室内コート勝率「85.34% (419–72) 」ダブルス世界ランキング1位「108週」 1982年-1984年。歴代4位記録シングルス・ダブルス同時に世界ランキング1位 1984年。シーズンの初めから42連勝 1984年1シーズンでのダブルスタイトル「14」 1979年4大大会優勝 全仏オープン 混合ダブルス:1勝(1977年) [男子シングルス準優勝1度:1984年] ウィンブルドン 男子シングルス:3勝(1981年、1983年&1984年)/男子ダブルス:5勝(1979年、1981年、1983年&1984年、1992年) [男子シングルス準優勝2度:1980年、1982年] 全米オープン 男子シングルス:4勝(1979年-1981年、1984年)/男子ダブルス:4勝(1979年、1981年、1983年、1989年) [男子シングルス準優勝1度:1985年]年 大会 対戦相手 試合結果1979年 全米オープン アメリカ合衆国の旗 ビタス・ゲルレイティス 7-5, 6-3, 6-31980年 全米オープン スウェーデンの旗 ビョルン・ボルグ 7-6, 6-1, 6-7, 5-7, 6-41981年 ウィンブルドン スウェーデンの旗 ビョルン・ボルグ 4-6, 7-6, 7-6, 6-41981年 全米オープン スウェーデンの旗 ビョルン・ボルグ 4-6, 6-2, 6-4, 6-31983年 ウィンブルドン ニュージーランドの旗 クリス・ルイス 6-2, 6-2, 6-21984年 ウィンブルドン アメリカ合衆国の旗 ジミー・コナーズ 6-1, 6-1, 6-21984年 全米オープン チェコの旗 イワン・レンドル 6-3, 6-4, 6-1成績略語の説明 W F SF QF #R RR Q# LQ A Z# PO G S B NMS P NHW=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.4大大会シングルス大会 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 通算成績全豪オープン A A A A A A A SF A QF - A A QF 4R A QF 18–5全仏オープン 2R A A 3R QF A QF F SF A 1R 4R A A 1R 1R 25–10ウィンブルドン SF 1R 4R F W F W W QF A A 2R SF 1R 4R SF 59–11全米オープン 4R SF W W W SF 4R W F 1R QF 2R 2R SF 3R 4R 65–12※1979年全米3回戦の不戦勝は通算成績に含めない年間最終戦大会 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 通算成績マスターズカップ W SF RR SF F W W 1R SF 19–11WCT Finals W F W F W W QF F W 21–4世界ランキング- 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992最終ランキング 21 4 3 2 1 1 1 1 2 14 10 11 4 13 28 204大大会ダブルス大会 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992全豪オープン A A A A A A A A A 2R A A NH A A SF A A A全仏オープン A A A 2R A A A A A A A A A A A A A A QFウィンブルドン A A A A F W SF W F W W SF A A A 3R A 2R W全米オープン 1R 2R 1R 2R QF W F W QF W SF A A A A W 1R 3R SF脚注[脚注の使い方] ^ フェデラー6回、レンドル/サンプラス5回、ジョコビッチ4回。3回はベッカーと並び歴代5位 ^ “Right Name, Wrong Genes: The Top 50 Less Talented Relatives of Superstars”. bleacherreport.com (2010年9月7日). 2012年3月25日閲覧。関連項目 『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』 - マッケンローとビョルン・ボルグが対戦した1980年ウィンブルドン選手権男子シングルス決勝戦が描かれた2017年の映画。外部リンクウィキメディア・コモンズには、ジョン・マッケンローに関連するカテゴリがあります。 ジョン・マッケンロー - ATPツアーのプロフィール (英語) ウィキデータを編集 ジョン・マッケンロー - デビスカップのプロフィール (英語) ウィキデータを編集 ジョン・マッケンロー - 国際テニス連盟 ウィキデータを編集 ジョン・マッケンロー - 国際テニス殿堂のプロフィール (英語) ウィキデータを編集タイトル先代スウェーデンの旗 ビョルン・ボルグスウェーデンの旗 ビョルン・ボルグスウェーデンの旗 ビョルン・ボルグスウェーデンの旗 ビョルン・ボルグアメリカ合衆国の旗 ジミー・コナーズアメリカ合衆国の旗 ジミー・コナーズアメリカ合衆国の旗 ジミー・コナーズアメリカ合衆国の旗 ジミー・コナーズアメリカ合衆国の旗 ジミー・コナーズチェコスロバキアの旗 イワン・レンドルチェコスロバキアの旗 イワン・レンドルチェコスロバキアの旗 イワン・レンドルチェコスロバキアの旗 イワン・レンドルチェコスロバキアの旗 イワン・レンドル 世界ランキング1位1980年3月3日 – 1980年3月23日1980年8月11日 – 1980年8月17日1981年7月6日 – 1981年7月19日1981年8月3日 – 1982年9月12日1982年11月1日 – 1982年11月7日1982年11月15日 – 1983年1月30日1983年2月7日 – 1983年2月13日1983年6月6日 – 1983年6月12日1983年6月4日 – 1983年10月30日1983年12月12日 – 1984年1月8日1984年3月12日 – 1984年6月10日1984年6月18日 – 1984年7月8日1984年8月13日 – 1984年8月18日1985年8月26日 – 1985年9月8日 次代スウェーデンの旗 ビョルン・ボルグスウェーデンの旗 ビョルン・ボルグスウェーデンの旗 ビョルン・ボルグアメリカ合衆国の旗 ジミー・コナーズアメリカ合衆国の旗 ジミー・コナーズアメリカ合衆国の旗 ジミー・コナーズアメリカ合衆国の旗 ジミー・コナーズアメリカ合衆国の旗 ジミー・コナーズチェコスロバキアの旗 イワン・レンドルチェコスロバキアの旗 イワン・レンドルチェコスロバキアの旗 イワン・レンドルチェコスロバキアの旗 イワン・レンドルチェコスロバキアの旗 イワン・レンドルチェコスロバキアの旗 イワン・レンドル 表話編歴テニス男子シングルス世界ランキング1位 表話編歴男子テニスダブルス世界ランキング1位 ジョン・マッケンロー 獲得タイトル典拠管理データベース ウィキデータを編集カテゴリ: アメリカ合衆国の男子テニス選手ウィンブルドン選手権優勝者全仏オープン優勝者全米オープン (テニス)優勝者国際テニス殿堂入りの人物アイルランド系アメリカ人のスポーツ選手1959年生存命人物ヴィースバーデン出身の人物クイーンズ出身の人物 最終更新 2024年5月25日 (土) 14:26 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスのもとで利用できます。追加の条件が適用される場合があります。詳細については利用規約を参照してください。 プライバシー・ポリシー ウィキペディアについて 免責事項 行動規範 開発者 統計 Cookieに関する声明 モバイルビュー Wikimedia Foundation Powered by MediaWiki

法の裁かぬ【ビーキーパー】悪を斬る

https://rose2004.exblog.jp/34399590/
2025-01-09 01:00:00 - ジェイソン・ステイサムと「スーサイド・スクワッド」のデビッド・エアー監督がタッグを組んだリベンジアクション。アメリカの片田舎で養蜂家(ビーキーパー)として隠遁生活を送る謎めいた男アダム・クレイ。ある日、彼の恩人である善良な老婦人がフィッシング詐欺に遭って全財産をだまし取られ、絶望のあまり自ら命を絶ってしまう。怒りに燃えるクレイは、社会の害悪を排除するべく立ちあがる。世界最強の秘密組織「ビーキーパー」に所属していた過去を持つ彼は、独自の情報網を駆使して詐欺グループのアジトを突き止め、単身乗り込んだ末にビルごと爆破。その後も怒とうの勢いで事件の黒幕に迫り、事態はFBIやCIA、傭兵部隊や元同業者まで入り乱れる激しい闘争へと発展していく。「ハンガー・ゲーム」シリーズのジョシュ・ハッチャーソンが詐欺集団の元締めである実業家デレク、イギリスの名優ジェレミー・アイアンズがデレクの護衛兼アドバイザー役を務める元CIA長官ウエストワイルドを演じた。「リベリオン」のカート・ウィマーが脚本を担当。2024年製作/105分/PG12/アメリカ・イギリス合作原題または英題:The Beekeeper配給:クロックワークス劇場公開日:2025年1月3日これ、アメリカ版 必殺仕置人 です‼️面白かった。始まる前の予告編で、キャプテン アメリカをやっていましたが、その人間版のように不死身で強くて格好いいのよ‼️悪人を容赦なくバッタバッタと薙ぎ倒す。凄かった、アクションシーン!その割に怖くなくて、ほとんど目を開けて見られましたが、最後のガラスばりばりの所だけは痛そうで見られなかった。血が流れるのは苦手です。きっかけは隣の親切なお婆さんが、こんなに簡単に引っかかるか?と思うほど簡単にネット詐欺に遭い、全財産をむしり取られて自殺してしまう。ビーキーパー、つまり蜂を飼う人、養蜂家の主人公が腹を立てて復讐をする話です。正義の味方のビーキーパー❣️最初タイトルを見た時にカタカナなものだから、ピーキーパーと読めて、なんじゃらほい?カタカナは読み間違いをして誤解しがちだなと思いました。beeをkeepする人か、なるほど養蜂家だ、とわかりましたが、暗号みたいなもので、秘密組織の別名でもあるのよね。実際主人公のむくつけきおっさんは、蜜蜂を飼って蜂蜜をとってはいるわけですが。二重タイトルなわけ。とにかく物凄く強いのよ。キャプテンアメリカだかウルバリンだか(他の名前を知らない)のアメコミの主人公みたいにめったやたらに強い。向かうところ敵なし🤗ドッカーン‼️良いわ〜こういうのはわかりやすくて🤣勧善懲悪必殺仕掛人ただ今回の敵がちょっと厄介でね、、ネタバレになるので書きませんが、悪の張本人のお母さんがナント○○○ マダム ラ プレジダント なのよ‼️(書いちゃった) 元CIAの局長が息子の相談役で、あれこれ揉み消し担当。苦労するのよね。で、FBIも出てくるし、シークレットサービスみたいなのも出てくるし、強い人たちばかりの中で、ビーキーパーはひとり果敢に闘うわけ。むさ苦しいけれど格好良かった。ヒーローはむさ苦しい位がちょうどいいのかもしれませんね。本当に強そうに見えるもの🤣という訳で25年最初の映画はアクションものでとても楽しかったです。見て良かった🤗日本で起きた実話ビーキーパーよ‼️悪者を退治してくれ‼️

(和訳)全日本、男子フリーの結果について

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2024-12-22 12:00:00 - 全日本フィギュアの男子、まだ自分の気持ちの整理がつかなくて、すぐには感想を書けそうにないので、先にフランスのフォーラム「Passion-Patinage」のコメントをご紹介します。昨日の夕方から夜にかけて、早くも以下のようなコメントが投稿されていました(各コメントの投稿時間は日本時間)。やはり全日本の結果は、海外のスケオタさんたちにも興味のある話題なのでしょうね。※例によってテキトーな訳ですので、そのつもりでお読みください。-------------------------par Tommy Albright » sam. déc. 21, 2024 6:18 pm織田信成は、コロナウイルスによる健康上の問題と自身のモチベーションのために現役に復帰した。彼は地区予選に出場していたため、そこでプログラムのリハーサルができた。しかし、彼のパフォーマンスが非常に印象的だったことに変わりはない。彼は過去の自分のキャリアに後悔はないと思う(注:「現役時代にやりのこしたことがあって、そのために復帰したのではないか」というようなコメントが他の人からあったので)。現役時代の彼はプレッシャーのためにベストを尽くすことができず、チャンスを生かせなかった。しかし、彼の実績は今でも注目に値する。男子の試合は確かにかなり残念なものだった。鍵山優真にとって大事なのは、何としてもシニア初タイトルを獲得することだ。一方、佐藤駿は世界選手権出場という目標を前にして、かなり危険な状況にある。しかし、ギャップを埋めることはできる。女子SPのほうは、GPSの実績に沿った結果になったといえる。坂本花織がトップに立ち、千葉百音も3位という好位置につけている。2位にはジュニアの島田麻央が滑り込んだ。4位の樋口新葉から9位の吉田陽菜までの点差は3点未満と、非常に接戦になっている。-------------------------par Tommy Albright » sam. déc. 21, 2024 9:14 pm鍵山優真はフリーで200点を超えるスコアを上げ、念願だった初優勝を果たした。一方で、残念な演技をした選手も多く、佐藤駿と三浦佳生はミスが続いて5位以内に入ることができなかった。ジュニアの中田璃士が2位、壷井達也が3位となった。また、織田信成は4位に入り、友野一希がそれに続く5位につけた。中田璃士は年齢的にシニアの試合の出場権がなく、昨シーズンに続いて世界ジュニアに出ることが期待されている。佐藤駿はGPSの結果や5位の友野一希との点差がわずかだったことを思うと、世界選手権の代表選考で恩恵を受ける可能性がある。-------------------------par skater2 » sam. déc. 21, 2024 9:20 pm全日本の最新情報をどうもありがとう!-------------------------par kamina » sam. déc. 21, 2024 10:08 pm世界選手権の代表選考では、GPファイナルの結果も考慮するということだから、2人目には駿を選出し、もう1人は、地元開催とはいえNHK杯でもメダルを取った壷井を選ぶのでは。

諦めなかった競馬場で輝いた、諦めなかった勝者たち-2024JBC戦評

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2024-11-18 11:00:00 - JBC当日の競馬場やネットで流された映像に、中津競馬場と荒尾競馬場の廃止という、九州競馬の歴史に触れたものがあった。地方競馬にとって苦しかったあの時代、大半の競馬場で存廃議論が沸き起こり、佐賀競馬場も例外ではなかった。それでも“九州から地方競馬の灯を消してはならない”と、佐賀競馬に携わる人々が諦めずに踏ん張ったからこそ、今もその歴史を紡ぎ続けている。その想いが結実したのが、2024年11月4日に記された特別な1日だったと思っている。 初めて佐賀競馬場を舞台に行われたJBC(ジャパン・ブリーディングファームズ・カップ)は、第1レースが始まるころから大観衆が競馬場を包み込んでいた。この日訪れた1万3千人近くという人数は、目の前で行われるレースのために佐賀競馬場に集った数としては、果たしていつ以来だっただろうか。私はネットを通じての観戦だったが、国内最高峰の戦いがこの地で行われたことに対する喜びに溢れていたことは、十分に伝わって来た。この日現場に足を運んだ方々の多くは満足して帰路についたと思うが、その人たちにもう1度この地でJBCを見たいと思わせるのは、これからの佐賀競馬にかかっている。そのためにも主催者をはじめとする関係者は、地道なところから出来ることを積み重ねてほしいものである。 そんな舞台で行われたからか、頂点に立つことを諦めずに戦ってきた馬が栄光を手にした。このブログで何度か触れた話だが、統一GⅠタイトルは出走4戦目までに手にできないと、その可能性が著しく下がる。にも拘わらず今年のJBCクラシックを勝ったウィルソンテソーロは7戦目、JBCスプリントを勝ったタガノビューティーは実に8戦目で手にした戴冠。これがダート競馬の今後にどんな影響を与えるかは定かではないが、それが1戦1戦の感動を高めたのは間違いないだろう。そんな様々な想いが交錯した統一GⅠ3レースを、駆け足に振り返っていきたい。 <おことわり>JBC2歳優駿は後日掲載するコラムの中で、簡単に触れる予定です。<11月26日追記>JBC当日に計測された上がりタイム等に不具合があったことが主催者より発表され、同日修正された情報が公表されました。それに伴い、タイムに関する記述の部分を一部修正しております。 敗北を伏線にしたアンモシエラの逃げ切りと、今回も課題を乗り越えられなかったグランブリッジ-JBCレディスクラシック 今年から3歳限定のマリーンCが前哨戦として組み込まれたことで、世代間対決となった意味でも注目された、牝馬の最高峰を争う舞台。2年連続2着だったグランブリッジの悲願なるかが大きな見どころといえたが、頂点に立ったのはハナを奪った3歳馬アンモシエラ。グランブリッジはまたしても2着に敗れ、頂点の座を掴むことが出来なかった。 戦前からアンモシエラがどう戦うかがポイントと見られていたが、好スタートを切ったライオットガールを制する形でハナに。その後アイコンテーラーが2番手に上がってきたが、ここで序列が固まってスローな展開に落ち着いた。逃げたアンモシエラは2周目3コーナーから後続を突き放さんとゴーサインが出ると、4コーナーまでにセーフティーリードを築き、勝利を確定的に。最終的に2着に4馬身差をつける圧巻の走りで、栄光のゴールを駆け抜けたのである。 アンモシエラがマイペースの逃げを打てたのはやはり、これまでの戦いぶりにあったのだろう。例えば羽田盃では、雲取賞を逃げ切ったブルーサンに競り込んでハナを奪い、相手をシンガリに沈めた。そして前走マリーンCも、関東オークスを逃げ切ったアンテスビエントを競り潰して、相手をシンガリ負けに追い込んだ。特にマリーンCは自身も4着に崩れたが、この走りがライバルにケンカしたくない意識を与えたことが、大きな伏線として現れたのは間違いないだろう。一方で今年から創設された国内ダート3歳3冠路線を歩み、そこで好走してきた底力を発揮した1戦だったのも間違いない。昨年制したアイコンテーラーもそうだが、牡馬相手に結果を残してきた馬は、牝馬同士では得られない経験値を手にするのは確か。それらを武器に初の古馬相手となった1戦を突破したと評するのが、最もふさわしい言葉だろう。この路線の中核を担うだけでなく、女王のプライドとともに牡馬相手に戦う姿も見せてほしいものだ。 一方で3年連続2着に終わったグランブリッジは、力関係がわからない馬との対戦にウイークポイントがあると昨年指摘したように、またも初対戦となった馬に屈した。生涯において2度先着を許したのは牡馬のディクテオン1頭しかおらず、1度敗れた相手にリベンジする底力はある。しかしこの課題がタイトルから遠ざけているのは確かで、今回も3-4コーナーで内を捌いて2着争いを制するのが精一杯だった。年齢的に次なる役目も求められる時期を迎えているが、もし現役を続けるなら、どういう形でアンモシエラを負かそうとするのか、楽しみにしたいと思う。 マリーンCを制して参戦したテンカジョウは、勝負所から大外を使って追い上げるも、グランブリッジにアタマ差届かず3着。1-2着は砂が深くて伸びないといわれるインを走っていたので、そのコース取りの差が明暗を分けた印象。ただ牝馬路線においても、3歳世代が質量ともに高いレベルにあると示したのは確か。まだ底を見せていないだけに、勢力図を逆転する可能性は十分あるだろう。 4着だったライオットガールは結果が出ている馬体重まで絞り、パドックの雰囲気も良かったけれど、道中3番手から動けなかった。春以降は今一歩の結果が続いていることもあり、これを抜け出すには何かを変える必要があるのかも。このままジリ貧になって終わってほしくない。 地方勢は最先着となる5着となったドライゼと、6着に終わったキャリックアリードも、後方から追い上げ切れなかった。前が残るスローな展開では仕方なかったが、2着争いから大きく離されていない。前が止まる流れになれば、タイトルに手が届くと思える走りは見せたのではないだろうか。 最後に連覇を狙ったアイコンテーラーに触れると、2番手追走も勝負所で失速してしまったのは、オーサムリザルトの逃げ切りを許したエンプレス杯と同じ。逃げ馬にレースを支配されると脆かったという結果だったかもしれない。レース後の15日に引退が発表され、結果的に短期間の輝きに終わった印象はあるが、牝馬戦線の質の高さを示す一翼を担った功績は、称えたいと思う。 小回りの舞台で決めた向正面まくり! タイトルに近くて遠かったタガノビューティーがついに頂点に-JBCスプリント レースが終わって各馬が引き揚げる中、タガノビューティーの石橋脩騎手は着順を示す枠場に入らず、写真判定が表示されるのを待っていた。勝利を確信していたかのような表情を見せていたが、だからこそ“だろう”ではなく“勝った”の喜びとともに枠場に入りたかったのではないだろうか。ダート統一グレード17戦目でついに手にした初タイトルは、ダート短距離界の頂点に立つ、最高の形でもたらされた。 レースはスタートを決めたシャマルがハナに立ち、その外につけたのがヘリオス。そして少し離れた3番手にイグナイターがつけたが、この序列は短距離戦とは思えないほど静かに形成された。その結果として前半3ハロンの通過は36.2秒。約2ヶ月前に行われたサマーチャンピオンの同35.9秒よりも遅い、スローといえる流れで幕が開いたのである。 向正面に入ると先行勢は後続を突き放そうとするが、それを許すまいと動いたのが中団にいたタガノビューティー。向正面半ばから抜群の手応えで馬群の大外を上昇すると、4角では先行勢に並びかけていたイグナイターまで捲り切り、一気に先頭に立ったのである。 しかしこの時、イグナイターの後位で息をひそめていたチカッパが、がら空きになった内側からコーナーワークを利して追いついてきた。最後の直線はこの2頭の競り合いとなり、一旦はチカッパが前に出る場面もあったが、併せ馬になったゴール直前でもう一度タガノビューティーがハナ差前に出て、この競り合いを制したのである。 勝ったタガノビューティーは末脚が良いが故に、これまで位置取りが後ろ過ぎたり仕掛けが遅れたりといった所があったのかもしれない。ただ今回は小回りコースもあって、向正面から動いていく積極的な仕掛けを見せた。思えば初めて地方の馬場を走った一昨年のかきつばた記念が、4着ながら小回りコースに対応する走りを披露。また今回はスローな入りになり、位置取りの割に前との差がなかった。これらが噛み合ったことが、まくりを決めて勝利をもぎ取る大きな要因になったと考えている。7歳という年齢から、この先の現役生活はそう長くないと思われるため、未来を変えるという意味では大きな勝利だった。一方で現役を続けた場合、なかなか勝利に届かないキャラクターが変わることはないとしても、短時間で大きく力を落とすことも考えにくい。まだまだこの路線で、存在感を放ってほしいものである。 惜しくも2着に敗れたチカッパは、春当時から感じていたレースセンスの巧さを、存分に発揮した1戦だったと思う。この勝ち負けはベストが1200mではないかという部分と、3歳馬と古馬との経験値の差だろう。それでもこの段階でこれだけ走れるなら、この先路線の牽引役を担う可能性も十分あると思っているが、これから同世代のライバルが続々と加わってくるはず。それらの盾になる立場として、戦うことになるのかもしれない。 3着以下は地方勢が並んだが、最先着となる3着には、アラジンバローズが追い込んできた。道中はタガノビューティーの後ろで、それが動いた際に追いかけようとしたものの、そこで一瞬置かれたことが最後まで響いた。これは短距離路線に転じて3戦目という部分もあっただろうが、路線現行後の充実ぶりを示すに十分な走り。中央時代は長期休養が多かったので、7歳とはいえまだ良くなる可能性を秘めていそうである。 連覇を目指したイグナイターは、結局4着止まり。前走後にアクシデントがあって調整に誤算があったそうで、その影響か全体的に戦い方が消極的に映った。良い時には後続が来る前に抜け出す、積極的な競馬ができる馬なので、それが見られなかったことは残念だ。なお17日になって、関係者から来年も現役を続けること明らかにされた。まだまだダート競馬界を盛り上げていってほしいものである。 5着に入ったパワーブローキングは、最後方に近い位置から直線勝負でここまで飛び込んだ。初のスプリント戦で脚を測った印象の戦い方で、これを素直に実力と評してはいけないけれど、一定の成果を得たのは間違いない。今後はまず、南関東のスプリント路線でどういう結果を出せるのかを注目したいと思う。 意外に映ったのは、7着に終わったシャマルだ。戦績を振り返れば、過去のダート統一グレード6勝は全て重~不良馬場で挙げたもの。2日前の不良馬場から良馬場に回復したことが、マイペースで逃げながら4角手前で一杯になった要因だと考えたい。だとすれば、今後も馬場状態に結果が左右される馬と意識すべきだろう。 ところで来年のJBCスプリントは、船橋競馬場の1000mで行われる。今年も条件が合わない等の理由で海を渡る馬が多かったが、来年は違った意味でどういうメンバーになるか、想像が難しい。これが現在のJBCスプリントが抱える宿命といえるが、それでもJBCというタイトルが持つ重みと輝きが変わることはない。それを忘れず、これから1年の短距離路線を見つめていきたいと思っている。 ウィルソンテソーロを悲願の統一GⅠ制覇に導いた“九州の絆”-JBCクラシック 競馬場では平静を装い、勝利インタビューも通り一遍の言葉が並ぶことがほとんどの川田将雅騎手が、あれだけ感情露わに歓喜し、冗舌にインタビューに応えた姿は、今年のJBCを象徴していたシーンだった。佐賀競馬場をルーツに持つ川田将雅騎手と、やはり九州・鹿児島出身である馬主の了徳寺健二氏(名義は了徳寺健二ホールディングス㈱)。かつて世界を制したコンビは、九州競馬初のビッグイベントでウィルソンテソーロをJBCクラシックの勝利に導き、競馬場を万雷の拍手に包み込んだ。 レースは日本TV盃で逃げ切ったウィリアムバローズが、ここも好スタートを決めてハナに。その後位にヒロイックテイルとガルボマンボの高知勢がつけ、ウィルソンテソーロなどその他の中央勢は、その後ろで機を窺う形で1周目は進んで行った。 そして2周目向正面を迎えて高知勢が苦しくなると、自然と2番手に上がって来たウィルソンテソーロがゴーサイン。3コーナーで逃げるウィリアムバローズの内から交わして先頭に立つと、あとは独り舞台。新王者の誕生を示すゴール板を過ぎると、鞍上の川田将雅騎手は左手を高々と上げ、その歓声に応えたのである。 とにかくウィルソンテソーロの強さばかりが目立った1戦だった。先頭を射程圏に入れつつ、小回りを意識した早目の仕掛けで一気に抜け出すと、後続に影を踏ませぬ走り。これまで統一GⅠ2着が3度あった勝負弱さは何だったのかと思わせる、完璧なレース運びだった。ただ前述した統一GⅠ2着時の勝ち馬は、今回不在だったことも見逃せない。この先に待ち構える統一GⅠ戦線では、それらとの再戦も予想されているだけに、真価はそこで問われることになる。 4馬身離された2着には、4角手前でウィリアムバローズを交わしたメイショウハリオが入った。2周目向正面で動いたものの、ウィルソンテソーロとの手応えの差は歴然で、追いつける雰囲気はなかった走り。ただし内を捌いた相手に対して大外を回ったため、着差ほど力の差があったともいえない。それでも1つハッキリいえるのは、海外遠征で崩れたリズムは取り戻せたということ。今回の差が逆転不可とは、思わない方がいいだろう。 3着には園田から参戦したキリンジが喰い込んだ。中央から転入後は独特なスローな展開に力を出せていなかったが、ここなら力を出せる流れになる。497キロと中央時代の馬体重に戻したことも奏功し、大外から良い脚を使って伸びてきた。相手が強くなった方が力を出せる馬で、今後もそういう舞台を求めた方がいい。その中でまだ手にしていない統一グレードのタイトルを手にするチャンスも、きっとあるはずだ。 道営から参戦して4着だったシルトプレは、最後に追い込んできた脚は見どころがあったが、さすがに道中後ろ過ぎた。積極的に統一グレードに参戦する姿勢は認めるが、いつも必要以上に後ろに構え、追い込んで届かずというレースばかりを見ている気がする。戦い方1つで今回以上の結果を手にできる底力は、あると思うのだが・・・。 今年の佐賀記念を勝って注目されたノットゥルノは、勝負所から反応がなく5着。昨年のこの舞台で逃げの手に出て以降、結果を出しているのは逃げるか、早目に抜け出す競馬ができた時。好位で構えて抜け出す力は、もうないのかもしれない。 そして逃げたウィリアムバローズは、ウィルソンテソーロに交わされてから粘れず6着。前走日本TV盃は勝負所から後続を突き放せたが、今回は突き放す前につかまってはひとたまりもない。マークされる展開で押し切る力は、まだなかったということだ。 <統一GⅠ3連戦は、偶然にも・・・> 佐賀で行われた統一GⅠ3連戦は、偶然にも3戦とも1番人気と4番人気の馬による決着となった。4番人気になって結果を残した3頭は、近況(特に前走)の内容が良くなかったとみられて評価を落とした実力馬。しかしメンバー構成や舞台が変わったことで、地力を発揮して巻き返したものだった。JBC各競走は人気馬総崩れとなるケースは少ないものの、1-2番人気で決まるケースは思っているより多くない。それを来年以降に向けて、見る側の教訓として記憶しておきたいものである。 (詳細なレース結果は地方競馬全国協会のオフィシャルサイト等で確認してください)

公明、裏金議員を推薦で議席減&萩生田にも協力。自民離れの勧め+ガザ復興支援を+渡辺明

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2024-11-03 11:00:00 - これは11月3日、2本めの記事です。 東日本大震災、熊本、能登の大震災をはじめ全国の自然災害の被災地の方々へ 早期復興を願うと共に、前向きにガンバです。o(^-^)o また、阪神淡路大震災を含め、被災地だけでなく全国の人々が、各地の被害、経験、情報などを風化させず、今後の災害の予防、対策に活かすようにして行きましょう!(・・) よろしければ、1日1回、2つのランキングの応援クリックをしてくださいませ。m(__)m 【*1、*2などの関連記事は、記事の最後にあるMoreの部分にあります。】 【将棋・・・将棋の渡辺明九段(40)が紫綬褒章を受章した。(*^^)v祝 長年にわたり学術や芸術上の発明、改良、創作に関して事績の著しい者に授与されるもので、将棋界では18年に紫綬褒章を受章した羽生善治九段以来16人め、歴代で史上最年少での受章となった。<本人も「想像していないこと。自分はその年齢ではない」と驚いていた。> 渡辺九段は加藤、谷川、羽生に続く中学生棋士として00年4月にデビュー。04年の第17期竜王戦で初タイトル獲得後、通算31期(竜王11、名人3、王座1、棋王10、王将5、棋聖1)ものタイトルを獲得している。<羽生の99期、大山の80期、中原の64に次ぐ第4位の記録。> 将棋の対局だけでなく、早くからブログ、ツイッターなどネット発信を開始。妻は漫画家の伊奈めぐみさんが、渡辺九段を主人公にした「将棋の渡辺くん」も面白い。(将棋の対局の感想、ユニークな私生活などが描かれている。) かつて将棋に興じていたmewが、久々に将棋を見るようになったのも、(競馬好きの)渡辺明棋士のブログを見た&ネットで簡単に棋譜を見られると知ったのがきっかけだ。 渡辺九段には、今後も色々な形で将棋界に貢献して欲しいのだが。願わくば藤井七冠から、タイトル奪還(特に竜王の奪還)をして欲しい。o(^-^)o】 * * * * * これは10月29日の『自民に執行部の責任論&国民党と接触+公明は代表が辞任+立民も国維に協力要請か』の関連記事になるのだが・・・。 今回の衆院選では、自民党だけでなく、公明党も議席を減らした。32議席から24議席と8議席も減少。比例得票数も711万票から596万票に低下した。 10月に新代表に就任したばかりの石井啓一氏や副代表の佐藤茂樹氏などの執行部も小選挙区で落選。石井氏は代表辞任の意向を発表した。^^; 新代表は、結局、ベテランの斎藤国交大臣を充てることに決めたという。(・・) <温厚な性格で知られ、個人的には支持。ちなみに前国交大臣で代表になった石井氏東大工学部の建築学科出身だったのだが。斎藤氏は東工大卒で大学院に進み、応用物理学系で工学博士を取得。何かそんな風に見えないけど。宇宙物理学とかに詳しいらしい。^^;> 公明党が議席を減らした要因の一つは、小選挙区の候補者が重複比例にしなかったこと。気概を示すためだったのかも知れないが、接戦になった選挙区が多かっただけに、失敗だったように思う。 支持母体である創価学会の会員が、高齢化していることも影響したと言われている。 また、「政治とカネ」の問題を抱えた自民党と一線を画すことなく、選挙に臨んだことも、悪影響を与えたのではないかと察する。 公明党は、自民党のパー券裏金不記載やお金に執着した党運営を批判していたのだが。結局、政治資金規正法の改正では、当初の主張からかなり妥協して、自民党の提案を飲むような法案を作ってしまった。 また、衆院選では、自民党からの選挙協力を得たいがために、自民党が公認しなかった裏金不記載議員にまで推薦を出して支援し、不信感を買った。(-"-) この自民党の裏金不記載議員への推薦は、支援者の間でも疑問の声が出ていたとか。創価学会の会員でない人でも、会員に頼まれて(or自主的に)比例投票するケースも少なからずあるのだが。今回は、そのような投票も得られなかったのではないかと察する。^^; ちなみに、東京24区では事前の調査では立民党の有田芳生氏が自民党所属も非公認の萩生田光一氏がリードしていたのだが。選挙日が近づくにつれ萩生田氏が追い上げ、本番で7千票差で逆転されることになった。^^; 八王子は、創価学会の聖地と言われ、公明党にとっても大事な地域。初代会長を記念して建てられた東京牧口記念会館、創価が大学などの重要な施設があるからだ。 それまでは萩生田氏を支援し、ウィンウィンの関係にあったのだが、萩生田氏が八王子の旧統一教会と関わりがあったことが発覚。また、都内の選挙区争いで対立したこともあり、都自民党や萩生田氏は支援しないことに決めていたのだ。 ところが、いくつかの記事によれば、公明党にパイプがある自民党の議員(菅義偉氏などか)が萩生田氏の支援を要請。有田氏がかつて創価学会を批判をしていたという話が出たこと、八王子との関わりが少ないことなどを理由に、4万票あった学会票の半分以上が萩生田氏に回ったと言われていた。^^; 先週、何となくネットを見てたら、東京24区の出口調査のグラフを見る機会が。何と公明党支持層の69%も萩生田氏に投票していたとわかり、「やられた~」と思ってしまった。(>_<)<これは知人の邪推だけど、旧統一教会の会員も、同教会を批判しまくった有田氏を落とすために、萩生田氏に投票したかも。^^;> こういうことをやっていると、公明党は党の内外で、どんどん信用を失ってしまうのではないだろうか。(@@) 2000年に自自公連立政権ができて、来年で25年。公明党は、もう自民党との連立政権の利益・権限のうまみに慣れてしまったところがあるかも知れないのだが・・・・ 公明党は、本当は憲法改正や軍事強化に慎重な人も多いのに、積極的な協力を求められるようになっている今日この頃、そろそろ自民党から離れて、平和・リベラル志向の政党として立民党などと協力することを考えてもいいのではないかと、チョット提案してみたいmewなのである。(++) * * * * * 話は変わるが、最後に・・・。イスラエル軍がハマス征伐のため、パレスチナ自治区のガサ地区に侵攻を始めて1年が立った。 イスラエルはハマス征伐や人質救出を大義名分に、こどもを含めて4万人以上の民間人を殺しているわけで。ともかく1日も早く停戦を行ない、民間人に安心して暮らせる&飲食品や医療が供えられた場所を提供にできるようにして欲しい。(・・) これは、先月の報道記事になるのだが。岩屋外務大臣が、パレスチナ自治区の首相との電話会談でガザ地区の復興に役割を果たすと語ったという。 『岩屋毅外相は24日、パレスチナ自治政府のムハンマド・ムスタファ首相兼外相と電話会談し、パレスチナ自治区ガザで続くイスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘停止の重要性を強調した上で、今後の復旧・復興の段階で日本として役割を果たす決意だと伝えた。 ムスタファ氏は「中東和平に対する日本の強いコミットメント(関与)を高く評価する」と述べ、両氏は引き続き連携を図ることで一致した。(時事通信24年10月24日)』 これはどの党の誰が首相の政権であれ、イスラエルのガザ侵攻、ロシアのウクライナ侵攻を止めるべく、政府として努力して欲しいと思うし。ガザ地区やウクライナの復興に関して、日本らしい形でしっかりと支援をして欲しいと願っているmewなのだった。(@_@。 THANKS 【下の2つのランキングに参加しています。できれば、2つともクリックして頂けると、有難いです。組織票は全くなく、記事を読んで下さる方々だけが頼りなので、よろしくお願いします。m(__)m】 ↑もう1クリックが、ブログを続けるエネルギー源に"^_^"

Prime Video Boxing 10

https://uzomuzo7.exblog.jp/243218657/
2024-10-15 10:00:00 - おおお!!! 中谷潤人はやっぱし強かった。 でもペッチもよう頑張ったな。 久々に熱い試合やったわぁぁあと那須川天心も、初タイトル取れてとりあえずヨカッタねしかし今の実力では、中谷の前のセミファイナル張るんは早かったか。 まぁソコは天心のせいちゃうけど。ただ相手のアシロの方が、若くて伸びしろのあるエエ選手に見えたりしたんだよなぁ9Rのアシロのダウンも、なーんかスリップぽかったし。けど「大谷翔平ばっかでみんな飽きちゃわないですか?」とかってビッグマウスは止めとこーや。 痛いぞそれも天下無双の ” オオタニサ―ン ” を捉まえてってどうよ? それは五億年早いなボーズww気ぃ付けな亀田みたいになってまうで。 ワシ一応、キミを応援してるんやからガッカリさせんとってや。、

ドジャース、藤井七冠先勝、マリブオレンジ新馬戦快勝

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2024-10-07 10:00:00 - MLBポストシーズンも地区優勝決定シリーズに突入、いよいよドジャースが登場、大谷翔平にとって初のポストシーズンスタートである。対戦相手はナ・リーグ西地区で優勝を争ったパドレス、地区2位ではあるが、対戦成績では8勝5敗とドジャースに勝ち越しているチームである。ドジャースの先発は山本由伸であったが、初回にいきなりマチャードに一発を浴びるなど3失点をする苦しい立ち上がりとなった。一方のパドレスの先発はシース、こちらはランナーは出したが無失点におさえるまずまずのピッチングであった。2回にはいると、山本は三者凡退にパドレス打線を打ち取ったが、シースは逆にドジャース打線につかまってしまった。四球、安打で無死1、2塁とされると2打者は打ち取ったものの打席には大谷翔平、どんな投球をするのか注目であった。2-1からの4球目、真ん中やや高めにきたストレートを強振、代休は一直線にライトスタンドに吸い込まれていった。ポストシーズン初のホームランはドジャースが同点に追いつく貴重な3ランホームランであった。同点に追いついてもらった山本由伸、いきなり2塁打を打たれてしまったが、続く打者を凡打に打ち取り二死とした。このまま無失点におさえるかと思えたが四球をだしてしまったのが痛かった。これで二死1、2塁、ボガーツにタイムリーを打たれて2失点、3-5とされてしまった。しかしドジャースも4回、一死から連打で1、2塁としシーツを降板させると大谷翔平が左腕モレーホンから中前ヒットを放って無死満塁のチャンスをつくった。ベッツの打席でワイルドピッチがあり、4-5と1点差にせまると、なお二死満塁からテオスカー・ヘルナンデスが中前にタイムリーを放って一気に逆転、6-5とした。継投にはいったドジャースはブレイシア、ベシア、フィリップス、コーペックがパドレス打線を無失点におさえていき、最後はトライネンが二死1、2塁とされながらマチャードを空振り三振に打ち取り7-5で先勝した。昨年の地区優勝決定シリーズではDバックスに3連敗してしまっただけに久々のポストシーズン勝利であった。将棋の第37期竜王戦七番勝負第1局が東京渋谷のセルリアンタワー能楽堂で行われた。藤井聡太七冠に佐々木勇気八段が挑戦する今期の竜王戦、藤井七冠が勝利するか、佐々木八段が初タイトルを獲得するのか注目であった。第1局は藤井七冠の先手番ではじまり、「角換わり」の戦型の中、互角の戦いが続いていったが徐々に藤井七冠がリードする展開となり117手で勝利し幸先のよい1勝目をあげた。注目の第2局は10月19、20日の両日、福井県屈指の温泉街としてしられる芦原温泉で行われる予定である。このまま藤井七冠が連勝してリードを拡げるか、佐々木八段が雪辱して対戦成績を五分に戻すか注目だ。日曜日の東京競馬場第3レース、2歳新馬戦に福永祐一調教師が期待するマリブオレンジが出走した。スタートで好位をキープすると最後の直線ではポッカリと空いたインをつきトップにてって勝利をおさめた。「自分がオーナーに買ってもらった馬なので、しっかり勝利を挙げることができて良かったです。短距離志向が強いので距離が持つような調整過程を踏んできました。リクエスト通りの騎乗で、しかも勝ってくれたので言うことがないです」とは福永調教師のレース後のコメント、どんな競走馬となっていくのか楽しみである。参考URL → 熱戦制してドジャースが先勝参考URL → パドレス5-7ドジャース参考URL → 大谷翔平、PS初アーチ・写真転載サイト参考URL → 4連覇目指す藤井七冠が佐々木八段に勝利参考URL → 藤井聡太竜王、最高峰タイトル防衛へ好発進参考URL → マリブオレンジが〝先〟を見据えた競馬で初陣V・写真転載サイト

「Road to JBC」in大井 「レディスプレリュード」全頭解説(2024年10月1日 20:10発走)

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2024-10-01 10:00:00 - 当初は見どころのみ掲載する予定でしたが、小頭数になったことと、各馬詳細に解説したい組み合わせになったため、急遽全頭解説を行います。 大井競馬11レース「第21回 レディスプレリュード」(古馬牝馬・JpnⅡ・1800m) マリーンCが3歳限定として秋に移行した関係で、この競走は実質的に4歳以上の争いに、今後もなっていくだろう。しかし一方で先週のマリーンCが6頭立てで、この競走は7頭立て。一緒に行える頭数になったことで必要だったのかの声も出てきそうだが、実態は地方勢の参戦意欲が欠けていること。地方所属馬が多くこういう舞台に出てくることは、レースのステイタス向上のために必要ではないだろうか。 <全頭解説>(1)番 ラブラブパイロ(大井)突拍子もない所で動いたり、勝負所でズルズル下がったりと、とにかく気分屋。それでも主戦の西啓太騎手が根気よく向き合う中で、2走前のノークスイーンCを向正面まくりで重賞初制覇を果たした。統一グレードは昨年のJBCレディスクラシック8着以来だが、当時の手綱は他の騎手。気分を乗せられれば、慌てさせるシーンを作れるかもしれない。 (2)番 アンティキティラ(高知)全国各地の重賞を渡り歩き、ここまで挙げた重賞5勝は全て遠征競馬でのもの。特に2走前の読売レディス杯でハクサンアマゾネスを抑えて逃げ切った走りは、地方馬同士なら相当の地力があることを示している。ただし過去3度出走した統一グレードは、全て後方のまま大敗。先行できるかどうかが、最初のハードルといえるだろう。 (3)番 グランブリッジ(中央)今回で15戦連続となる統一グレード出走で、過去14戦は全て4着以内。特にこの1年は牡馬相手の舞台にも立ち、川崎記念2着に帝王賞4着と、統一GⅠでも結果を残してきた。その一方で勝利は昨年3月のエンプレス杯を最後になく、勝つ味を忘れているのが気になるところ。牝馬同士に戻る今回、それを取り戻すことができるだろうか。 (4)番 ライオットガール(中央)牡馬相手にレパードSを制したのをきっかけに、約1年で統一グレード3勝。ただ負ける時はアッサリ負ける傾向もあり、統一グレードで敗れた5戦中3戦は、勝ち馬から1秒以上離されていた。その要因の1つと考えられるのが、馬体中の増減が激しいこと。結果が出ている470キロ近辺で出てくるのか、まずはそこに注目したい。 (5)番 アイコンテーラー(中央)ダート3戦目で昨年のJBCレディスクラシックを制した時は、一気に路線の牽引役を担うと思われたが、その後未勝利。特にエンプレス杯で絶好の2番手でレースを進めながら、逃げたオーサムリザルトにねじ伏せられた1戦の内容が良くない。今回は頂点を極めた舞台に戻るけれど、あの負け方から巻き返せるのか不安を感じるのも確かだ。 (6)番 ヴィヴラフォン(中央)特設の中央地方交流重賞として行われた神奈川記念で初タイトルを獲得すると、同じ舞台だったスパーキングレディーCでも、先行馬総崩れの中で3着。川崎のマイルで結果を残す一方で、兵庫女王盃が見せ場なく5着に終わったことから、距離や豪州産の砂に対する不安はある。それを払拭できる走りができるか、試金石の1戦と捉えている。 (7)番 アーテルアストレア(大井)前走スパーキングレディーCに象徴されるように、前が速い流れを後方で脚を溜め、直線で逆転するのが勝ちパターン。ただ前が残る落ち着いた流れになると、宝の持ち腐れになる傾向もある。小頭数になった今回、意外と戦いにくい立場に置かれた印象もあり、昨年このレースで初タイトルをもたらした武豊騎手がどんな策を取るだろうか。 (詳細な出走表は地方競馬全国協会のオフィシャルサイト等で確認してください) 明日2日に行われるジャパンダートクラシックについても、全頭解説の記事を掲載します。
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