岩室
岩室塾 | 原 高史 | Takafumi Hara | ブログ | Blog
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雪割草「岩室の月」 | 佐渡Photoカフェ
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ハイ!ピース! | おかみの小悪魔日記
http://oceatubuyaki.blog.fc2.com/blog-entry-181.html岩室です!!
岩室温泉の宿 | 格安 旅行へ行くなら
http://tabi2005.blog35.fc2.com/blog-entry-8375.html★岩室温泉の宿はこちら★
ゆめや - 新潟県・岩室温泉 | coyado にっぽんの小さなお宿
http://coyado.blog56.fc2.com/blog-entry-50.html新潟 長岡・燕三条・柏崎・弥彦・岩室・寺泊の旅行
https://sagasitemasu.seesaa.net/article/Nagaoka-Tsubamesanjo-Kashiwazaki-Yahiko-Iwamuro-Teradomari.html1970-01-01 01:00:00 - 長岡・燕三条・柏崎・弥彦・岩室・寺泊の旅行
新潟の旅行
https://sagasitemasu.seesaa.net/article/niigata.html1970-01-01 01:00:00 - 新潟の旅行
ラ・ビステッカのランチ
http://iimono1956.seesaa.net/article/454695363.html2025-11-06 11:52:00 - 念願のラ・ビステッカへランチ食べに行きました。赤身 150gです。焼き具合はミディアム。結構あります。食後、ドリンクがあります。肉はカットしていただけます。柔らかくジューシー!美味い!..
La Bistecca(ラ・ビステッカ) 岩室にステーキハウス 3/18オープン
http://iimono1956.seesaa.net/article/435052131.html2025-03-17 03:17:00 - La Bistecca(ラ・ビステッカ) 岩室にステーキハウス いよいよ3/18オープン待ち遠しいですな。結構高そうだが手頃なメニューもあるみたい。カフェもあるしケーキも食べれ..
La Bistecca(ラ・ビステッカ) 岩室にステーキハウス誕生
http://iimono1956.seesaa.net/article/434592965.html2025-03-05 03:42:00 - 岩室にステーキハウス誕生!下記の通りです。ぜひ行きたい!3月18日(金) 「La Bistecca(ラ・ビステッカ)」 OPEN 住所〒953..
夕食はさばみそ定食か肉汁ハンバーグ定食新潟岩室富士屋 宿泊プラン残空室予約旅館ホテル温泉旅行
http://syukuhakupuranyoyaku.seesaa.net/article/430163319.html1970-01-01 01:00:00 - 宿泊プラン残空室予約旅館ホテル温泉旅行です。新潟岩室富士屋。1泊2食付き。夕食は、「ごはんバー田」での定食 18:00〜22:00までお食事OKです。こっくり味がしみ込んだ「さばみそ定食」かジ..
岩室
http://nipponmukasihanasi.seesaa.net/article/414772474.html2025-02-27 02:50:00 - お杉とお松の伊勢参り
嵐の湯 岩室
http://ninoninoniino.seesaa.net/article/341938749.html2025-04-13 04:45:00 - 嵐の湯 岩室などのお笑い動画はお笑い動画まとめ 全部Rにあります!題が発覚してから板東の番組出演を見合わせ、収録分に関しては、板東の出演部分をカットして対応していた。“顔”を格付けする『よしもと男前ブ..
岩室 英語学習
http://kjef121704.seesaa.net/article/308834944.html2025-08-17 08:06:00 - 岩室 英語学習ならいい英語学習教材があります。ブレインラーニング。オウム真理教信者の洗脳を解く仕事をした、苫米地英人さんが作っています。なぜいいのか??の詳細はこちらからご確認下さい。脳のスペシャリス..
岩室 副業
http://kjef121703.seesaa.net/article/308819289.html2025-11-20 11:22:00 - 岩室 副業なら家でも旅行先でもパソコン1台でできるアフィリエイトという副業があります。私はここで月30万以上稼いでいます。5万、10万くらいならうじゃうじゃいますよ。きっちり学び頑張った人だけがきっち..
岩室 アフィリエイト
http://kjef121701.seesaa.net/article/308811330.html2025-04-13 04:37:00 - 岩室 アフィリエイトなら日本中、海外から1000名弱が参加しているアフィリエイト塾があります。インターネット塾に場所は関係ありません。こちら私もこの中でアフィリエイトで月30万以上稼いでいるのでおすす..
岩室温泉から多宝山経由弥彦山往復
https://taichi.exblog.jp/30581028/2025-01-19 01:00:00 - 2025.1.18(土)弥彦山へ岩室温泉地区石瀬神社から多宝山経由で往復しました。街の奥にある神社の近くに車を止めて歩き始める。8:30 杉林のなかの空き地に止めた。8:36 杉林の中に入口の標識があり石瀬峠まで上がる。9:41 雪は固く締まっており、坂では滑るので簡易アイゼンを着ける。10:35 多宝山着 山頂には気象庁気象レーダー観測所がある。 レーダー前の広場では休息しているグループがいた。 山頂からは佐渡島が見える。 これから向かう弥彦山と電波塔群 多宝山と弥彦山の中間には大平園地がある。 園地にはこんな看板があった。 11:20 弥彦山ロープウエー乗り場11:19 山頂には弥彦神社奥社がある。 山頂からの寺泊方向 山頂で昼と思ったが風が出てきたのでレストランまで下がる。 レストラン前の階段で昼飯をとる。 このレストランは閉まっており、自販機も一台しか稼働していなかった。 登山者は雪の準備をしているが、ロープウエーで上がってきた一般観光客 は休む場所がない状態であった。 今日はまあまあの天気だが、これが風や雪の場合は大変である。 不親切な弥彦山だなと思った次第です。 観光客の作品14:30 下山本年始めての山ですっかり疲れてしまいました。今年もこんな調子でゆっくり登山と行きたいと思います。
遠江一宮小國神社の謎 4
https://chicchic88.exblog.jp/34400947/2025-01-10 01:00:00 - 小國神社敷地内にある陶芸工房とギャラリー。この辺りの特殊な土で作られた焼き物は、森山焼と呼ばれる。昔、森山焼がアトピーに良いとか聞いたような…。■ ダンノダイラと大平(オイダイラ)出雲口伝によると、出雲に火明命(徐福)がやってきて、物部と出雲族の融合で磯城王朝が起こり、出雲族の聖地だった三輪山に信仰形態が作られた。それが大神神社。出雲族の領地を取ろうとして、吉備の王に成り下がってしまったフトニ大王(9代孝霊天皇)の後、ヤマトの王となったのはクニクル大王(8代孝元天皇)で、クニクル大王と富家の娘・クニアレ姫(正室)の子供が大彦・オオヒビ(9代開化天皇)・百襲姫。大彦は物部勢力と最後まで対抗し、北に退却し、物部勢は尾張家もヤマトから追い出し、尾張家は伊勢湾北部に移住した。尾張家と分かれた海家は先祖の地・丹波に去った。クニクル大王は物部勢力と妥協し、物部氏の娘・ウツシコメを妃(側室)として迎え、争乱を収めようとした。古代の政治体制は「王・巫女制」と言われ、神祭りの司祭者である姫巫女(ひめみこ)が王と組んで、民衆の支持を集めた。大彦が去った後、オオヒビが王、百襲姫が巫女。三輪山と含む磯城地方の領主は、登美家の9代目・オオタタネコ(太田田根子)で、彼がモモソ姫の世話をした。巫女のいない物部勢は、ヤマトの民衆には支持されず、磯城王朝に飲み込まれてしまった。物部勢は、「星の神・カカセオ」を祭ったが、人気が出なかった。大神神社的パターンは大宮氷川神社にも踏襲されていて、山だけではなく、沼も信仰されていたことが分かる。見沼だったり、三輪山=御諸山、三室と漢字や音が変化していて、血沼=茅渟で、血は赤く、鉄を取っていたらしい。元々、三輪山のダンノダイラでは、出雲族が朝日を拝んでいた。それはエジプトのアペプの信仰とも重なる。夜の闇に勝って朝日が昇ることを喜んだ。出雲族は銅鐸といい、エジプト由来が多い。セグロウミヘビも中東魔術のセグロトから。黒速など、黒も出雲族。大黒天(→大国主)は大いなる黒。火明命の「明」はエジプトの「アケト」のことではないかと思う。「明」は「別」になったのでは?と。山の股から生まれた太陽が、ホルス。太陽神の子供という意味だったのでは?ダンノダイラには磐座もあり、「ダン」はイスラエルの失われた10支族のダン族とも繋がってくるらしい。埼玉のデーノタメ遺跡も「ダン族の溜池」的な名前だと思う。開聞岳(かいもんだけ)→枚聞神社(ひらききじんじゃ)→枚方市(ひらかたし)→枚岡神社(ひらおかじんじゃ・河内国一之宮)の「ヒラ」も「平(タイラ)→ヒラ」で、ダン族な感じがする。ダイダラボッチもダン族を思わせる名前で、八束水臣津野命とダイダラボッチの神話が重なる。ダンは「大・ダイ」かもしれないと思う。「大」はエジプトの壁画に星として描かれている。遠江には大平(オイダイラ)という地名がある。磯城の民(葛城和邇氏)がいたのでは?と先日書いた敷地の隣にある大平。浜北区にある大平(オイダイラ)。どちらも小高い丘にあり、三輪山のダンノダイラと同じ、朝日を拝んでいたのでは?と思わせる。エジプトでは、夜の間、太陽の船の運行を邪魔するラーの敵、アペプ(アポピス・悪い大蛇)との戦いが起こっていて、無事打ち勝って朝を迎えられることを喜んだ。なので、日の入りが始まり。アペプは日食を起こすと考えられ、冥界に捕えられており、ここを死者の魂が通ると襲う。死者の書は、アポピスから身を守る方法が描かれている。ラーの乗る太陽の船が通過する時にセトが船を守りアポピスを打ち倒すため、天敵といわれたが、時代が下るとセトと同一視された。セトはルシファーで香香背男?ダン族は大氏(多氏)になったのかもしれない。大宮氷川神社の「大宮=大三輪」?氷川はエジプトのヘカウ。大宮氷川神社と太陽のレイラインになっている氷川女體神社には見沼があって、船で沼に出て祈ったそうな。遠江には桶ヶ谷沼がある、というか、昔はあの辺りはほとんどが沼だったのでは?と思う。古地図を見ると分かる。桶ヶ谷沼がトンボの里というのは、秋津(トンボの古名)にちなんでいるのでは?と思う。速秋津姫(潮の八百会子)は住吉系で、天津彦根(タタキネ・天御陰命の父)の母。秋は竜田姫(→タタ姫)、対する春は春日の佐保姫。ハルタミ=製鉄技術を持ったエラム人→ケルト人?秋は海の民。ポリネシア人?フェニキア人?シュメール人?タタヒコは阿田都久志尼命。ツミハ+ミシマ→ワニヒコ+オオタ(甕)。美濃には古代、巨大な沼があって、それが美濃焼きに関係しているそうな。その古代沼のおかげで奇跡の土と言われているらしい。美濃・茅渟、濃・奴・怒・能・野→角?加羅国の王子・都怒我阿羅斯等。天穂日命の末裔で土師氏の野見宿禰。中山道を開いた美濃の国守は金山彦。閏月担当の瓜生姫ナカコ、天津国玉神の父。瓜→梨。岩屋岩蔭遺跡。木内鶴彦さん曰く、ピラミッドを作った人たち。日夜見(陰陽師)は、八意思兼命→天手力雄命→天二上命(天村雲命)と引き継がれた。陰陽道はエジプトから。天村雲命は、コヤネから祭の文(天文)を与えられ、イセの神教人を受け嗣いだ。天津国玉神→遠淡海國魂神社、武蔵大國魂神社。国魂神社や、國玉神社、國魂神社で検索したら、やはり、というような場所にある。子供が天稚彦、大倉姫(アユミテル姫・下照姫/仕立てる姫→小倉百人一首)。天稚彦はアジスキタカヒコネとそっくりだったとか。ということは同族(倭人)。「ワカ」はマオリ族のカヌー。ワカヒトは天照神、ワカヒコは天児屋根命、どちらもワカの民(火山の民)。オオヤマズミの娘・木花咲耶姫の三つ子の末裔。八束水臣津野命を調べると須我神社に繋がる。須我神社:島根県大原郡大東町須賀祭神・須佐之男命、奇稲田比売命、清之湯山主三名狭漏彦八島野命肥河上で八俣遠呂智を退治せられた速須佐之男命は、宮造るべき所を求めて此処出雲国須賀の地においでになり「吾此地に来まして我が心須賀須賀し」と仰せになって此地に宮殿を御造りになり、”八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を” の御歌を御詠みになりました。この宮居で、清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと) がお生まれになり、それから八束水臣津野命(国引の神)につながり、さらに大国主命(出雲大社)へとつながっていきます。須我山(御堂山八雲山)の山ふところには巨岩の夫婦岩(磐座)並びに小祠があり、須我神社奥宮として祭祀信仰されています。静岡県藤枝市にも大東町がある。元は小笠郡だったらしい。大井川の河口付近。掛川市の横須賀も小笠郡だったらしい。結構遠いけど…。掛川市ー菊川市ー島田市ー藤枝市の順番。小笠→笠縫等の祖は天津真浦。木花咲耶姫と磐長姫の父。真浦は麻占で温羅と同族だったかも?藤枝は孝霊天皇が田子ノ浦の民から藤の花を受け取った場所か?ホツマツタヱでは、孝霊天皇が田子ノ浦の民から藤の花を受け取ったので、フシの山と名付けたとされる。FujiはFijiから来ていると思う。ポリネシア系の民が来て、名前が変わったのか。ソウルの仁寿峰は児どもを背負った形状だということで、負児岳と呼ばれるらしい。出雲の美保神社と静岡の御穗神社で繋がり、美保神社の本来の御祭神は御穂須須美命と言われ、火進命(海幸彦)と音も近く、火進命の斎名がサクラギ、別名、シラヒゲ守またはスセリ。スセリ姫とも繋がる。高木神の娘・三穂津姫とクシヒコ(大国主・ヱビス)の子が子守尊で、この神が御穂須須美命かもしれない。前回、森町にある小國神社は子守尊の宮では?と書いた。ホツマツタヱでは、火進命がスセリ姫を娶り、ウツヒコを生んだ。ニニキネがミヅホに都を遷すと、ニハリ宮にいたホノススミはウカワ宮に移った。スセリ(シラヒゲ草)によってカニ(カニ/兼のクサ/曲・寄生虫症)を治し、十四鈴という長寿を得た。■ 応神系は磯城葛城和邇氏神八井耳命=大彦、神渟名川耳尊=武渟川別ではないかと思っている。記紀は、端折りながらもその民の歴史を伝えているのでは?と思う。神八井耳命(多臣の始祖)イホのトミ・斎の臣・イホミ・斎臣・ミシリツヒコ(身知りつ彦)。尾張上古の丹羽臣の祖。神八井耳命は十市県に住んだと言う。十市=多。十市=遠伊智ではないかと思う。「十市=遠呂智」かもしれない。アペプ、ダン族。神渟名川耳尊(2代綏靖天皇)ヤスタレ(和誰・安河)で生まれたので、ヤスキネ。ミワの神を、代々のスメラギの守りとして九月十一日に祭らせ、クシネにオオミワの姓を賜った。ウサマロにミカサの姓を賜り、カダキ(葛城)タカオカ宮を都とした。武渟川別は東海に行った。袋井には、ヤマハリゾート葛城ホテル北の丸がある。浜松の企業・ヤマハは葉山さんの会社で、駿河国総社静岡浅間神社の麓山神社を思う。音楽(ポプコン)といい、サッカー(元々ヤマハが強かった)といい、文化を広める特別な役割のある会社なのでは?と思う。掛川には加茂荘花鳥園。葛城加茂族の拠点?尾張系が分かれて、崇神系と応神系(磯城系葛城和邇氏)になったと言う。襲津彦は、葛城氏の始祖と言われる。いくつもの王朝が並立していた時代。天白信仰を伝えたと思われる愛智神話では、龍と蛇が虎になったという。龍は豊玉姫(宇佐)、蛇は出雲(背黒海蛇)が虎(信貴山毘沙門天)。磯城→新羅→信貴→色→白→シリア(アブラハムの妻・サラ)。信貴山は生駒山にあり、聖徳太子が物部守屋討伐のために祈った。信貴山の別院が浜松にある。安房忌部系図では、天日鷲命(天日別命)と言苫比賣命(→己等乃麻知比売命)の子が、大麻比古命(津咋見命/津杭耳命)、天白羽鳥命(長白羽命)、天羽雷雄命(武羽槌命)に別れたとされる。天白羽鳥命(長白羽命)が天白信仰の民のことかと思う。天白信仰は尾張から始まり、白頭山・白山などにも名前を残し、織物技術と共に各地に伝えながら、東北ではおしら様となった。磯城系は新羅系でもあって、そこから出た有間皇子がローマに行き、子孫が初代ローマ皇帝となったと言う。藤原は百済系(ペクチャ→ペルシャ)。新羅は新しいローマ。元は徐羅伐(ソラボル)と言ったとか。徐=ソ→蘇・須・素。徐福がスサノオだというのはここからかと思う。遠江では、磯城と名前が近い地名に敷地(獅子ヶ鼻公園)、敷智郡(ふちぐん・賀茂真淵の家・賀茂神社)がある。敷地の方は岩室という地名で、獅子ヶ鼻と呼ばれる奇岩が御神体だったと分かる。昔は猪ヶ鼻だったとも言われる。小國神社にも近く、小國神社奥宮は虫生にある。鉱泉が出て、山が御神体というより、その地域一帯がパワースポットだったのでは?と思う。蟻の背渡りなどもあり、修験の場でもあったらしい。元光明山頂には鏡岩があったようで、海から灯台のように見えたと言う。船乗りに信仰されたらしい。その地域を鏡山という。鏡を造る技術を持った人たちが住んでいた。ミラー、ミイラ、ミルラ(没薬)、フェニキアの姫ミュラー、トルコの古代都市ミラ、太田命の娘・美良姫。櫛甕魂命/櫛御方命/天日方奇日方命/ワニヒコの奥さん。阿田都久志尼命/タタヒコの母。八幡系(磯城系葛城和邇氏)の話だと思われるホムツワケ(誉津別命・彦坐王の娘の狭穂毘売命と垂仁天皇の子)の神話では「市師池」と「軽池」に「尾張の相津の木で作った二俣小舟に乗せられて遊んだ」とされ、天竜川の相津マリーナや、二俣の天竜杉の事だと思われる。「市師池」の「市」は、天児屋命の父・市千魂命(ヰチヂ・春日殿)の市で、「師」は御諸山の諸。諸=オロ(オロチョン族)かもしれない。ヰチヂの「チチ」はアシナヅチ(足名椎/足名鈇/脚摩乳)・テナヅチ(手名椎/手摩乳)やスジャータ(お釈迦様が飲んだ)の乳でもあって、乳=椎=鈇。椎が付くのは椎根津彦(珍彦/火進命とスセリ姫の子/武位起命の子/隼人の祖)。「軽池」は「食国・ケクニ」を思わせる。木梨軽皇子、軽皇子=孝徳天皇・文武天皇。カール大帝の名前は、ローマに行った有間皇子の父、孝徳天皇の諱から。ホムツワケは品津別皇子で、品=仏でフツヌシにも繋がる。スサノオも、アジスキタカヒコネも、ヤマトタケルも、ホムツワケも暴れん坊とされていて、これらの存在は八幡系だと言いたいのだろう。応神天皇の第五皇子・稚野毛二派皇子(二俣王)の名前に、椎ヶ脇神社を思う。平安時代、磐田市には国府が置かれ、桜井王が歌った歌が残される。桜井王は欽明天皇と妃蘇我堅塩媛の第六皇子・桜井皇子のことだと思われる。桜井之玄王(さくらいのゆみはりのみこ)とも。蘇我堅塩媛の名前からは、3代安寧天皇の片塩浮孔宮や天桅弓との関連が示唆される。桜井王の名前は大神神社のある桜井市やサクラギ(火進命・海幸彦)にも繋がる。桜井市の名前のルーツは桜井という井戸にある。有間皇子は孝徳天皇と妃の小足媛(阿倍倉梯麻呂の娘)の皇子で、父が有間温湯で療養していたときに生まれたからと言う。阿倍倉梯麻呂(阿倍内麻呂)の父は阿倍鳥。倉梯は大和国十市郡の地名(現在の奈良県桜井市倉橋)を示す。 有間皇子が初代ローマ皇帝の祖だと言われていたりする。有間皇子は、フランスのアルザスへ渡り、ピピン2世となりフランク王国の宮宰を務めた。ピピン2世の庶子がカール・マルテルで、イスラム軍からヨーロッパのキリスト教世界を守った。その子供のピピン3世がカロリング(カールの)朝を開いた。その子供がカロリング朝における初代ローマ皇帝カール大帝。有間皇子の父親は36代孝徳天皇で、軽皇子(かるのおうじ)。ハプスブルク家に伝わるA.E.I.O.U 有間皇子の歌は、磯城系の拠点、浜松や磐田の地名と繋がるのではないかと思う…。磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また還り見む(万2-141)ホムツワケ(誉津別命)神話の「尾張の相津の木で作った二俣小舟」を浮かべたという倭の市師池や軽池も「軽」。池は祭事をしていた事待池のような池だろう。海の民の原初の島信仰。「軽」の音は食国(ケクニ→おすくに→ヲウス国・ヤマトタケルの国→小國神社)を思わせる。蹴る→ケハヤで、ホムツワケの母・佐保姫を火の中から助けたのは、当麻蹴速。
11月10日@蟹を喰らいに
https://ponkichi08.exblog.jp/33615878/2024-11-12 11:00:00 - ここ数年、なんだか足繁く通っている、新潟三条市近くの岩室温泉「ゆめや」。北陸のずわい蟹が解禁になったので、蟹食べ行こう。魚沼の先、このあたりは言わずと知れた穀倉地帯です。まだ稲刈りを待っている田圃もある。まさに黄金色だ。早めに着いたので、温泉→ビール→温泉を繰り返し、いざ。蟹は一人一杯。焼きと蒸しにしてもらった。お、大きい・・蟹終了時点で満腹ですが、駆け抜けよう。のどぐろ。米は別腹。新潟に来るたび書いているけど、新潟の米、味噌、酒、漬物は最高なのだ。部屋には、胃薬が置いてあります笑翌朝の朝食は、和洋選べて、珍しく洋食にした。クラムチャウダーや、選べる卵料理なども出される。さて、ゆっくり目にチェックアウトして、近くの弥彦神社に寄りましょう。菊祭りをしていて、日曜の昨日は大渋滞だった。まだ早いので、車で30分くらい、燕市の国上寺に行ってみる。こちらは初めて。良寛ゆかりの古刹です。知らなかったのだけど、奇しくも謡跡でもありました。「禅師曽我」って、滅多にかからず、私はたぶん見たことないのだけど、曽我兄弟の3人目の兄弟が、ここで禅師となっていて、曽我兄弟が討ち取られたあと(このあたりは、「夜討曽我」とか「小袖曽我」などのポピュラーな能になっている)、捕まって鎌倉に送られたのだそうだ。こちらは、良寛の庵「五合庵」。ここで14、5年暮らしたという。結構な山の中だけど、お風呂とかどうしたのかな。近くに、大きな吊り橋がある。遠くに見えるのは、長岡市の方かな。吊り橋渡ったところの展望台で、宿が持たせてくれたおにぎりを食べ、では帰ります。
XS1100S 15 飛騨 馬瀬川
https://akane928.exblog.jp/243247508/2024-11-07 11:00:00 - ヤマハ XS1100S 1983岐阜県関市上之保 諏訪神社 10月最終週の金曜、天気予報では好天100%。イレブンさんを引き出して、紅葉の偵察ツーリングに飛騨を目指した。クルマと一緒に走るのは、全然楽しく無いので、毎度の「裏道」ルートを選択。美濃加茂からは、下之保〜中之保と北上して、r85で上之保までやってきた。自宅から一気に走ってきて、集落の鎮守前で初休憩。上之保 すっかり山奥にはいってきたのに、分岐の先には、もっと「奥山」があるようだ。調べると、それっぽい集落は見つからず、奥山という集落は、地元管理のキャンプ場に変身したよう。下呂市金山町 見附屋旅館 寂しい放生峠を越えれば、美濃から飛騨の領域。飛騨金山で飛騨川に合流する馬瀬川流域となる。和良川との分岐の街道には、ドッシリと風情ある旅館が健在。全国的にも、あゆ釣りで知られた馬瀬川だから、シーズンともなれば釣り客で賑わうだろうね。岩屋岩蔭遺跡 馬瀬川を昇れば、岩屋ダムの手前に、縄文時代からの遺跡「謎の巨石群」がある。ちょいと寄ってみよう。 ちっちゃな家ぐらいの大きな石が4つ、重なり合って庇のついた岩室を生み出している。南向きに開口した洞内に、「陽」が差す日は「冬至」の前後60日ということが分かっている。古代の人たちが、これを天文台のように用いて暦を決めていたのではないかと推測される。巨石がゴロゴロしていて、神秘的。岩屋ダムの名もこの遺跡からついたのかな。岩屋ダム ダム直下にある橋より、ダムを見上げる。放水された湖水が真っ白な帯をつくってキレイ。 下流を見れば、満々とたたえる水量と、ちょいと色づいた木々。岩屋ダム 岩屋ダムは、馬瀬川にかかるでっかいロックフィルダム。よくもこんなに石と土を積み上げたものだ。1976年に完成した岩屋ダムは、国内有数の大規模なダムで、多目的に活用されている。東仙峡金山湖 ダム湖は、とりわけ東海地方の重要な水瓶として機能しており、名古屋市民も恩恵を受けているはず。西村ダム ダム湖にそって、ワインディングロードが10km以上も続くので、休みともなれば、バイクやクルマ好きが走りに集まる。湖岸に沿ってクネクネもお腹いっぱいになった頃、ダム湖の最深部にある西村ダムを通過。馬瀬川の透明度は高く、堆積した白砂が見えている。ここで取水された水は、トンネルで一山越えてお隣の飛騨川(下呂)の発電所に引かれていく、馬瀬川温泉 美輝の里 西村ダムの先には、道の駅「馬瀬 美輝の里」があって、トイレ休憩、ライダーにはありがたい。その坂を上がると、馬瀬川温泉があり、ささっと一風呂浴びてきた。宿泊施設を持ち、ランチ営業もあるので何かと便利。鉱泉ではあるが、ヌルヌル系で湯舟からあふれ出る潤沢なお湯はオススメ。里山を眺めながらの露天風呂もいいね〜。 「美輝の里」の駐車場から、眺める集落の姿が美しい、のどかな田舎はこんな感じって、絵になる風景。ちょうど、このお山の向こう側は、下呂温泉だ。馬瀬川温泉のお湯が良いのも、下呂温泉と同系の泉質だからだろう。下呂市 馬瀬 再び馬瀬川に沿って、上流を進む。道幅も広く整備された馬瀬の路は走りやすい。圧倒的に交通量も少ないので、晴天の秋空の元、ゆったり気分で走らせる。R257 洞門 国道でありながら、馬瀬川上流では、狭い峡谷となり離合できない幅員の洞門となる。この前後で、災害通行止めとなることも多く、現在トンネル工事が進んでいる。馬瀬川上(かおれ) 出合橋 馬瀬川が大きく西に向きを変えるあたり、新しいトンネルで国道はショートカットしているが、敢えて川沿いの旧道に入ってみる。ここで出会えるのが、味わいあるトラス橋の出合橋だ。昭和28年の製造と銘文が読める。70才越えて、まだまだ現役だね。 高山市 清見町 いわゆる「飛騨せせらぎ街道」にもうすぐ出会うあたり、例年であれば、紅葉のトンネルを走るはずだけど、今年はさっぱり。これだけ気温が高くちゃあ、色も変わるまい。今年は秋らしい紅葉を見ることなく、落葉しちゃいそうだね。さて、道の駅 パスカル清見で遅めの昼食頂いて、せせらぎ街道を南下してお家に帰りましょう。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2024・11月の予定
https://asakopage.exblog.jp/36338140/2024-10-25 10:00:00 - 羊毛シーズン🐏到来イベント出展のお知らせです。どうぞ遊びにいらしてください。◉「+ROOMy」10月26日(土)、27日(日)11時−16時場所 野きろの杜(新潟・岩室)https://www.instagram.com/p/DAkry6aPAkF/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MzRlODBiNWFlZA==◉羊フェスタ11月2−3日(土日)場所 中野セントラルパーク(東京・中野)https://hitsujifesta.com/◉NewHOPE Fes 11月10日(日)場所 Niigata station Sea Point NIIGATA MOYORe:(新潟・中央区)https://note.com/nml2012/n/nc8f9864a23aa◉みなとこども園オープンディ11月16日(土)9ー11時半場所 みなとこども園(新潟・東区)https://minato-kodomo.jp/◉子どもひつじクラブ@アグリパーク 11月23日(土)場所 新潟市アグリパーク https://www.niigata-aguri.com/https://forms.gle/CNYaxsYutUkLyQGs6◉採彩さんの羊毛で織るポットマットワークショップ11月30日(土)14時ー 18時ー曽野木コミュニティセンターhttps://forms.gle/BX3jWEwrsTmTBvNj8白鳥も飛来しましたね。糸紡ぎの冬にどうぞー
「富士山ローソン」があるなら「弥彦山ローソン」があってもいいじゃん
https://ogawashu.exblog.jp/32735754/2024-09-29 09:00:00 - 今年話題となったスポットといえば、外国人観光客が押し寄せるほど人気となった「富士山ローソン」。写真映えすると外国人観光客を中心に多くの人が訪れ話題となったのは、「富士山」というコンビニという取り合わせの面白さに多くの人が惹かれたが故だろう。さて、私の住む新潟県にも「弥彦山」というシンボリックな山がある。「富士山ローソン」ならぬ「弥彦山ローソン」もいけるのではないだろうか。「富士山ローソン」のすごさローソンの屋根に富士山が載っているように見える「富士山ローソン」。SNSの投稿から人気に火が付き、一時期 山梨県は河口湖駅前のローソンに多くの観光客が押し寄せたという。その後の経過はご承知のとおり。多くの人が押し寄せ、マナーの問題もあり目隠しの黒幕が張られるなど、その動向が連日メディアで報じられた。負の側面が多く語られたが、SNSにアップされた写真の構図は純粋に面白い。日本のシンボル「富士山」と、ザ・日常の象徴であるコンビニエンスストアの組み合わせ。ハレとケを一枚の画に収めた発想にあっぱれ。大学時代、富士河口湖駅の近くの寮に2週間ほど滞在し、富士山の麓のスキー場でジェラートを売るアルバイトをしたことがあったが、そんなローソンあったかな?くらいの印象だ。最初に投稿した人、目の付け所がシャープである。新潟県にもシンボルマウンテン「弥彦山」があるところで、私の住む新潟県には「弥彦山(やひこやま)」という、シンボリックな山がある。弥彦山は標高634mの低山だが、ロープウェーやパノラマタワーが整備された県民に愛されるマウンテン。麓には越後一の宮 弥彦神社や弥彦温泉街、競輪場などもあり、山麓も含め山全体が一大観光地のようなところなのである。(昔は釣り堀もあったよね)ハイキングや小旅行、デートスポットにも利用され、私も幼少のころから何度も訪れている。↑弥彦山山頂にて愛され具合でいえば、富士山にも勝るとも劣らずの弥彦山。そんな県民の心の拠り所 弥彦山でも「富士山ローソン」のような構図で写真を撮れるのではないか?というのが今回の企画だ。「弥彦山セブンイレブン」「弥彦山ファミリーマート」からどうぞまずは弥彦山周辺を車を走らせ、ローソンを探すことにする。すると、弥彦山に向かう道中に弥彦神社の大鳥居を発見。その下にはセブンイレブンが。↑お店の名前はズバリ「セブンイレブン弥彦大鳥居店」せっかくなので、ローソンではないが「弥彦山セブンイレブン」ってことで、弥彦山を背景に撮ってみましょう。↑左に見えるのが弥彦山うーん、店舗の向きと弥彦山の位置関係から、「富士山ローソン」みたくお店の屋根に弥彦山が乗っかっているような構図にはできなかった。「弥彦山セブンイレブン」失敗である。なるほど、山とコンビニとの位置関係といった要素も絡み合って「富士山ローソン」の構図は成り立っているのだな。なかなか奥が深い。さらに車を弥彦山方面に走らせると、ファミリーマートを発見。↑撮ってみたがこんな感じ。「弥彦山ファミリーマート」失敗。こちらのファミリーマートでも、お店の向きの関係で、弥彦山がうまくのっからない。さらに、もう一軒セブンイレブンを発見。↑どうでしょうか…?さっきよりはいい感じがするが、弥彦山をコンビニにのせようとするとどうしても斜めになってしまう。ここまでやってわかったことがある。「コンビニの真後ろに弥彦山を位置させて撮影する」という部分に難しさがあるということ。であれば、弥彦山からある程度離れた場所にあるコンビニのほうが、背景に弥彦山を持ってきやすいのではないだろうか。つまりこういうこと。そこで、今度は弥彦山から少し離れたコンビニを探すため、山と逆方向に車を走らせてみることにした。よきコンビニはあるだろうか。「弥彦山ローソン」自信作できました焦らして申し訳なかった。すっごくいい「弥彦山ローソン」が撮れたのである。それがこちらである。やはり仮説は正しかった。ここ「ローソン新潟岩室店」から弥彦山麓までの直線距離は約4.5キロ。弥彦山から少し距離をとったことで、いい感じの画角で収まっているのではないか。↑激写するの図↑本当はコンビニの右側に何か鉄柱が立っているのだが、それが入らないように収めるのもテクニックもう一店、付近でローソンを見つけた。ローソン巻鷲ノ木店、こちらは弥彦山麓から約5.5km。↑店前の駐車場から撮るとちょっとだけ弥彦山が顔を出してかわいい↑いい!コンビニから少し離れて撮ると、これは文句なしで「弥彦山ローソン」!位置関係もバッチリではないか。外国人観光客のみなさん、ここに「弥彦山ローソン」ありますよ~!霊山 弥彦山に見守られて、任務完了である。バズれとは思わない、自分だけの愉しみ本家「富士山ローソン」はネット上への投稿で人気に火が付いたが、やはり富士山との知名度の差から考えても「弥彦山ローソン」がバズるとは思わない。だけどそれでいい。2024年、外国人観光客は「富士山ローソン」に殺到したし、私は「弥彦山ローソン」の撮影に没頭した。↑「弥彦山ローソン」に敬意を払い、ちゃんとお金を落とすのもマナー