告白

狂想狂想再狂想 | 。。不易居。。

http://viva6.blog53.fc2.com/blog-entry-256.html
偶然得知,詞算是不錯,可這曲調卻實在令人失望。太執著,太死心,太傻。(笑)終於等到了NANA第十八期,正在DL V6 的LIVE。這就是我。

「告白」とある青春映画(4

https://takafumiota08.seesaa.net/article/2010-06-12-18.html
2025-06-13 06:00:00 - 「告白」では冒頭の松たか子のシーンだけで、 何日かかったか?という撮影。 照明も撮影も、編集も、時間がかかる凝ったものばかり。 俳優も皆、素晴らしい。演技とは思えない..

「告白」とある青春映画(3

https://takafumiota08.seesaa.net/article/2010-06-12-17.html
2025-06-13 06:00:00 - 「告白」の監督。 以前の作品で、照明の準備に24時間かけたと聞く。 通常はせいぜい、数十分。30分でも遅い!と言われる。 それが夜明けからライトを準備。日が昇り。..

「告白」とある青春映画(2)

https://takafumiota08.seesaa.net/article/2010-06-12-22.html
2025-06-13 06:00:00 - 映画というのは不思議なもの。 監督に「愛」や「思い」がなければ、作品が輝かないのである。 どんな可愛い女優でも、 監督がその子を好きになれなければ、その子は魅力的に見..

「告白」とある青春映画(1)

https://takafumiota08.seesaa.net/article/2010-06-12-14.html
2025-06-13 06:02:00 - 「告白」は本当に凄い映画だった。 比べて、とても対照的な映画がある。 昨年の今頃に見た青春もの。 評判が悪いので期待していなかったが、友人が関わっていたので見た。..

映画「告白」

https://takafumiota08.seesaa.net/article/2010-06-12-13.html
2025-06-13 06:45:00 - 編集が終わり、少しだけ余裕ができた。 本当に久々に映画を見た。 「告白」 凄い映画だった。 オープニングからエンディングまで、ずっとクライマックス! ..

三村妃乃「NGT48の最底辺を更新してきました」/「おもいでいっぱい」昼公演@NGT48劇場 24-02-18(日)

https://live-log.seesaa.net/article/2024-02-18.html
1970-01-01 01:00:00 - ※NGT48 LIVE!! ON DEMANDにて視聴。 今日の本編出演メンバーは、清司麗菜、西潟茉莉奈、佐藤海里、藤崎未夢、大塚七海、三村妃乃、北村優羽、水津菜月、磯部瑠紅、木本優菜。..

驚愕の目覚め時

https://321gostart123.seesaa.net/article/2016-03-02.html
2025-03-02 03:04:00 - 朝目覚めて驚いたのでした。顔面が血糊でガサガサになっていたのですから。ほとんどサスペンスドラマか、ホラー映画みたいな展開です。実際にはもの凄く大したことないのです。でも顔面..

癌・ガン・がん

https://321gostart123.seesaa.net/article/2015-11-11.html
2025-11-11 11:04:00 - 最近書店に並ぶ本ですが、死生に関わる作品の多い事。昔は死生に関わるのは、怪談話やホラーくらいなものでした。きっと戦争に行って死ぬ選択肢が無くなって、迷っているのでしょう。戦争が御遊..

昔話の本を読んで

https://321gostart123.seesaa.net/article/2015-07-07.html
2025-07-07 07:41:00 - 若い者にしてはならないのが、説教・自慢・昔話なんだとか。雑誌やネットの書き込みにありました。なるほど、自分も若い頃はそうでした。今もそうですが、少し変わったこともあります。..

駄目人間の唄

https://321gostart123.seesaa.net/article/2015-05-30.html
2025-05-30 05:45:00 - 最近読む本の傾向は、タイトルそのままです。駄目人がたくさん登場する話題だけの本なのです。中綴じの週刊誌のように、駄目人間が列をなす。人生の落伍者を連想する本ばかりです。通常なら..

バレンタインデーがやってくる

https://myowntime.seesaa.net/article/2018-01-24-2.html
1970-01-01 01:00:00 - これから二週間ほどもすると、もはや全国的な定例イベントになっている聖・バレンタインデーということで、スーパーやデパート等の催事場ではチョコレートの山が出来ているわけですが、多くの方がご存知のよ..

愛を確かめ合う日・バレンタインデー

https://myowntime.seesaa.net/article/2019-01-17.html
1970-01-01 01:00:00 - 来月にはバレンタインデーがあるわけですが、ここ数年になって義理チョコという言葉だけでなく本命チョコとか友チョコとか一昔前よりも格段に増加した固有名詞が飛び交っていますが、個人的な話はあえて書く..

ドライブ・イン・マンハッタン シネマの世界<第1257話>

https://yansue.exblog.jp/243632442/
2025-03-26 03:00:00 - アメリカ映画の新作「ドライブ・イン・マンハッタン」(原題 Daddio おじさん=パパ)は、タクシー運転手の ショーン・ペン(1960〜、65歳)とタクシーの女性乗客ダコダ・ジョンソン(1989〜34歳)二人の会話劇(ワンシチュエーション・ドラマ)です。ニューヨークの空港から マンハッタンの高級住宅街までの タクシー内での 二人の会話と表情だけの 1時間 40分の映画なので、ポイントは、主演二人(ショーン・ペンと ダコダ・ジョンソン)の演技力(存在感)と、監督の演出ならびに撮影監督の映像が、 ‘決め手’になります。ショーン・ペンは、さすが! 目の表情ひとつ一つで、主人公の喜怒哀楽のすべてを語ります。ダコダ・ジョンソンは、ITプログラマーの才媛ながら ずっと年上の妻子ある男(愛人のダディオ 映画に登場せずスマホSNSメールの相手)と性的関係で 別れられない 30代半ばの女性を 好演しています。脚本家クリスティ・ホール(女性)が、自身のオリジナル脚本をもとに 初監督・製作(ダコダ・ジョンソンも製作に参加)を担い、ギリシャのベテラン撮影監督 フェドン・パパマイケル(1962〜)の映像は、高速道路を走るタクシーから見える ニューヨークの夜景や 時おり渋滞する高速道路の喧騒と一緒に、二人のシニカルなジョーク(エスプリかも)を交えた会話が、もう二度と会うことのない お互いの本音、乗客の女性は、誰にも打ち明けられなかった秘密をタクシーの運転手に告白します。タクシーの運転手も 二度の結婚と離婚、過去への苦渋に満ちた心境を彼女に語ります。カメラは、バックミラーを通した二人の表情を捉え、通り過ぎるタクシーの 外の夜景を挿入しながら、会話する二人の「目のクローズアップ」で、お互いの変化していく感情を見事に表現していきます。名優ショーン・ペンの磨きのかかった渋い演技と 女盛りのダコダ・ジョンソンの美しさを 1時間 40分じっくり堪能できる贅沢な秀作映画なので、映画数寄の方にお薦めいたします。

日銀は、消費者物価上昇率2%を目標として異次元金融緩和を開始したが、実現できなかった。それは、日銀が行った政策に、物価を上昇させる効果が元々なかったからだ。(15)

https://karasusan.exblog.jp/33707463/
2025-03-25 03:00:00 - <24時間政局の始まり>・インターネットとは無縁だったが、実は携帯電話の方は「加藤つぶし」の中心にいた野中氏の専売特許だった。新幹線の座席に着くやいなや、すぐ携帯電話で話し込む野中氏の写真が新聞に載り、「政治家は車内で携帯を使っていいのか」との抗議が新聞社や野中事務所に殺到したほどである。 野中氏は四方八方から情報を携帯電話で集め、それを自分の中で撹拌して、また四方八方に拡散する。これはという情報を要所要所にしっかりと打ち込んで、自分の目指す流れをつくる。「加藤の乱」は「ネット政局」の幕開けであると同時に、「携帯政局」の本格化を告げた。 <シンキロウの孤独><下足番が絶賛>・「聞くと見るとは大違い」多くの人がこの言葉で評するのは森喜朗氏である。森氏は大柄で、ガンを患って食事制限を余儀なくされるまでは0.1トンもの体重があり、顔も四角の代官顔で、物腰も何となく傲岸。失言ばかりしているイメージも定着し、悪役を一手に引き受けている。 ところが間近で会った人の印象は違う。座談はうまいし、気配りは心憎いし、実物は全然違うじゃないかという人が少なくない。 しかも会った翌日、しばしば「昨日はよくおいでいただいた」「あなたとお目にかかれてうれしかった」「時間がなくて申し訳なかった」というハガキが届く。 ・1981年11月、東京・赤坂の料亭「大野」で、玄関の下足番として勤めた人が『夜に蠢く政治家たち』(エール出版社)という本を出した。 頻繁に出入りする政治家や高級官僚の生態を実名で記録し、これを公表することで「公費天国」を告発する結果となった。「大野」の女将は申し訳ないとショックの余り寝込んでしまった。 <ドン金丸の「常識」><台所記者への道>・一昔前、自民党の派閥記者には「玄関記者」「応接間記者」「居間記者」「台所記者」というランク付けがあった。 実力者と呼ばれる政治家になると、その自宅へ毎日、「朝回り」する。夜は「夜回り」。いわゆる夜討ち朝駆けである。ここで顔と名前を憶えてもらい、昼間の記者会見などの公式な場では聞けない話を聞く。 最初のころは、来る日も来る日も政治家が自宅を出る際、玄関脇に立っていて「おはようございます。○○新聞の××です」と挨拶する。ほとんどはこの挨拶だけで終わる。これが「玄関記者」である。 ・もっと努力と工夫を重ねて、だんだん親しくなって食い込んでいくと、今度は応接間より奥に進んで、居間で政治家が1人で新聞を広げているところなどに入り込める。サシで、つまり2人だけで言葉を交わせる。「居間記者」である。 究極はそのまま台所まで行って、勝手に朝食を食べてしまう。もう奥さんやお手伝いさんともすっかり顔なじみ。これがゴールの「台所記者」である。 <才人と呼ばないで><俳句、絵画、ハーモニカ>・政界きっての「才人」は誰だろうか。いい意味でも、悪い意味でも、多くの人の頭に浮かぶのは宇野宋佑氏である。ところが当の宇野氏は「才人」と評されることが少しもうれしくなかった。むしろ大嫌いだったと言ってもいいだろう。 俳句、絵画、史伝、ハーモニカ、ピアノ……。自己流で何でもこなし、ほとんどがプロ級の腕前だった。特に俳句は高名な俳人にも感嘆され、質、量ともに本格派だった。 <努力家と言ってほしい>・河野氏の秘書としての仲間で、後に文相などを務めた砂田重民氏が「こんなに忙しいのにどうしてあんなに本が書けるのか」と聞いたことがある。宇野氏の答えは「どうということはない。君がゴルフをしている時に書いているだけだよ」。悪気のないことはわかっているにしても、砂田氏は鼻白んだ。 遅れをとってはならない、落伍をしてはならない—―。裕福だが、厳格な生家の教えと、シベリア抑留の体験から、いつも精進に余念がなかった。議員宿舎の部屋で散らばっていたのは原稿用紙と参考図書だけである。 <つなぎの役割、幸不幸>・就任の記者会見の雄弁ぶりに「大化けするかもしれない」との声もあったのに、最後の最後でまた本当に「つなぎの役割」に終わってしまったのである。この因縁は何なのか。 東京・神楽坂のカモメと呼ばれる芸者見習いとの関係が問われた女性問題。女性の告白によると、初めてお座敷で会った時、真ん中の指を3本握って「これでどうか」と言われたという。 そこで1ヵ月のお手当てが30万円。「3本指」が流行語になった。永田町のことである。「カネで女性をとはけしからん」ではなく、内閣総理大臣たるものがたった「3本」なのかという変な批判もあった。 しかしあえて言えば、金額が少なかったのには理由があった。 <わしはずっと元気>・歴史に「もし」はないにしても、宇野氏も総理に担ぎ出さなければ、女性問題という汚名も着ることなく、わき役であっても何でもこなせる存在感のある政治家で一貫できたはずである。「文人議長」などと呼ばれている姿が想像できる。 実際の宇野氏のその後は体調を崩し、引退を余儀なくされ、寂しい晩年だった。だから総理になりさえしなければ、との思いが側近にはずっと残った。 <新生クラブの椅子><控え目に生くる幸せ>・「未来の宰相」と大方が想定していた藤波氏。それが一転、リクルート事件の受託収賄罪で逮捕され、奈落に沈むとはだれが思っただろうか。 金丸信はリクルート事件とは無縁で、他の実力者が総退陣のような形になってしまったため、一頭地を抜く存在になった。当時、「江副(浩正・リクルート会長)は将来のある政治家にカネを回したが、俺のところには来なかった。将来がないというのもいいことだ」と嘯いていた。その金丸氏が藤波氏の逮捕を聞いて「自民党に300人の代議士がいるとして、汚れている順番に並べたら、藤波は299番目だ」と驚いたくらいで、この逮捕には誰もが首を傾げた。 ・その頃の建設省、運輸省、農水省などには自民党に強力な応援団がいて、予算をまさに分捕っていた。法務省には応援団などいるはずもないが、藤波氏は矯正施設の修復といったどう考えても票にならないところに目配りしていた政治家だった。それだけに「なぜだ」の思いは本人が一番、強かったはずである。 公判を通じて自分がスケープゴートにされたのだと思っても、一方でその時の内閣の官房長官としてこれを受入れなくてはならないという責任も感じ、煉獄の火に焼かれる苦しさだったろう。 <この本の読者の数の上限は「全国の政治記者とそのOBの数プラスαである」ということになろうか。>・その伝でいけば、筆者も海外勤務などで永田町を離れていた時代や、管理職となって永田町を「遠望」していた時代も含めれば政治取材歴40年、安倍晋三首相から数えて22人前の三木武夫首相から取材と長さだけは結構な水準である。 そのうえ幸か不幸か、野党や労働界を担当したことはなく、政府・自民党、すなわちほとんどすべての期間、政権与党だけを取材してきた。 くわえて自民党でも実力者といわれるようないわゆる大物と、ちょっと語弊はあるが、規格から外れた政治家の取材に自主的に傾斜してきた。 『なぜいま安倍晋三なのか』山本一太 リヨン社 2006/8/10 <官僚に評判のいい政治家なんて>・「新しい政治文化」というのは何も政治とカネの関係に限ったことではありません。これまでの政治と官僚の関係を見直す、すなわち、旧来の政官の文化を変えるという視点も重要です。 ・その政策判断がもたらした結果については、当然、政治家が最終責任を負います。 ところが、日本ではこれまで政治家と官僚の間に貫かれているはずの原理原則が、実際には「絵に描いた餅」になっていました。官僚を縦横無尽に駆使するはずの政治家が中央省庁の応援団にされ、逆に官僚に使われるという「主客転倒」の姿になっていったのです。 ・たとえば、私が、力を注いできた外交、安全保障の分野をとってみても、外交政策決定のプロセスは実質的に外務官僚が独占してきました。これは官僚が悪いというより、政治家の罪だと思います。官僚をコントロールするだけの力量が政治家のサイドになかったということに他ならないからです。 ・私は、「官僚に評判のいい政治家」をあまり信用しないようにしています。特に外務省に好かれている政治家は要注意です、それは外務省の世界観や常識の枠にとどまっていることを意味するからです。 <いままでの政治政策決定プロセスはぶっ壊せ>・官僚主導の政策決定プロセスは、この国で過去50年間にわたって続いてきました。このシステムを変えるというのは、決して容易な作業ではありません。政治を官僚の手から取り返す試みは、党と政府の内部で同時並行的に進められています。党においては個々の政治家が族議員として特定の省庁の省益のために行動する「持ちつ持たれつの構造」を打破すること。 <官僚の「天下り文化」が崩壊しつつある>・「政治家というものは選挙があるから、短期的なことしか考えられない。長期的なビジョンでものを考えられるのは官僚しかない」 ・私は、官僚主導の政策決定と言う構図は変えなければならないと感じていますが、「何でもかんでも官僚叩きをすればよい」という最近の風潮には違和感を感じます。官僚組織のモラルを一気に低下させることは、国益上、得策ではないと考えているからです。 ・日本が議員内閣制をとっている限り、大統領制をとる米国のように「議員立法」が法案の主流になることは考えにくい気がします。英国と同様、政府提案の「閣法」が今後とも法案の中心を為すとすれば、立法の過程における官僚の役割は引き続き重要となります。実際に成立した法律が機能するかどうかは、法律学者には判断できないからだ。 さらに付け加えるなら、現段階で官僚組織を代替するようなシンクタンクは育っていません。 ・安倍さんが党改革本部長として号令をかけた自民党のシンクタンク構想は極めて重要である。 ・私は、マイナーリーグ(参議院)の、大した肩書も持たない「ちび議員」です。が、政治家として自分がやったことに責任を取る覚悟だけは持っています。いつ議員バッジを外してもいいという気持ちで政治活動をやってきました。 <新しい政治文化と古い政治文化の衝突>・政界でのキャリアが長ければ長いほど、「古い政治活動の慣習」に染まってしまうのはある意味当然かもしれません。その証拠に「政治とカネの問題にメスを入れるべきだ」と主張するベテラン議員には、ただの1人も会ったことがありません。 ・理由はいたって簡単です。現在の法律をそのまま厳格に適用すれば、「私の政治活動にグレーゾーンはない。政治資金や選挙活動に関する全てのルールを100%守っている」などと言える国会議員は、ほとんど存在しないからです。少なくとも私が、知る限り、そういう政治家に会ったことはありません。 ・私は、父親(故山本富雄参議院議員)の地盤を継いで当選した、いわゆる「世襲議員」です。地盤や看板と言う点では、亡父から貴重な「無形の財産」を受け継ぎました。このことには感謝しています。 しかし、同時に「古い政治文化の尻尾」という負の遺産も引き受けることになったのです。この10年間は、亡父の残した、無形の財産を生かそうと努力しつつ、古い政治文化の尻尾を切り取るための戦いでした。 ・「おかしい」と思っていることが、なかなか変えられず、「自分には国会議員の資格があるのだろうか」「このまま政治家を続けていいのだろうか」と真剣に悩んだことも、一度や二度ではありません。 ・他の政治家を比較しても何の意味もありませんが、自民党の国会議員の中では「クリーン度」というジャンルで上位5%に入っていると自負しています。 『永田町、あのときの話』 ハマコーの直情と涙の政界史浜田幸一 講談社 1994/2 <謀略の勝者と敗者> ・青嵐会(せいらんかい)の事務局長までして中川さんを担ぎ上げてきたというのに、結局、私は、昭和54年(1979年)5月に旗揚げされた中川派「自由革新同友会」には加われじまい。 このあたりから、昭和58年(1983年)1月9日の中川さんの自殺、それ以後の経過については、拙著『日本をダメにした9人の政治家』(講談社刊)に詳述しているので、そちらを読んでいただきたいが、あとで考えれば考えるほど、中川さんと中川派をめぐる一連の出来事は、福田赳夫・三塚博一派の謀略であったとしか思えない。 <池に戻れず干上がった鯉>・小なりといえ派閥の領袖、閣僚経験(農林大臣、科学技術庁長官)もあり、次代を担うニューリーダーの一角に名を連ねていた政治家・中川一郎の急死は、それだけでも重大なニュースだったが、それがやがて自殺と判明して、国民の間にさらなる衝撃が走った。 なんの遺書も残さなかったとされるため、死後、その原因をめぐっていろいろと取り沙汰されたが、自民党史の流れの中でとらえるなら、ややきつい言い方だが、結局のところ、派閥抗争の敗者としての死を選んだと言えるのではないか。 ・そとのとき、私はなにをやっていたか――。恥ずかしながら、ラスベガスでのトバク問題によって、謹慎中の身だったのですよ。かえすがえすも、情けない! <田中角栄の“お盆手当・餅代”リスト>・当時、私はまだ駆け出しの1年生議員。「いいか、お前な、天下とりになるためには、こういうことが必要なんだよ。よく見ておけ」 そう言って、田中さんが2、3枚の紙片を見せてくれた。そこには、国会議員の名前がずらっと書いてあり、その1つの名前の横に、「5百・3」とか、「5百・5」とか記してある。 聞けば、たとえば「5百・3」というのは、その議員に対し、田中さんがこれまでに5百万円を3回、計1千5百万円渡したという意味だという。盆暮れに渡す“お盆手当”や“餅代”、選挙のときの陣中見舞などだ。 5百万円といえば、当時のサラリーマンの平均年収は約120万円くらいだから、約4倍以上の大金だ。最後の部分までは見せてくれなかったからわからないが、私が見せられた一覧表には、1回から5回までの記載があった。 ・派閥の領袖が配下の議員たちに年末に“餅代”と称する金を渡すのは、永田町では常識だが(ただし、2、3百万円が相場)、その田中さんのリストには、田中派以外の自民党議員から、当時の野党議員たちの名前まで、ズラリと並んでいた。 とくに野党議員の場合、各党の党首、幹部クラスだ。国会議員なりたての私、これにはぶったまげたね。 ・いまではすっかり様変わりしてしまったが、派閥の領袖たる者、次の4つの条件が不可欠だった。第1に金。盆暮の手当はどこの派閥も同じ。田中さんが金脈の指弾を受け、三木武夫さんや福田赳夫さんらは「クリーン」とか「清貧」とかを売り物にしていたが、田中さんに比べて、金の集め方が下手だっただけの話。第2の条件は、面倒見がいいこと。第3にポストをとってくる力があること。第4が人間的魅力。田中さんは、これらすべての条件に秀でていた。まさに派閥政治の権化のような人だった。 <競争心なき政治家は去るべし>・昭和63年(1988年)12月、リクルートコスモスの未公開株の譲渡問題で蔵相の宮沢さんが辞任したのは、私が前々から言っていた「宮沢派(宏池会)は闘争心に欠ける」という弱点が、もろに出た結果だ。 ・自民党の中にも、根まわしの好きな派閥と嫌いな派閥があり、言うなれば、根まわしと喧嘩が不得意の宮沢派が、野党側から狙われたということだろう。 宮沢さんは、戦後、日本がまだ4等国と言われていた時代に、日本の国益を背に今日の日米関係を築いた人だ。経済政策にも明るく、通訳なしで、世界の首脳クラスと一人でどんな議論でもできる英才。 ・しかし、あまりにも遅すぎた春、宮沢さんの切れ味もすっかり鈍っていた。それまでの経緯から、周囲に対する不信感もあったのだろうが、とにかく人の話に耳を貸さない。そのくせ、結論をどんどん先送りする優柔不断さ。 外交と並んで、経済にも精通しているはずなのに、積極財政への転換の機を失って、不況をますます助長してしまった。 ・宮沢さんはあまりに頭がよすぎたため、他人がバカに見えた。しかし、われわれから見たら、単なる人望のなさにしか映りませんよ。 <天才的な衆参ダブル選挙の発案>・田中角栄という人は、日本の政治史上でも傑出した人物の一人に数えられると思う。 政治家の能力は、人材の使い方にある。たとえ98パーセントの欠陥があっても、残り2パーセントの才能をうまく使う能力である。 その点、田中さんの能力は抜群だった。とくに、役人の使い方、若い政治家の使い方が実にうまかった。そして、派閥内の人事、派閥統制の妙も見事だった。要するに、分断するようで分断しない。ライバル同士を競わせて希望を持たせるなど、のちの竹下さんや金丸さんの人事は、ことごとく田中さんから自然に学びとったものといえる。それから、田中さんは選挙の神様だった。 <すべてはウラで決まっている>・ポスト中曽根は竹下――しかし、これがかなり危ういところだった。例の皇民党による“褒め殺し”のせいだ。これには、金丸さんもあわてたようだね。そこで、解決策を東京佐川急便の渡辺広康社長を通じて、稲川会の石井進会長に依頼したということらしいのだが、やはり、政治家としては、そういうやり方はよくない。 そうした解決方法がどうこうよりも、その問題が起こってきた背景のほうが重要である。 竹下さんを称して、よく「まめな、つき合いを欠かさない人」と言われるが、マメでそだつのはハトだけ。その実態は「カネのつき合い」にほかならない。 <ラスベガス・トバク事件の真実>・昭和55年(1980年)3月6日、東京地裁でのロッキード事件に関する公判の中で、聞いたこともないような話が飛び出してきて、私は一躍“時の人”ですよ。検察側の冒頭陳述補充に曰く――。「小佐野被告がロッキード社から受け取った20万ドルは、昭和48年(1973年)11月3日、ラスベガスのホテルに対し、カジノで負けた借金の支払い保証をしていた分の返済に使われた。カジノで負けたのは、K・ハマダという人で、47年(1972年)の10月のゲームで、150万ドルの借金を負った。小佐野被告は借金の保証人としてホテルと交渉し、120万ドルに値引きしてもらうとともに、支払いを肩代わりした」“寝耳に水”とは、このことだ。これを聞いて、自分でも「ええっ」とびっくりしたほどである。 ・私はラスベガスへ行ってギャンブルをし、負けた。これは否定のしようもない。 当時のレートは1ドル3百6、7円だから、150万ドルといえば4億6千万円ぐらいに相当する。一緒に行った人たちの分も入っているのかもしれないが、まあ、この際、そういうことはどうでもいい。 私がびっくりしたのは、私の借金を小佐野賢治さんが肩代わりしてくれたという点だ。本当にそうなら、どれだけ助かったか知れない。己の不徳のいたすところとはいえ、支払いには大変に苦労したんだから。 ・小佐野さんが「支払いを肩代わりした」なんて、とんでもない。前にも述べたが、小佐野さんという人は、そんなに気前のいい人ではない。根っからのビジネスマンなのだ。 私は、そのときの借金の埋め合わせのために、自分が保有していた株や不動産を売却して、やっと金をつくったのである。 そして、このこともはっきり言っておこう。そのときの不動産の売り先も、小佐野さんの国際興業グループの会社ではない。 <金丸事件>・平成4年(1992年)8月、東京佐川急便からの5億円受領を認めて、自民党副総裁を辞任、同9月、5億円問題で東京地検から出頭要請、同10月、議員辞職、経世会会長解任、そして平成5年(1993年)3月6日、所得税法違反(脱税)容疑で逮捕。家宅捜索の結果、隠し財産が60億円とも70億円とも。金庫の中からは金塊も出てきた。 この金丸信さんをめぐる一連の出来事には、私は実に複雑な思いでした。なにしろ、国会議員2期目以来、押しかけ弟子入りのようなものだが、私が一貫して師事してきた人だったのだから。 ・実は、私が引退を決意した理由の一つは、この金丸事件なのです。 なにもかも金丸さん一人に罪を押しつけて、頬っかぶりしているヤツが何人もいるわけでしょう。 ・私は、実際はムジナでいながら、自分だけ清潔そうなツラをして、偉そうな口をきいているヤツが大嫌いなんだ。そんなヤツは、許すわけにはいかない。 しかし、私だって、金丸さんから“餅代”をいただき、選挙のときには陣中見舞いをもらってきた一人だ。その私が、テメエだけ頬っかぶり、知らんぷりをしている連中を批判しようと思ったら、議員としてとどまっているわけにはいかないでしょう。 私も国民のみなさんにお詫びをし、公職を辞した上でなければ、目クソが鼻クソを笑うのと同じになってしまう。 そこで、私は次の総選挙には立候補をしないと明言した上で、在職中から竹下さんや中曽根さんに議員辞職をお願いしたり、小沢くんや三塚博くん、梶山くんを批判したりしてきた。しかし、彼らにいっこうに反省の色が見えないため、引退後、拙著『日本をダメにした9人の政治家』(講談社刊)を刊行した。 ・金丸さんの逮捕だけで終わってしまったのでは、日本の政治は少しも変わらない。逮捕されるべき人は、まだまだいる。手が汚れている人がいくら制度を変えたって、よくなるはずがない。そんなことをしている間に日本はどんどん国際的信用を失い、地球上における日本国民の長期的生存は、どんどん危うくなっていく。つまり、自分たちの子や孫の代に禍根を残すことになるんです。 <権力亡者による三つ巴の抗争>・ことの真相は知らないが、田中退陣の引き金となった「文藝春秋」掲載の「田中角栄研究」について、当時、三木・福田の謀略だとの説があった。少なくとも、田中さんはそう思い込んでいた。 <毎朝8時半から勉強している国会議員もいる>・通常、自民党議員の1日の仕事は、午前8時半、東京・永田町にある自民党本部での朝食会からはじまる。議員はすべて自分の専門分野をもち、党内のそれぞれの専門部会に所属している。 <選挙に勝つ家>・余談になるが、政治家の家の建て方というものがあるんですよ。この建て方が選挙の結果にも大きく影響してくるから、無視できない。 政治家にとって、自分の家は、生活の場であるとともに、政治活動の場でもある。そこで、政治家の家にまず不可欠なものは、50人から百人が集まれる大広間だ。だから、政治家が家を建てるとなれば、まず子供部屋は犠牲にしても、50人以上入れる大広間を中心に考える。 次に気をつかうのが、台所だ。50人、百人の人間にお茶を出したり、夜食をつくったりするためには、それなりの広さがなければならない。 次が書生部屋。将来有望な青年を育てていくのも、政治家の義務である。書生の3人や4人、常時手もとに置いていないようでは、政治家とはいえない。 <権力欲への度が過ぎて>・確かに、あれだけの才能をもった政治家が、一挙に総理大臣の座に駆け登りながら、「文藝春秋」という1冊の月刊誌に載ったたった1本の記事(立花隆「田中角栄研究――その金脈と人脈」)をきっかけに退陣を余儀なくされた。当人とすれば、さぞや不完全燃焼の感が強かっただろう。 それだけに、政権の座から下りたあとも、田中さんはなお権力に執着した。いや、ますます権力に妄執した。 <大学に入って芋づくり>・しかし、母も一緒になってすすめることでもあり、まあ、東京に出るのも悪くはないと思い、日本大学農獣医学部拓殖科へ入学した。 入学してはみたものの、「いずくんぞ勉学ありや」とスネていたところだから、もちろん満足に大学なんかには行かない。第一、大学で教えていたのは、毎日、水道橋の校舎から大学の農園に行って、芋づくりばかり。 芋をつくるぐらいなら、なにも学校へ行かなくたっていい、家でもやれると思って、早々に中退してしまった。 <賭場通いの日々>・人生の目標なんてものは、微塵もない。10代の終わりごろから、20代の半ばごろまでは、不良少年、チンピラの時代だった。 とにかく、一時はものすごくグレてグレて、本格的な不良というか、いっぱしの遊び人で、ほとんどヤケッパチで生きていたようなものだった。 ヤミ市で本物のヤクザと大立ちまわりをしたり、それが縁で、そのスジの連中とも仲良くなったり、はたまた賭場に出入りしたり……。 <3畳の畳の上で>・結局、グレていたころの前歴がわざわいして、料理屋荒らしまで私の仕業であるかのように報道されてしまったが、実際は以上のような経緯なのである。 ただ、いまでも忘れられないのは、私が逮捕されたとき、町の青年団の仲間たちが、そんなどうしようもない私のために、釈放の嘆願までしてくれたことだ。 また、私が起訴されたとき、母は少しでも私の刑が軽くなるようにと、あちこち金策に駆けまわって、高い弁護料を工面し、木更津でもっとも有名な弁護士を頼んでくれた。 獄中にあって、懲役でやらされたのは、味噌や醤油をつくることだった。毎朝早くから、1日に96本のタライを洗い、桶を洗う。麹と塩を混ぜるのは、みな手作業であった。 <稲川会長の紹介で児玉誉士夫のもとへ>・私は稲川会の稲川角二会長と、私より4歳年上で、のちに稲川会2代目会長になる石井進さんにも、いろいろご面倒をかけ、お世話になっていた。 若気のいたりで、私が世をスネて、ヤクザの世界でしか生きていいく道はないなどと思っていたときに、「お前のような意気地なしには、任侠はつとまらない。お前は政治の道に進め」と諭してくれたのが、稲川会長である。石井さんはそのころから、「これからは愚連隊ではダメだ」と口癖のように言っていた。 ・それはともかくとして、昭和35年当時、稲川会長は児玉さんに心酔しているところがあった。そこで、私が国会議員選初挑戦に敗れたとき、国会議員を目ざすのなら、少し児玉さんのもとで勉強でもしてみたらどうかと、すすめられたのである。

Kとランチ

https://nnn2005.exblog.jp/243629788/
2025-03-25 03:00:00 - 一時間ちょい話したしグラスもカラになったし、タイミングが良いのでカフェを出た。が、私はKと別れて駅ナカで買い物して帰ろうと思っていたのにKはまだ話し足りないのか人恋しいのか私を帰さない。「ごめん、時間まだあるなら昼飯付き合ってくれないか?いつも一人で食べるから寂しくて。せっかく一緒に居るなら二人で食べたい」と言い出す。正直言って付き合えば帰る時間も遅くなるし、デパ地下で買いたいものもあったんだけど。。。そう言われたら無碍に出来ない。「お昼食べる時間くらいならあるよ」とつい返してしまった。「無理させてないか?ごめん」「大丈夫、何食べたい?」の会話の後、私を気遣って少し高めの洋食レストランを提案するKに私から「知ってる?この地下にめちゃめちゃ唐揚げ美味しい定食屋さんあるの」と言ってみた。本心はややくたびれた身なりのKと高いレストランに入るのが抵抗があったし、奢ると言い張るKにあまり高い出費をさせるのも…という気持ちもあったから。ビル地下にある唐揚げ専門の定食屋は、店構えも何一つお洒落じゃない。ただ飯を食わせるだけに特価しているし来る客もただ飯を食いに来たというおじさんばかり。逆に女の私が少し目立つが、全席がカウンターしかなく壁に向かって座るスタイルなのですぐ溶け込む。安いしウマ、別にデートじゃないから全然こんなんでいい。ここでも食べながら話し、更に食べ終わっても尚恋しがるKに付き合い駅前広場で缶コーヒー買って座って話したので、11時に会って帰るのは4時近くになってしまった。その頃になると私が疲れてしまい、デパ地下で買い物する気も無くなった。普段あまり人に無理強いしないKが謝りながらも引き留めたという事は、今はやっぱり相当メンタルが弱っていて人恋しいからなのだろう。「狭いアパートだとやっぱり、どんなに荷物減らしてもすぐ一杯になるよ」「うちはまだ少しスペースあるから、どうしても入りきらない荷物は送ってくれたらワンシーズンくらい預かるよ」「そう言ってくれる気持ちが凄い有難いよ、でも大丈夫、なんとかするから。それよりまた会ってコーヒー飲んだり飯付き合って貰えないかな」「仕事や用事の無い日なら大丈夫」「悪いな、忙しいのに時間割かせて。ただ今日会って貰って久しぶりに凄く楽しいって感じられて気持ちが楽になったんだ。月一回とかでいいからまた会って欲しい」そう言われてしまえば断りにくい。正直言えばこの駅に来るのも私の方が遠いから行き帰りの時間は負担になる。けれどKの気が晴れるなら、それに私も多少は話す事でYとの破局で疲れたメンタルの回復のサポートもして貰えてる。だからここはいいよと返事をした。改札で別れて乗り継ぎが上手く行きスムーズに帰れたが、帰ったところでゆっくりなんて出来ず娘と兄貴の帰宅とともに洗濯機を回し夕食も作り、全て終わる頃にはヘトヘトに。ソファーに座り込みスマホを見ると、Kから改めてお礼のLINEが入っていた。本人が言うように今日はかなり気晴らしになったらしい。それならいいけど。ただ文末に気になる言葉。「今日テーブル挟んで話してて改めて思ったけど、理子は綺麗だな。別に深い意味は無いから気にしないで(笑」これは別に私が綺麗という自慢じゃない。私を好きだという人間は、私が優れているからじゃなく私みたいなのが好みなだけの事。前にも言ったが、つまりはKもYもHも旦那もトランスジェンダーのMもみんなメスゴリラがタイプってだけの事だ(笑そしてKからこれを言われて、どちらかと言うと私は嫌な気分。私はKに全然恋愛感情が持てないから。昔も今もそう、Kは決して不細工じゃないが私の好みじゃない。異性という意識も出来ないし二人で居ても全然ときめかない。だからずっとこのまま友達で居たいのに、変に女性として誉められたりするとこの先告白とかされたら…と嫌な気分になる。頼むからこのまま、男女の友人のままで付き合わせて欲しい。。。

忠臣蔵Bプロ昼、萬壽さんと愛之助さん

https://medeco.exblog.jp/37786880/
2025-03-23 03:00:00 - やっと観ることができました。Bプロ昼の部!私としては、昼の部は、由良之助だけでなく、全体的にAプロが良かったですかねえ。師直は…どうあるべきなのかが今ひとつわからないので保留。芝翫さんは品格があったけれども。判官は、菊之助さんも良かったけれども私は勘九郎さんの透き通るような判官に胸を打たれました。 由良之助は、仁左衛門さんの登場からして昂ってしまい息を詰めて見守るAプロの四段目と比較すると、落ち着いて観られる松緑さんの由良之助のBプロ、という印象。松緑さんの由良之助は…帰り道に渡辺保さんの劇評をやっと読める!とBプロ昼の分を読んでいたのですが、頷けるのは、松緑さんの由良之助に感情(というよりハラなのか)があまり見られない(悪いということではない)という点でした。底のない空洞のようにも見える。だからこそ大きさと格が出たのかなとも思いましたが。これも保留。しかしですよ、それよりも何よりも、道行!落人!傘に隠れた二人が顔を見せた瞬間から愛之助さんは勘平で、萬壽さんは一途な可愛らしいファムファタルおかるでした。二人の踊りから目が離せず、台詞も歌詞もぜんぶ体に入ってくる感じで…萬壽さんはどんどん娘のようになっていくし(腰元ですが)、愛之助さんは情のある勘平そのもので、お二人の醸し出す空気に酔いました。これを見逃さなくて本当に良かったです。隼人さんと七之助さんの道行も2回観ましたが、告白すると、2回ともウトウトしてしまいまして…仁左衛門さんの四段目の後だったせいもあるかもですが…若手のお二人の姿は綺麗だけれども、そこに忠臣蔵というドラマが私には見えてこなかった感じでしょうか。 はぁ、萬壽さんも愛之助さんも素晴らしかった。Bプロはあと2日、道行だけもう1回観られないかなー 昨年南座の顔見世では、本来はこのお二人の「かさね」だったのですよね。(代役萬太郎さん)愛之助さんが怪我から復帰され、晴れて観られたお二人の踊りがこんなに良いものだったとは。帰宅してもなお浸っております。 蜂の家のいちご大福。※今日から筋書に写真が入りました。今月は、私の手持ちも、写真なしと写真ありの2冊に。

太陽は銀河系の中では主系列星の一つで、スペクトル型はG2V(金色)である。

https://maiu5775.exblog.jp/34501185/
2025-03-23 03:00:00 - から始まった原香緒里の局アナ生活も「第二のふるさと・山梨に恩返しを」|CHANTO WEBCHANTO WEBブス法政です」自虐から始まった原香緒里の局アナ生活も「第二のふるさと・山梨に恩返しを」|CHANTO WEBCHANTO WEBブス法政です」自虐から始まった原香緒里の局アナ生活も「第二のふるさと・山梨に恩返しを」|CHANTO WEBORICON NEWSカンテレ“平日夕方の顔”に吉原功兼アナ 競馬実況→報道番組『newsランナー』メインキャスターに | ORICON NEWSスポーツ報知テレ朝・田原萌々アナ、“秒の壁”を相手に奮闘中…生でパニックになった瞬間も告白、スタジオに響く叫び声 - スポーツ報知ファミ通篠原光アナ】日テレを退社して推しの岸大河に弟子入り。タイピング音を録音するキーボードマニアにして鍵っ子、元ニコニコ歌詞職人のeスポーツキャスターへの道 | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com日本テレビ95回大会、夢だった1号車実況 蛯原哲アナウンサー|箱根駅伝 番組公式サイト|日本テレビめざましmedia新報道番組『newsランナー』始動!メインキャスターは吉原功兼アナ | めざましmedia日刊ゲンダイDIGITAL大腸がんを克服したフリーアナの原元美紀さん「病院に行かないなら離婚する」と夫に言われ…|日刊ゲンダイDIGITALさくマガ - さくらインターネット元NHKアナウンサー 山本浩が語るターニングポイント 放送業界の変革と時代背景 | さくマガradiko newsCBC榊󠄀原アナ、ドラマチックな出会いを赤裸々告白!? | 無料のアプリでラジオを聴こう! | radiko news(ラジコニュース)

2025年3月23日 礼拝プログラム(予定)

https://oyachurch.exblog.jp/30630110/
2025-03-22 03:00:00 - 次週の聖日礼拝プログラム(予定)を掲載します。・・・・・礼拝プログラム・・・・・・週報2708号 2025年3月23日 《受難節第三主日礼拝》前 奏招 詞 ヨエル 2:12~13頌 栄 新聖歌 62主の祈り賛 美 新聖歌 102交 読 文 21(新聖歌844頁)会衆祈祷賛 美 新聖歌 446聖 書 フィリピ 2:19~30(新訳355頁)説 教 「信仰の仲間」 梅實淳一師賛 美 新聖歌 385信仰告白 <使徒信条>献 金感謝の祈り賛 美 新聖歌 63祝 祷後 奏・・・・・・・・・・・・・・・・※聖書頁は、聖書協会共同訳聖書の頁です。 日本聖書協会ホームページ ⇒上部メニュー 「聖書を読む」 ⇒「聖書本文検索」 で「聖書協会共同訳」「新共同訳」「口語訳」が、 ご覧になれます。★日本聖書協会のホームページでは、いろいろな 聖書の読み方なども紹介されて居ります。 是非、一度ご訪問ください。・・・・・・・・・・・・・・・・
当サイトは掲載情報の正確性を保証するものではありません。ご利用により生じたいかなる損害に対しても一切責任を負いません。
キーワードクラウド キーワード一覧
Copyright © 2013-2025 ブログ横断検索 All Rights Reserved.